1月
中旬まではゼミの発表(名古屋の中小映像制作会社への企画提案)のためにひたすらスタバに籠って作業をしていた。このあたりでゼミで一緒のチームだった友人に、製造業がいかに素晴らしいかということを、その子の親御さんを例に説明され「なんてメーカー(製造業)は素晴らしいだろうか」と思った。このために就活の中盤ひたすらメーカーを受けることにつながったのだと思う。
初旬から大企業むけのESやベンチャー企業とのマッチングサービスの利用、模擬面接などは徐々に始めていた。中旬でゼミが一区切りして、下旬にテスト終えてからは就活に集中していくことになった。
下旬では大企業の説明会やベンチャー企業との面接を行っている。この時は化学メーカーにすごく惹かれていて、ESを書きまくっていた。南山からはほとんどESは通らないとは聞いていたが、たくさん打てばいくつか面接に進めるだろうと思っていた
(結局全て化学メーカーはESで全滅することになる)
2月
初旬に就活のために東京に2日間滞在。この時、フィリピンでルームメイトだったS氏が泊めてくれてすごく嬉しかった。主にベンチャー企業の説明会や面接を受けた。その他名古屋、京都で説明会など。ESは引き続き化学メーカーと重工業に時間をつかった。
中旬に東京にて1週間の電話営業インターンを行った。1日100件を目安に電話をかけたが、ガチャ切りされたりまったく受注が取れなかったり、風邪を引いたりと大変だった。最終日についに1件受注が朝最初の電話で取れたが、嬉しさと気が抜けたのが合わさってそのまま寝込んでしまった。受注が取れたのは自分だけだったのでよくがんばったのではないかと思う。
(途中で本気で逃げたかった)
シェアハウスは就活生キャンペーン(?)で1週間無料だったのでありがたかった。この時は毎食近くのチカラ飯を食べていた。また食べたい。
下旬は東京から帰ってからすぐ名古屋でベンチャーの選考があったり、ESの期限が大量にあったりして、あまり移動はしなかったが追われていた。ただ、月末にまたベンチャーの先行を受けるために東京に向かった。また、この頃から自動車部品メーカーに徐々に興味を持つようになりESをどんどん書いていった。
(このあたりでベンチャーに行く気は完全になくなっていた。ただ、面接に慣れるためだけにわざわざベンチャーがたくさんある東京に頻繁に行っていた。ベンチャーは大企業に比べて選考がはやいから。ただ、これは失敗だったように思う。同じ目的なら、愛知の中小メーカーを大量を受ける方が効率がよかった)
3月
ESが予想以上に通過しないことと、ベンチャー企業の面接がまったく通らないことにあせりを感じ始めていた。逆に少し通っただけで必要以上に喜びすぎている。この頃から夜眠れなくなったために毎夜お酒を飲むようになってきた。また、後々ひどくなる耳の不調が現れ始めている。
(ESの通過率が悪かった大きな要因としては、spiの勉強をあまりやらなかったことと、素材や超優良メーカーなど、元々通過率が低い所を中心にESを出していたからだと思われる。面接に関しては、もともと喋るのが苦手な自分にとっては充分な量の面接をこなせている段階ではなかったからだと思う)
4月
初旬に大手のグループディスカッションや面接が集中したがほとんと通らなかった。わずかに通った企業は下旬に次の選考を行ったが全滅し、一旦1社を残して持ち駒がゼロの状態になる。大手に行きたいという気持ちが芽生えていたので気分がかなり落ち込む。また、面接中にストレスで左目の下あたりがピクピクするようになる。
5月
初旬にはメーカー一社を除いて手持ちがなくなったため、再びリクナビ・マイナビからメーカーを中心に手当り次第エントリーをするようになる。このころからさらに眠るのに苦労するようになったため晩酌でビールよりも強いワインや杏露酒などを飲むようになる。
初旬で唯一残ったメーカーの会社の選考が進み下旬に最終面接を行うことになったために中旬は比較的ノンビリ過ごす。この会社の先輩に会ったり、前々から就職活動を支援してもらっていた方に模擬面接などをお願いする。
下旬でこの企業の最終選考で失敗しお祈りを貰う。また、5月初旬でエントリーした企業がほとんど全て落ちまた持ち駒がなくなる。この企業に行くことを強く希望するようになっていたためひどく落ち込む。地下鉄で電車を待っているとこのまま消えれればどれだけ楽だろうかと思ったり、深夜に眠れず今後の人生にもう希望がないんじゃないかと思い泣くなどする。苦しくて泣いたのはこの時が生まれて初めてだった。
