「ケーキの切れない非行少年たち」で有名な、宮口幸治先生の本を読了いたしました。

 

世の中には「あの人はどうしてあんなにも、敵意をむきだしにするのだろうか」と思える人がいます。そして大概そのような人は、常に自身の中に敵意を溜め込んでいます。


「敵意を持ちやすい人」には"どうして自分だけが"といった怒りが渦巻いていたり、誰かに対する強烈な嫉妬心を持っていたり、自分を愛する気持ちが強すぎたり、異常な 所有欲を持っていたり、常識とはかけ離れた固定観念を持っていたり、大きく判断を誤っていたりといった、生きづらさや苦悩があるそうです。


「敵意=怒り=生きづらさ」

何事に対しても不平不満がある人は、生きづらい人。


そんな彼らの根底にある感情は「幸せになりたい」という思いなのだそうです。しかしながら、他人を不幸の渦に巻き込んででも、自分の幸せばかりを求めすぎてしまうと「歪んだ幸せを求める人」となってしまうのだとか。


他者と自分を比較した時に「怒り・嫉妬・自己愛・所有欲」などにより認知の歪みが出てしまうと、その歪みが人の行動に大きな影響を与えるそうです。そうなってしまった人は、自分だけでなく他者をも巻き込んで、本当の幸せから遠ざかってしまいます。


ある出来事に対して腹を立てるか立てないかは、それぞれの人が持っているストーリーによって異なります。同じ声掛けに対しても、それを好意的に受け取るのか、被害的に受け取るのかは各人の思考パターンによって変化していくのです。


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呉服屋さんにお勤めをしていると、様々な年代の女性と お話をする機会があります。

私がいつも関心をよせているのが、最終的に「人生を楽しんで幸福に包まれている」女性とはどのような人たちなのかということです。

女性が10代の頃(振袖世代)というのは確かに、「見た目の美しい」女性がこの世の春に見えます。20代の女性にとっての自身の見た目は、他者や自分自身からの評価に絶対的な影響力を持っています。

美しく生まれた女性は、その後の幸せな人生を約束されている「羨ましい存在」であるかのようにうつります。

また優秀な大学にいる女子学生も、自身のこれから築きあげるであろう未来に対して、自信と誇りを持っている印象を受けます。

さて、そのような女性たちも皆、結婚をして子供を産むと子育てに追われて呉服からは一時遠のきます。

そして50代以降。子育てを終えて、これからは自分自身の失われた青春をもう一度取り戻すべく、人生を存分に謳歌出来るアラフィフ・アラカンの女性とは、どのような女性達であるのかということです。

実に驚くべきことに、人生の後半戦を輝いて楽しむ女性たちは「かつての美女軍団」や「高学歴女性軍団」が中心ではないということなのです。(もちろん美女も高学歴もいらっしゃいますが、それが主流アイテムではないということ。試しに日本女性における長者番付のお写真を検索してみてください。美女軍団が見当たりません。笑)

人生の後半戦でスポットライトを浴びて輝く女性たちは、「性格の良い明るい女性達」なのです。

私はここに、上記の本の著者である宮口氏の言葉を重ねます。「他者と自分を比較した時に"怒り・嫉妬・自己愛・所有欲"などの認知の歪み」を持ち続けて来てしまった女性は、その生きづらさの中で自分の人生を台無しにしてしまいます。

「物事に対する認知を歪ませることのない、明るく性格の良い女性」は、たとえ離婚をしても、夫に先立たれても、 生涯独身であろうとも、苦労をしていても、皆さん明るく前を向いて人生を楽しんでおられるのです。それまでの仕事の有無や種類も関係ありません。

私が25年間呉服屋をしながら、沢山の女性たちを見て感じたこと。幸せな人生を歩む女性の条件とは、ルックスでも学歴でもなく、最終的には性格なのだなあと。そしてなぜかそのような方にはお金も人もついてきます。

「女性の幸せは性格勝負」私はそう感じています。