小6娘と受験校の過去問を解く毎日です。


算数は計算問題がきっちりと解けるようになり、やや合格点かなといったところなのですが、国語が壊滅しています。


知識問題もですが、何せ読解問題が解けません。特に記述が全く出来ません。ネガティブ


私は小さい頃から読書が大好きだったので、読解問題で苦労したことがありません。だからこそ、なぜ解けないのかがわからないのです。


読解が出来ないのは「本を読まないからだよ」とも思いますが、生まれつき足が速い子は走るのが大好きになりますが、生まれつき足が遅い子は走るのが苦手だと思います。


走るのが誰よりも苦手なのに、陸上部にいる子など見たことがない。


読書とて同様で、本を読みたくない子供に無理やり本を読ませることはできません。


ここ一年は毎日娘と一緒に文章読解を行い、音読をさせながら語彙の意味を確かめていき、明らかに熟語の読みや意味を把握する力は上がってきたと思っています。


文章への理解力も深まってきていると感じますが、まだまだ中学受験レベルの読解を解くには時期尚早だったのだろうと思います。


これからも、娘との音読演習は続けるつもりです。娘が高校三年生になっても続けたいです。その頃まで続けたなら、きっと読解力も人並みになれるのかもしれない。


そのぐらいのスピード感の子もいるのだと思います。中学受験においては、娘の読解力はゼロに等しい。


アメリカのマイケルサンデル教授は、能力主義は平等ではないと訴えましたが、我が子供たちを見ているとその主張には共感を覚えます。


勉強ができるという能力一つを取ってみても、努力とは 関係のない世界に生まれ持った知能があります。偶発的に備わった知能の格差が、評価に直結してしまうということ。


そして残酷なことに、努力出来るという才能さえも生まれ持った格差があります。


人と同じ結果を出すためには、人の何倍もの努力をしなければならないタイプの子供がいるということ。同じ結果を出すにも 何倍もの時間がかかるということ。


中学受験においても、生まれ持つ能力格差の残酷な一面を垣間見ることができます。