この時期にゼミの飲み会や、ゼミの後に食事に行ったりした時にゼミ生の同期にずいぶんと励ましてもらった。とても感謝している。また、就活をしながらも時間がある時にはゼミのプロジェクト(某地方TV局への企画提案)を行っていたが、同じチームになった後輩がとても優秀で楽しく議論できた。これも息抜きになってありがたかった。ただ、この時期ゼミの指導教員には「お前がしょぼいせいで俺は恥ずかしい」というような旨の事を言われた。結果を出せていないので何も言い返せなかったが、いつか見返してやりたいと思う。
6月
5月下旬で持ち駒がなくなってからまた大量にメーカーを中心にエントリーを行った。何度も持ち駒がゼロになっているが、そのたびに脚を止めず次の行動ができているのは褒められることなんじゃないかと思う。新しいエントリーからは、メーカーの管理部門採用(経理/人事)を中心にエントリーを行った。5月に受けていた大企業は経理部門での採用で、その時に経理で働くことが面白そうだと感じたからだ。また、人事を含め管理部門は転職がしやすいということも理由の1つだ。大企業に行くチャンスが断たれた時点で将来的に転職でそういった企業に中途入社したいと思うようになった。だから、転職市場をかなり詳細に調べこの時点からどういう会社に入れば転職に有利なのかという視点で会社を選ぶことも行うようになっていた。
これだけ業種と職種を絞ったことで受ける企業が大きく減った。そのため、6月は説明会やES記入と少しの面接で終わった。ただ、IT系企業も受けるようになった。業種を絞りすぎて受ける数が減りすぎて不安になったのが一番のきっかけだ。それに、元々プログラミングをしてサービス開発等をしていたこともあってそれなりに理解している業界だったこともある。製造業の魅力に取りつかれていなければ、最初からITを中心を受けていただろう。3年の初期にはITの中堅企業(サイバーエージェントとかリクルート)が第一志望だったくらいだ。
6月ごろからだいぶ余裕を持って面接を受けられるようになった。この頃には面接の数が30回近くに達していたので面接とうものに慣れたのだろう。そして「自信を持ってるようにふるまう」「明るく振舞う」ということも自然にできるようになってきた。よって、ある程度通過する率も高まってきた。
しかし、下旬にそれなりに志望度が高まっていた岐阜のメーカーの経理部門に最終面接まで進んでお祈りされてしまいまた落ち込んだ。
7月
メーカー、ITともに順調に選考が進む。毎週3,4回面接があり、7社くらいがほぼ同時に選考が進んでいった。
初旬頃から耳鳴りがひどくなる。病院に行ってみたが、恐らく原因はストレスとのこと。就活終わるまではだましだましやっていくしかないと思った。ストレスを緩和するためにこの頃自転車を始めた。ひたする北を目指すなどの日帰り自転車旅などをした。
中旬ごろに前々から就活支援して頂いていた方から名古屋のIT企業を紹介される。結局ここに就職を決めることになるのだが、始めはあまり乗り気ではなかった。ただ、説明会に行った所仕事内容と社員の寛容な雰囲気に魅了される。1度目の面接を受けても印象は変わらずここがこの段階での第一志望となる。
大阪の人事職で受けていたメーカーがあったが、人事という職種に興味がなくなったため6回くらい選考した上で辞退した。
下旬に志望度が低かった非鉄関係の商社に内定を貰う。この時点ではとりあえず返事を保留することにした。
8月
初旬(第1週)にまず志望度の低いIT企業から内定をもらう。その翌週に第一志望となっていたIT企業の最終選考を受け、翌日の朝内定の電話をもらう。その日の午後はメーカーの最終面接があったので、行く気は完全になかったがとりあえず受けにいった(落ちた)。
就活での通過率を集計した結果 GD (グループディスカッション)15/24(62%) 面接23/54(42%) だった。あまり効率はよくなかったなと思う。
中旬はバイトを探したり、なぜか真夏の多治見に行ったり、卒論のテーマ固めをしたり、アニメを観たり、所属している大学の演劇部で使う脚本を探すなどしていた。バイトはゼミの友人の紹介で某ドラッグストアに決まる。また、アンドロイドアプリ開発のため、プログラミングの勉強を始める。
