
内舘さんの小説「すぐ死ぬんだから」の時も凄かったけれど、この「女の不作法」でも「女の面倒くさがり」や「不精者」について、それはそれは手厳しいコメントをなさっています。
内舘牧子さんは、本当にお洒落な方です。

P41本書引用
自分に手をかけることも、綺麗に加齢したいと努力することも、髪から洋服までに気配りすることも、面倒くさい。なのに、「私、ナチュラルが好きだから」と平然と言ってのけたりする。こういう人たちにとって「ナチュラル」は実に便利な言葉だ。本当は単なる不精なのに、「ナチュラル」だとごまかせる。
(いつもお洒落な内舘さん)
P42本書引用
手入れをしないバサバサのごま塩頭、それをゴムや髪留めで適当にとめる。肌は ゴワゴワと硬そうで毛穴は開きっ放し。シミ、シワに加えて、眉はゲジゲジ、 二重アゴ、三段腹。服のコーディネートなど一切考えず、楽ならいいのである。これで他人と会うのは無作法だ。なのに「私、ナチュラルが好きだから」と言うのは、もっと無作法だ。
これを内舘さんは「中高年の老いっぱなし」と表現しています。老齢になっても手入れを怠らないでいることは、かなりの気力がいりますし、お洒落は知性だなあとつくづく思います。
ちなみに樋口恵子さんも、その著書「老いの地平線」のなかで「お洒落心=社会性」であると綴っています。

「老いの地平線」での対談のなかで、脳科学者の瀧靖之さんは「見た目と人の実際の健康は合致するとも言われています。一般に若く見える人は、外に出る機会が多いようです。いろんな人と話し、好奇心を持って活動している。そのために身だしなみに気をつけ、おしゃれにも関心を持ち続けている。好奇心とおしゃれも関係していそうですよね」とも述べておられます。
中高年以降の「見た目」は知性であり、社会性であり、好奇心と健康のバロメーターである。
とりあえず、60才を超えたらこのお二人を見習ってジャケットを買おうと思います。 ジャケットとインナーとジュエリー。お二人を見ているとこの3点セットがあれば、60歳以降のお洒落も乗り切れるような気がいたします。
後は着ていく「場所」ですよね。
その辺のスーパーに夕飯の買い出しに行くためだけに、 ジャケットやジュエリーをわざわざ身にまとうのは面倒くさいような・・。
やはりお洒落をした後には、人と会ったり美術館やコンサート、観劇などの「お洒落をして出かける場所」がなくてはなりません。
「お洒落をするには、お洒落をして出かける場所」が必要であり、そのような場所を持っているという文化的なベースがなければなりません。
こうなると「中高年以降の美しさ」には、かなりのお金もかかると言えます。いやはや恐ろしい。
女性は年を重ねる程、若い頃の持って生まれた美貌よりも内面の充実や健康が見た目に強く影響していくのだとすれば、老齢になっても「お洒落心」は絶対に手放したくないと思います。
その点着物はずっと着れるから、年をとってからのお洒落にも便利です。着物万歳。