奥女中54
ミッテラン大統領の時のメニューサクランボといえば逸話があります。1982年にフランスのミッテラン大統領が来日した時の話です。参考までに晩餐会のメニュー。スッポンのコンソメ甘鯛の冷製ゼリー添え仔羊ロースの肉のベルダーソース季節のサラダデザートワインコルトンシャルマーニ 1978シャトーラフィット・ロートシルトドンペリニョン 1973お返しにフランス大使館でのメニューコンソメ・ロワイヤルオマールエビの薄切り スーシェ風味ウズラの詰め物 ピエール・テタンジュ風季節のサラダフランスチーズの盛り合わせヘーゼルナッツの冷たいスフレワインシャトーオブリオン 白 1976ル・コルトン 白 1972ドン・ペリニョン 1973 シャンパンこの時、事件が有ったのです。宴酣の頃、演奏していたフランス人が天皇に近寄り、一緒に「サクランボの唄」を歌いませんかと?と声を掛け、すると、天皇もこれに応じて、口ずさみ、次第に全員が合唱となったという異例の事でした。1970年頃は国賓クラスの晩餐会は年に多くて3回くらい1970年の大阪万博以降急激に増えたという多い時で週に3回、少ない時でも週1回。それに伴いホテルのフランス料理経験者を4人も採用した事でも分かります今年あたりも万博を控えて多くなってるでしょうね。前回の時は、心ワクワクでしたが、今回は何も感じません。ただそうはいっても晩餐会の準備をする人は洋食部門だけではなく和食部門の方にも手伝って貰わないと間に合うものでは無かった問題も起こります盛り付けなどの作業の際、和食の人たちは慣れてる箸で取ろうとするしかし人参など柔らかく煮てるので箸の跡が残るスプーンでやって下さいと頼むが、使いにくいので箸を使ってしまうというそれは、秋山主厨長が最も嫌う所のフランス料理のエスプリが抜けてしまうといのです。天皇の料理番と云われた初代料理長の秋山徳蔵は大正天皇ご即位の晩餐会で2千人という招待客へのメニューを悩み考えに考え決めた。何故か献立は全て難解な漢字でもって書かれていて入力が厄介なので略して書きます大正4年11月17日 二条城離宮1.スッポンのコンソメ ザリガニのポタージュ1.鱒の酒蒸し1.牛ひれの焼肉1.鶏の袋蒸し1.鴫の冷たい料理1.オレンジとワインのシャーベット1.七面鳥の焙り焼、鶉の付け合わせ サラダ1.セロリの煮込み1.アイスクリーム1.デザート酒アモンチアド(チェリー酒)1900年シャトーディケム(白)1877年シャトーマルゴー(赤)1899年シャトーブージョ(赤)ポムリーエグルノ(シャンパン酒)以上の献立の中にあるザリガニのポタージュが秋山の苦心した品でしたザリガニはアメリカ原産で今では日本の何処にでもいるが、秋山が必要としたのは北海道の渓谷に棲むザリガニでした。しかも大きさ・形などを揃えるので2千匹を要求してるが3千匹は捕獲しないといけませんその任務に駆り出されたのが最強と言われた旭川第七師団の兵隊です五体満足でザリガニを捕虜にしないといけない数が数だけに大変であったに違いない然し困難な任務にもめげず3千匹を捕獲し、一旦日光に送られ川に生簀を作り生かして置き晩餐会が10月なので、そこから京都に移送され会場の近くに臨時に造られた水槽に入れられた金網で厳重に囲われ水道の水を出しっぱなしにし流れた水の中でしか生きられないザリガニの習性を心得たものだった。ところが事件が起きたのです捕虜が大脱走?脱走はウィーン条約によって認められてますが、ザリガニはどうであったでしょう?いよいよ直前になった時、ザリガニが居ない事に気が付いた。3時間ばかり必死に探した所、発見しました調理場の壁に沿った暗い所に居たのです金網が張ってあったのに何故逃げられたかというと水槽の有った隣の部屋に宿直部屋が有り、寝泊まりしてた係員は水道の水が出しっぱなしになっていて音が煩いそこで蛇口に布を結び付け音を小さくした布を水槽の中に垂らしておいた。その布を伝って煌々と電灯がある所から、大好きな暗い所へとザリガニが逃亡したようですともあれ殆ど全員?無事であり料理には支障が生じなかったという。