下旬からバイトスタート。ただし、3日間働いた後に店舗のリニューアルが始まったため、すぐ研修を受ける期間になった。初めは電話営業インターンの時にモノを売るための行動がなんとなくトラウマになっていたためお腹が痛くなって苦労した。これは、1ヶ月くらいやっていくなかで改善されていった。
また、下旬に伊勢に旅行に行った。メンバーは大学の学部の友人4人程度だった。なかなか楽しく過ごすことができた。元々旅行などの遊びが時間の無駄に思えてほとんどやってこなかったが、自転車旅やこの旅行をきっかけに積極的に楽しもうとするように考えが変わっていった。もっと今を楽しむことを大切にしようとするようになった。
9月
初旬はバイトがリニューアルオープン前だったり、あまりシフトに入ってなかったこともあり、時間的な余裕がたったのでプログラミングの勉強に集中していた。また、脚本探しと脚本会議にも力をいれた。部活に参加するのは1年半ぶりだったので(といってもこの時はまだ同期だけだったが)とても新鮮に感じられた。
初旬から中旬にかけてアニメの「シュタインズゲート」に熱中する。ひたすらアニメの世界に入り込んでいた。また、この時期にバイトがリニューアルオープンしたがとにかく忙しい。基本的にレジで接客するのが仕事だが、4時間ひたすらお客さんが止まらないというのが当たり前だった。ここはすぐ辞める人がたくさんいると聞いていたが、この大変さなら分からなくもないと思う。ただ、自分は卒業するまで半年しかなく他で良い条件で雇ってもらえる可能性があまりないのでやめようとは思わなかった。
下旬からは授業が始まった。といっても、取っているのはゼミと他2科目だけだった。ゼミはすぐに卒論の中間発表があったので夏休みに決めたテーマに従いデータ収集と分析を始めた。また、授業が始まってすぐの週にゼミ合宿が3日間あった。郡上に行ったが、お酒が飲めたし、後輩と色々喋れたりと楽しかった。
最終週には内定者懇談会があった。初めて他の内定者と会ったが、バックグランドがバラバラだなぁという印象をもった。あと、ゼミの先輩の妹さんがいた。
10月
初旬はバイトがたくさん入っていた。11月から部活が本格的に始まることもあり、月を通して大目に入れた。
脚本会議が本格的になってくるが、最初はやり方が合わずやりずらかったなと思う。3年からやってきたゼミや就活での議論の方法(議論のゴールを設定し、論理的に順序良く議論を進めていく)に慣れていたので、脚本会議での議論の方法(ゴールが不明確であっちゃこっちゃ話が進んでいく)になじまなかったのが原因。これは自分が前提条件である「部活動としての劇団には共通のゴールを設定することがそもそも難しい。そのため、それぞれが出た意見を考えてそれぞれのゴールに沿う形で結論を出す。その上で多数決で決定を行うしかない」ということを考慮できていなかったのが問題だった。それが分かってからはスムーズに議論に参加できた。
中旬に赤目四十八滝に行く。最後まではいけなかったが、森林の中で運動ができて気持ち良かった。ここに行った後から体調が良くなってきた。
同じ時期にゼミの発表(某TV局への提案)が終わる。結果はあまり良くなかったが、自分としては主体として活動していた後輩に最低限の貢献はできたし、後輩もできる限りのことはしたのではないかと思う。賞品でヘッドシャワーをもらった。今も使っているがとてもよい。
下旬は家の風呂が壊れて銭湯通いをした。意外と沢山の人が利用していて驚いた。また、卒論の第二回の中間発表があった。当日の朝方までひたすらデータ集めと分析をおこなって、なんとか書き出してよいという評価をもらった。
このあたりでトリエンナーレを少しまわった。正直よくわからない作品が多かったなという印象をうけた。
そして、卒業公演でのキャストオーディションが始まった。今回は役者をやりたいと思っていたので必死で取り組んでいった。
11月
初旬にオーディションでやりたかった役に選ばれた。ただ、滑舌やら声量やら基本的な所で問題があったため大変になりそうだなと思う。
下旬に卒論の最終発表があるため、初旬から下旬にかけて演劇の時間以外は卒論をやっているような感じだった。しばらくプログラミングの勉強も中断。
