次は離婚についてです

先に町方の場合の離婚について書きます
当然ながら三行半が必要になります。

中には10行半という女性もいます。

離婚3回という経験者ですね。

別に離婚は恥ずかしいものではないというのが当時の風潮であり、

結婚対象者として遊女上がりの女性も妻にするケースも多く、

蜀山人こと太田南畝もそうですが落籍させて妻にする。

これは家の事情でやむなく遊女になったのであると考えられた。

今とはかなり意識が違うという事を考えねばならないし、

離婚は決してマイナスポイントではなかったということです。

絵の左上に書いてある解説文では明け6つとある。朝の6時頃ですから

客の残した御馳走を食べてる様子。

普段の遊女の食事というのは、粗末ですから残り物とはいえご馳走です。

 

武士の離婚率も高いのです。

そして別れた奥さんの再婚率も又高いのです。

 

32人の生涯にわたって精密な記録が残っている

士の場合。

32人中13人が離婚経験者であり、

うち5人は2回経験してた。

そして、離婚した妻たちは孰れも再婚していた。

貞婦は二夫にまみえず」なんて嘘なのである。

まして、「お前百まで、わしゃ九十九まで」なんて、

の事です。

 

江戸時代、子供が居ない場合、

女性の存在は稀薄となり、

子供を産んで家に定着して婚家の柱となっている。

そうでないと実家に帰ることになります。

20年も続いた結婚は4分の1くらいで、

金婚式などは少ないのである。

 

離縁状が無いと思われていたのですが、

実際はあるのです。

これは珍しい武士の三行半です。

   「武士の離縁状

暇状之事、 我等女房おみな 此度暇出し申候 

以来何方へ縁付仕候共 

少も我等構無御座候 為其暇状 仍如件     

                以下 年月日  署名捺印

 

「仍如件」よく見かける文章で「よってくだんのごとし」

決まり文句です

これは、女性が泣く泣く貰うのではなく、早く頂戴よと貰って、

再婚するためなのです。

離縁状がなく結婚すると、重婚となり罰せられます。

旦那の方も同様で、これを出さないと結婚できません。

 

酷いときは結婚前に前もって離縁状を書いて貰ってる場合もある。

川村家離縁状

その場合、請求できる場合として次の条件が有ります。

①承諾を得ないで妻の持ち物を質入れした時。

  この為に、婚礼道具を床の間に並べて確認します。

  これは見せびらかすの共に将来の若しやの離婚に備えての事。

②夫が家出して10か月以上行方不明の時。

結納品納め
メタボンのブログ

駈落ちです。

  別に2人で逃げるのが駈落ちではありません

  この場合は、3か月は探さないといけません。

  若しくは探した振りです。

  「御定書」に記載されています。

③妻が縁切寺に逃げ込んで3年を尼でいた時。

 

勿論、去り状は、2行でも4行でも差し支えありません。

そうでないと髪を剃り落されて、親元に帰されます。

女にとって髪は命とも云われた時代ですから、堪えらなかったでしょう。

 

「去り状へ 無筆は鎌と椀を書き」

文字を知らない場合は、紙に鎌とお椀の絵を描いただけでも

十分成り立ちます。
「かまわん」です。

 

こう書いていますと、女性が弱かったのかと思うでしょうが、

とんでも御座いません。

 

11代家斉の時代、いわゆる化政年間に記されたのをご覧ください。

「今、軽き裏店の者、その日稼ぎの者どもの体を見るに、親は辛き

人生を送るに、娘は化粧し、良き衣類を着て、遊芸又は男狂いをなし

又、夫は未明より草鞋の棒手振りなどの稼業に出るに、妻は

夫の留守を幸いに、近所の女房同志より集い、己が夫を不甲斐ものに

申しなし、互いに身の蕩楽なる事を話し合い、カルタ、めくりなどの

小博奕をなし、或いは若き男を相手に酒を食べ、芝居見物

その他の遊山、物参りなどに同道し、料理茶店、水茶屋などに立入

晩に及んで夫の帰りしとき、終日の労を厭いやらず、かえって水を汲せ

煮炊きを致させ、夫を誑かして使うを手柄とし、女房は主人の如く

夫は下人の如くなり」