中村主水、学会や医学会じゃ、つまはじき。ほんに哀しやしがない田舎の精神科医。帰りゃ~、同業奥様の、出世自慢を耳にして、妻も 「何をしてるか」 とお説教。さらには同居の姑さま、仲間に加わり、肩も狭し。されど主水の生計も、尻に敷かれつ、小春日和。どこへ行くのか、をとこ中村主水。何やら背中の銀杏も泣いている。
冬の花 1982
とめてくるな、おっかさん。所詮、最後は、冬の花。咲くも花なら、散るも花。他人の花の咲かぬのを、横目で見て咲く花もありゃ、横目で見られて散るもあり。きっと裏の畑のボチ様も、咲かぬ浮き世に、見ぬ春に咲くがごとし。
すれば正直じいさんに憧れて、頑張る輩もちらほらあり。 「なぜ私も同じことをしているのに成果が上がらぬか?」 と、さらに桜に励むのは、あすこに見える精神科医の財津五郎。
そこは咲かぬ花とあきらめて、いっそ主水のごとく怪しきを極めるも、里見修二にあり。
いやはや早かれ遅かれ、財津五郎も里見修二によって精神分析される時がくる。
精神科医の精神分析、はじめした。