下旬の最終発表(データ分析した結論の発表。卒論の完成とは別。)の前日に、勉強で始めて徹夜をすることになる。だが、そのかいあってか最終発表でOKが出た。あとは2万字以上書ききるだけになった。
演劇の方は中旬以降どんどん稽古が楽しくなってくる。決して演技は得意でないし不器用だが、理想とするイメージに向けて少しずつ磨き上げていく過程に夢中になった。
また下旬には、ゼミのチームで打ち上げを行ったがその時1杯2000円くらいのウォッカを飲み初めてウォッカを美味しいと思った。
12月
初旬に京都に伊勢に行ったのと同じメンバーでいったが、そこそこ高いランチを食べていい気分を味わった。また、内定者懇談会で高級ホテルのコースやバーを味わい、ゼミの先輩との食事会でも少し高い美味しいそばを食べ、少し高いお金を出すだけでずいぶん良い体験ができることを学ぶ。
中旬に完成版の卒論を提出した。下旬に少し修正を行ったが、とにかく卒論は終わり、ゼミも終了した。後は2科目どちらかの単位をとれば卒業となる。
卒論終了以降は、稽古に引き続き取り組むとともに、プログラミングの勉強を再開。最初はオリジナルのアプリを4月までに作ろうと考えていたが、卒論や2月に再び舞台に参加することになったので4月以降になると思う。
下旬は部活や学部の友人と忘年会が何件かあった。元々1年半休部していたので2年生以下の後輩とはほとんど面識がなかったが、この頃ではだいぶ打ち解けることができてきた。
2013年度総括
前半は就活でひたすら苦しみました。その頃のつぶやきをみるとなかなかひどいもんです(笑)そのあたりで色んな人にアドバイスをしてもらったり励まされたりしましたが、そこのことに月並みですがとても感謝してます。
そこで散々苦しんだおかげか、最近では以前より落ち着きがあると言われることが多くなりました。より老けたとも言われますが。
中盤から後半は気楽に旅をしたり、好きなことをやったり勉強したりと仕方なくやっているバイト以外はなかなか自由に楽しくできました。
来年からは序盤に公演が2つあり、その後はいよいよ社会人として働き始めます。また最初はきついでしょうが、1歩1歩やっていくつもりです。
中旬まではゼミの発表(名古屋の中小映像制作会社への企画提案)のためにひたすらスタバに籠って作業をしていた。このあたりでゼミで一緒のチームだった友人に、製造業がいかに素晴らしいかということを、その子の親御さんを例に説明され「なんてメーカー(製造業)は素晴らしいだろうか」と思った。このために就活の中盤ひたすらメーカーを受けることにつながったのだと思う。
初旬から大企業むけのESやベンチャー企業とのマッチングサービスの利用、模擬面接などは徐々に始めていた。中旬でゼミが一区切りして、下旬にテスト終えてからは就活に集中していくことになった。
下旬では大企業の説明会やベンチャー企業との面接を行っている。この時は化学メーカーにすごく惹かれていて、ESを書きまくっていた。南山からはほとんどESは通らないとは聞いていたが、たくさん打てばいくつか面接に進めるだろうと思っていた
(結局全て化学メーカーはESで全滅することになる)
2月
初旬に就活のために東京に2日間滞在。この時、フィリピンでルームメイトだったS氏が泊めてくれてすごく嬉しかった。主にベンチャー企業の説明会や面接を受けた。その他名古屋、京都で説明会など。ESは引き続き化学メーカーと重工業に時間をつかった。
中旬に東京にて1週間の電話営業インターンを行った。1日100件を目安に電話をかけたが、ガチャ切りされたりまったく受注が取れなかったり、風邪を引いたりと大変だった。最終日についに1件受注が朝最初の電話で取れたが、嬉しさと気が抜けたのが合わさってそのまま寝込んでしまった。受注が取れたのは自分だけだったのでよくがんばったのではないかと思う。
(途中で本気で逃げたかった)
シェアハウスは就活生キャンペーン(?)で1週間無料だったのでありがたかった。この時は毎食近くのチカラ飯を食べていた。また食べたい。
下旬は東京から帰ってからすぐ名古屋でベンチャーの選考があったり、ESの期限が大量にあったりして、あまり移動はしなかったが追われていた。ただ、月末にまたベンチャーの先行を受けるために東京に向かった。また、この頃から自動車部品メーカーに徐々に興味を持つようになりESをどんどん書いていった。
