💡知性はあるのに“働けない人”の共通点

頭はいいのに、なぜか働けない人っていますよね。

――そんな人を、私は何人か見てきました。(ブログで見かけて、驚くこともあります)

思考は深く、分析力もある。語彙も豊かで、一見“強者”に見える。

それでも現実には一歩を踏み出せず、部屋に閉じこもってしまう。

ずっと、なぜなんだろうって考えてきました。うーん


1. 思考の洪水

彼らの頭の中は常に“思考”であふれています。

過剰な自己分析、無限のシミュレーション。

思考の速度が実行力を超えてしまい、「やる前に疲れてしまう」のでしょう。(石橋を叩きすぎて、結局渡れない。例えば履歴書を“完璧じゃない”と書けずに止まってしまう、そんな感じです。)

2. 完璧主義という檻

「理想通りにできないなら、やらない方がいい」

そうやって足を止めてしまいます。

プライドが邪魔して、地べたを這うことを拒んでしまうのです。

ここまでは、単に「働けない知性」の特徴として理解できる話かもしれません。(思考が重すぎるタイプとして)

でも…どうしてもモヤモヤしてしまう人たちもいるんです。

知性はあるのに、自分は何もしない。 
それなのに「働いている人」を下に見る。 

「自分の知性はこんな単純労働には使わない」 
「無理しても意味ない」 

 ――そんなふうに、一生懸命に働く人をどこか冷ややかに扱う人がいます。
実際にブログでそういう声を目にして、私はとても驚きました。

なぜなら――

一生懸命に働く人を、ただ傍観しているだけの人が軽んじてしまうのは、とても残念なことだからです。

それはただの意見ではなく、敬意を捨てた行為です。

自分は安全地帯にいて、何のリスクも背負わないまま、“現場で踏ん張っている人”を見下している。

私は本来は知性を、人を助けたり、社会を少しでも良くしたりするために使って欲しいと考えます。


でも、時には知性が他人を傷つけ、自分を守るためだけに使われてしまうこともあるんですよね。💦


そして、それを振りかざしてしまう人は、きっと自分の弱さを隠すために、そんなふうにしてしまうのかもしれません。


本当の知性は、働く人を決して見下さないものだと思います。

どんな仕事にも尊さがあると知ること。

他人の努力を笑わないこと。

もし本当に知性がある人なら、まずは“人としての敬意”を大切にできるんじゃないかなと思います。

💡結びに

「頭がいいのに働けない」こと自体を、私は一概に否定しようとは思いません。 

でも、働いている人を見下したり、馬鹿にしたりすることは、やっぱり違うと思うのです。 
 私は、その姿勢に強い違和感を覚えます。それは単なる嫉妬や僻みではなく、現場で踏ん張っている人間ネガティブとしての、素直な実感です。

私が考える本当の知性とは、働く人を馬鹿にすることじゃない。むしろ「文句を言わずに淡々とやり切る」ことにこそにあると思います。

みなさんはどう思われますか?

働かずに机上の理想を語る人よりも、与えられた仕事を黙々とこなす人の姿のほうに、どこか尊さを感じませんか。 

 満員電車に揺られながら通勤する人々を「社会の歯車」と揶揄する前に、一度でいいからスーパーのレジに立ってみてほしい。あるいはコンビニでも、飲食店でも。 

その場所に立ったときにこそ、きっと見えてくる「知性のかたち」があると思うのです。 

人によって「本当の知性」の答えは違うでしょう。
それでも私は、知性が人を見下すためではなく、人を支えるために使われる未来を願っています。