本日の着姿です。
単衣の塩沢紬に、更紗模様の袋帯です。


最近こちらの本をAudibleにて傾聴させていただきました。

確かに、8歳の妃鞠さんが示すバイオリンの初動の高さは素晴らしいものがあります。「天才とはこういうことなのか」ということを我々凡人に教えてくれています。
遺伝とはあらゆるジャンルに及び、知能や音楽センス、美術的才能、姿形、スポーツ、精神にいたるまで、 全てがその人の生まれ持った才能となります。(出来不出来含め)
もちろん遺伝はガチャ的なところがあり、優秀な両親から非優秀な子供が生まれることも、逆に非優秀な両親から優秀な子供が生まれることもあります。遺伝の可能性は何万通りもあり、同じ両親から生まれた兄弟でも全くその性質が違うことも多々あります。
だとすれば、その道の才能のないものは初動において「明らかなる困難」を示すともいえますね。

私は毎日中学1年生になる娘のお勉強を見ていますが、 中学からスタートした英語のお勉強に対しては、その「初動の低さ」にのたうちまわっています。
この「初動の高さ・低さ」というものは生まれつきであり、その意味においては「人間は大変に不平等な生き物である」と言えましょう。
ちなみに、この本の対談の中では「犯罪遺伝子🧬」についても述べられていました。遺伝における発現率は環境によって異なりますが、衝動性や凶暴性などの犯罪を起こしやすいリスク遺伝子を持った人々は明らかに存在するそうです。
もしそのような、犯罪を起こしやすいリスク遺伝子を持った人が犯罪を起こした際には、我々はそれを持たない人と同じように処罰するべきなのかどうかということも話題に上がっていました。
また、本の後半ではゲノムにおける遺伝子操作についても語られていました。今や生まれてくる子供の遺伝子操作が可能な未来が見えはじめてきているそうです。
そうなった時に、遺伝子操作を受けてさらに美形で優秀となった金持ちの層と、遺伝子操作を何も受けずに生まれてきた一般の人間たちとが共存していく社会となります。

そうなると、「生まれながらの不平等」が益々拡大する社会となりますね。
たかが遺伝子、されど遺伝子。
お二人の対談は 大変に興味深い内容でありました。