(このあたりでベンチャーに行く気は完全になくなっていた。ただ、面接に慣れるためだけにわざわざベンチャーがたくさんある東京に頻繁に行っていた。ベンチャーは大企業に比べて選考がはやいから。ただ、これは失敗だったように思う。同じ目的なら、愛知の中小メーカーを大量を受ける方が効率がよかった)
3月
ESが予想以上に通過しないことと、ベンチャー企業の面接がまったく通らないことにあせりを感じ始めていた。逆に少し通っただけで必要以上に喜びすぎている。この頃から夜眠れなくなったために毎夜お酒を飲むようになってきた。また、後々ひどくなる耳の不調が現れ始めている。
(ESの通過率が悪かった大きな要因としては、spiの勉強をあまりやらなかったことと、素材や超優良メーカーなど、元々通過率が低い所を中心にESを出していたからだと思われる。面接に関しては、もともと喋るのが苦手な自分にとっては充分な量の面接をこなせている段階ではなかったからだと思う)
4月
初旬に大手のグループディスカッションや面接が集中したがほとんと通らなかった。わずかに通った企業は下旬に次の選考を行ったが全滅し、一旦1社を残して持ち駒がゼロの状態になる。大手に行きたいという気持ちが芽生えていたので気分がかなり落ち込む。また、面接中にストレスで左目の下あたりがピクピクするようになる。
5月
初旬にはメーカー一社を除いて手持ちがなくなったため、再びリクナビ・マイナビからメーカーを中心に手当り次第エントリーをするようになる。このころからさらに眠るのに苦労するようになったため晩酌でビールよりも強いワインや杏露酒などを飲むようになる。
初旬で唯一残ったメーカーの会社の選考が進み下旬に最終面接を行うことになったために中旬は比較的ノンビリ過ごす。この会社の先輩に会ったり、前々から就職活動を支援してもらっていた方に模擬面接などをお願いする。
下旬でこの企業の最終選考で失敗しお祈りを貰う。また、5月初旬でエントリーした企業がほとんど全て落ちまた持ち駒がなくなる。この企業に行くことを強く希望するようになっていたためひどく落ち込む。地下鉄で電車を待っているとこのまま消えれればどれだけ楽だろうかと思ったり、深夜に眠れず今後の人生にもう希望がないんじゃないかと思い泣くなどする。苦しくて泣いたのはこの時が生まれて初めてだった。
この時期にゼミの飲み会や、ゼミの後に食事に行ったりした時にゼミ生の同期にずいぶんと励ましてもらった。とても感謝している。また、就活をしながらも時間がある時にはゼミのプロジェクト(某地方TV局への企画提案)を行っていたが、同じチームになった後輩がとても優秀で楽しく議論できた。これも息抜きになってありがたかった。ただ、この時期ゼミの指導教員には「お前がしょぼいせいで俺は恥ずかしい」というような旨の事を言われた。結果を出せていないので何も言い返せなかったが、いつか見返してやりたいと思う。
6月
5月下旬で持ち駒がなくなってからまた大量にメーカーを中心にエントリーを行った。何度も持ち駒がゼロになっているが、そのたびに脚を止めず次の行動ができているのは褒められることなんじゃないかと思う。新しいエントリーからは、メーカーの管理部門採用(経理/人事)を中心にエントリーを行った。5月に受けていた大企業は経理部門での採用で、その時に経理で働くことが面白そうだと感じたからだ。また、人事を含め管理部門は転職がしやすいということも理由の1つだ。大企業に行くチャンスが断たれた時点で将来的に転職でそういった企業に中途入社したいと思うようになった。だから、転職市場をかなり詳細に調べこの時点からどういう会社に入れば転職に有利なのかという視点で会社を選ぶことも行うようになっていた。
これだけ業種と職種を絞ったことで受ける企業が大きく減った。そのため、6月は説明会やES記入と少しの面接で終わった。ただ、IT系企業も受けるようになった。業種を絞りすぎて受ける数が減りすぎて不安になったのが一番のきっかけだ。それに、元々プログラミングをしてサービス開発等をしていたこともあってそれなりに理解している業界だったこともある。製造業の魅力に取りつかれていなければ、最初からITを中心を受けていただろう。3年の初期にはITの中堅企業(サイバーエージェントとかリクルート)が第一志望だったくらいだ。
