今少~しずつ読んでいる、こちらの一冊📖。

 

100人以上の日本人作家が「お金」について語ったエッセイ集で、めちゃくちゃ面白いんです✨。(↓目次)

その中には、文豪・吉川英治が、当時の出版社の人に当てた手紙がありました。
書簡の日付は昭和33年。

彼がすでに文壇のトップとして、ばっちり稼いでいた時期のものです。

※出典:『お金本』左右社(編)、著者多数(吉川英治ほか)

この吉川英治の手紙が凄いんです。当時誰よりも書きまくって、売りまくったのに、自分の原稿料を下げて読書のために本の値段を下げろとか、

(そんなに売れないだろうから)部数を多くはすらないで、大事をとって控えめにしてくれとか、人気作家が、自分をこんなに“低く見積もる”ことってあるでしょうか。


これはまさに、痺れるほどの「文士の魂」ですよね。照れ


🖋️ 吉川英治の凄み

1. 読者第一主義

「読者が買えなきゃ意味がない」
「予定単価では高すぎる、もっと下げよう」

普通こういうことって、出版社が言うんです。 

でもこれは作家の側からの提案なんです。 

根っこにあるのは、物書きとしてのプライドじゃなくて、「読む人への愛情」なんですよね

 2. 自分の原稿料を下げてでも…

「御製本よりも三分は引いてください」


これはつまり、自分の原稿料(取り分)を減らしてほしいということ。


はじめ私は、3割も値引きして売るの?びっくりって、驚いたんですが…

🍵江戸時代の「分(ぶ)」はこういう単位でした。↓

一割(=10%) 

 一分(=1%) 

 三分(=3%)

出版社さんのことも考えて、ほんの 3%だけでいいので、読者のために安くしてほしいという、遠慮と真心のバランス感覚のある言い方です。


3. 部数を控えて、大事をとる

「部数も初版からたくさんは刷らないでください」

これって、出版社からすれば「えっ!?」ってなる。
でも吉川英治は、「慎重に」「丁寧に」届けたいっていう気持ちが強くて、ブームに乗ってバンバン刷って、粗悪になるのを嫌がったんだと思います。

普通は印税が入ってきたらすごく嬉しいし、部数も伸びたらすごく嬉しいのに、正反対のことが言えるんだから、すごいなあって感心しました。


売れることは自分の"力の証明"になるから、誰だって嬉しいはずなのに。


でもふと思いました。


「彼は、たくさん売れてたからそういう行動が取れたんじゃないの」って。うーん


作家のお金の話を読んでいると、出てくる文豪たちはだいたいみんな、お金に苦しんで必死に稼ごうとしています。


その中で、印税トップだった彼が

「本の値段を下げてあげてください」

「部数は控えめで」

そう言えるのは、"余裕"があったからじゃないか?って。


そして、こんな問いも浮かびました

「人を思いやる優しさは、自分に余裕があるからこそ生まれるものなのか、本当に余裕がなくても、他者への視点を持てるのか?」 うーん


ちなみに吉川英治にも、厳しかった時期があるのかを調べたら、以下の出典がありました。↓

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「厳父の家業失敗により、著者は11歳で実社会に抛り出された。以来、印章店の小僧をはじめとし、印刷工、給仕、小間物の行商、港の船具工など、幾多の職業を経験し、浮世の辛酸をなめ尽す。」

(出典:「忘れ残りの記 ――四半自叙伝――」、講談社、1989年(底本)、第1頁解説より)


「幼少なぼく一人のヤセ腕で、病父と幼い弟妹など六、七人の家族が、貧乏長屋の片隅に、やつと生きてゐる状態だ…」


「幼いながら一家の大黒柱としての自覚、また逆境に芽生える思慕の情、隆盛期の横浜が少年の著者に投げかけた強い色彩──その波瀾に富んだ少年期を回想した四半自叙伝であり、吉川文学の原点でもある。」

(出典:「忘れ残りの記 ――四半自叙伝――」、講談社、1989年(底本)、第1頁解説より)

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 彼は幼少期から一家を支える苦労を背負い、
"余裕のなさ"を誰よりも知っていました。 


それでも、成功したあとも「人を思いやる心」を忘れなかった。それが、吉川英治という人の芯だったんだなと思います。


そして、ふと自分をふり返ると……🙈

 ……私にも、余裕なんてありません。🤣 


時間も体力も精神的にも、1日1日をギリギリで過ごしています。 


でも。 


 彼ほどではないにしても、
「人を思いやる気持ち」や「心の余裕」は、
それでも持ち続けていたいものだなあと思いました。ピンク薔薇