6月ごろからだいぶ余裕を持って面接を受けられるようになった。この頃には面接の数が30回近くに達していたので面接とうものに慣れたのだろう。そして「自信を持ってるようにふるまう」「明るく振舞う」ということも自然にできるようになってきた。よって、ある程度通過する率も高まってきた。
しかし、下旬にそれなりに志望度が高まっていた岐阜のメーカーの経理部門に最終面接まで進んでお祈りされてしまいまた落ち込んだ。
7月
メーカー、ITともに順調に選考が進む。毎週3,4回面接があり、7社くらいがほぼ同時に選考が進んでいった。
初旬頃から耳鳴りがひどくなる。病院に行ってみたが、恐らく原因はストレスとのこと。就活終わるまではだましだましやっていくしかないと思った。ストレスを緩和するためにこの頃自転車を始めた。ひたする北を目指すなどの日帰り自転車旅などをした。
中旬ごろに前々から就活支援して頂いていた方から名古屋のIT企業を紹介される。結局ここに就職を決めることになるのだが、始めはあまり乗り気ではなかった。ただ、説明会に行った所仕事内容と社員の寛容な雰囲気に魅了される。1度目の面接を受けても印象は変わらずここがこの段階での第一志望となる。
大阪の人事職で受けていたメーカーがあったが、人事という職種に興味がなくなったため6回くらい選考した上で辞退した。
下旬に志望度が低かった非鉄関係の商社に内定を貰う。この時点ではとりあえず返事を保留することにした。
8月
初旬(第1週)にまず志望度の低いIT企業から内定をもらう。その翌週に第一志望となっていたIT企業の最終選考を受け、翌日の朝内定の電話をもらう。その日の午後はメーカーの最終面接があったので、行く気は完全になかったがとりあえず受けにいった(落ちた)。
就活での通過率を集計した結果 GD (グループディスカッション)15/24(62%) 面接23/54(42%) だった。あまり効率はよくなかったなと思う。
中旬はバイトを探したり、なぜか真夏の多治見に行ったり、卒論のテーマ固めをしたり、アニメを観たり、所属している大学の演劇部で使う脚本を探すなどしていた。バイトはゼミの友人の紹介で某ドラッグストアに決まる。また、アンドロイドアプリ開発のため、プログラミングの勉強を始める。
下旬からバイトスタート。ただし、3日間働いた後に店舗のリニューアルが始まったため、すぐ研修を受ける期間になった。初めは電話営業インターンの時にモノを売るための行動がなんとなくトラウマになっていたためお腹が痛くなって苦労した。これは、1ヶ月くらいやっていくなかで改善されていった。
また、下旬に伊勢に旅行に行った。メンバーは大学の学部の友人4人程度だった。なかなか楽しく過ごすことができた。元々旅行などの遊びが時間の無駄に思えてほとんどやってこなかったが、自転車旅やこの旅行をきっかけに積極的に楽しもうとするように考えが変わっていった。もっと今を楽しむことを大切にしようとするようになった。
9月
初旬はバイトがリニューアルオープン前だったり、あまりシフトに入ってなかったこともあり、時間的な余裕がたったのでプログラミングの勉強に集中していた。また、脚本探しと脚本会議にも力をいれた。部活に参加するのは1年半ぶりだったので(といってもこの時はまだ同期だけだったが)とても新鮮に感じられた。
初旬から中旬にかけてアニメの「シュタインズゲート」に熱中する。ひたすらアニメの世界に入り込んでいた。また、この時期にバイトがリニューアルオープンしたがとにかく忙しい。基本的にレジで接客するのが仕事だが、4時間ひたすらお客さんが止まらないというのが当たり前だった。ここはすぐ辞める人がたくさんいると聞いていたが、この大変さなら分からなくもないと思う。ただ、自分は卒業するまで半年しかなく他で良い条件で雇ってもらえる可能性があまりないのでやめようとは思わなかった。
下旬からは授業が始まった。といっても、取っているのはゼミと他2科目だけだった。ゼミはすぐに卒論の中間発表があったので夏休みに決めたテーマに従いデータ収集と分析を始めた。また、授業が始まってすぐの週にゼミ合宿が3日間あった。郡上に行ったが、お酒が飲めたし、後輩と色々喋れたりと楽しかった。
最終週には内定者懇談会があった。初めて他の内定者と会ったが、バックグランドがバラバラだなぁという印象をもった。あと、ゼミの先輩の妹さんがいた。
10月
初旬はバイトがたくさん入っていた。11月から部活が本格的に始まることもあり、月を通して大目に入れた。
脚本会議が本格的になってくるが、最初はやり方が合わずやりずらかったなと思う。3年からやってきたゼミや就活での議論の方法(議論のゴールを設定し、論理的に順序良く議論を進めていく)に慣れていたので、脚本会議での議論の方法(ゴールが不明確であっちゃこっちゃ話が進んでいく)になじまなかったのが原因。これは自分が前提条件である「部活動としての劇団には共通のゴールを設定することがそもそも難しい。そのため、それぞれが出た意見を考えてそれぞれのゴールに沿う形で結論を出す。その上で多数決で決定を行うしかない」ということを考慮できていなかったのが問題だった。それが分かってからはスムーズに議論に参加できた。
中旬に赤目四十八滝に行く。最後まではいけなかったが、森林の中で運動ができて気持ち良かった。ここに行った後から体調が良くなってきた。
同じ時期にゼミの発表(某TV局への提案)が終わる。結果はあまり良くなかったが、自分としては主体として活動していた後輩に最低限の貢献はできたし、後輩もできる限りのことはしたのではないかと思う。賞品でヘッドシャワーをもらった。今も使っているがとてもよい。
下旬は家の風呂が壊れて銭湯通いをした。意外と沢山の人が利用していて驚いた。また、卒論の第二回の中間発表があった。当日の朝方までひたすらデータ集めと分析をおこなって、なんとか書き出してよいという評価をもらった。
このあたりでトリエンナーレを少しまわった。正直よくわからない作品が多かったなという印象をうけた。
そして、卒業公演でのキャストオーディションが始まった。今回は役者をやりたいと思っていたので必死で取り組んでいった。
11月
初旬にオーディションでやりたかった役に選ばれた。ただ、滑舌やら声量やら基本的な所で問題があったため大変になりそうだなと思う。
下旬に卒論の最終発表があるため、初旬から下旬にかけて演劇の時間以外は卒論をやっているような感じだった。しばらくプログラミングの勉強も中断。
下旬の最終発表(データ分析した結論の発表。卒論の完成とは別。)の前日に、勉強で始めて徹夜をすることになる。だが、そのかいあってか最終発表でOKが出た。あとは2万字以上書ききるだけになった。
演劇の方は中旬以降どんどん稽古が楽しくなってくる。決して演技は得意でないし不器用だが、理想とするイメージに向けて少しずつ磨き上げていく過程に夢中になった。
また下旬には、ゼミのチームで打ち上げを行ったがその時1杯2000円くらいのウォッカを飲み初めてウォッカを美味しいと思った。
12月
初旬に京都に伊勢に行ったのと同じメンバーでいったが、そこそこ高いランチを食べていい気分を味わった。また、内定者懇談会で高級ホテルのコースやバーを味わい、ゼミの先輩との食事会でも少し高い美味しいそばを食べ、少し高いお金を出すだけでずいぶん良い体験ができることを学ぶ。
中旬に完成版の卒論を提出した。下旬に少し修正を行ったが、とにかく卒論は終わり、ゼミも終了した。後は2科目どちらかの単位をとれば卒業となる。
卒論終了以降は、稽古に引き続き取り組むとともに、プログラミングの勉強を再開。最初はオリジナルのアプリを4月までに作ろうと考えていたが、卒論や2月に再び舞台に参加することになったので4月以降になると思う。
下旬は部活や学部の友人と忘年会が何件かあった。元々1年半休部していたので2年生以下の後輩とはほとんど面識がなかったが、この頃ではだいぶ打ち解けることができてきた。
2013年度総括
前半は就活でひたすら苦しみました。その頃のつぶやきをみるとなかなかひどいもんです(笑)そのあたりで色んな人にアドバイスをしてもらったり励まされたりしましたが、そこのことに月並みですがとても感謝してます。
そこで散々苦しんだおかげか、最近では以前より落ち着きがあると言われることが多くなりました。より老けたとも言われますが。
中盤から後半は気楽に旅をしたり、好きなことをやったり勉強したりと仕方なくやっているバイト以外はなかなか自由に楽しくできました。
来年からは序盤に公演が2つあり、その後はいよいよ社会人として働き始めます。また最初はきついでしょうが、1歩1歩やっていくつもりです。
