一昨日主人の実家の広島に帰省し、昨日は家族みんなで入院中の義父のお見舞いに行きました。


義父の容態があまり良くない事は聞いていましたが、思った以上に悪化していて、ベッドの上には「絶食中」の紙がはられていました。💦


お見舞いに行く前日までは喋れていたそうなのですが、お見舞いに行った時にはもうかなり苦しそうで、主人の名前を1度呼べただけでした。


家族みんなで「おじいちゃん」と呼び掛けたり、体をさすったりしながら、義父はみんなが来たことはわかったようでした。体の痛みがひどく、義母はこれ以上の延命治療(経管栄養)はしない旨をサインしていたそうです。


チャーミングな義父はとても寂しがり屋さんで、義母は 入院中の3ヶ月毎日、11時から19時の面会時間の間ずっと義父の病室でつきそっていたそうです。


次のお正月の帰省の時には義父はもういないかもしれないから、このお盆が最期のお別れになるだろうと思いながら病室を後にしました。


我々が義実家について間もなく、義母から電話がかかり、再び主人が病院に行ったところで義父は息をひきとりました。最期に家族に見守られながら時を過ごせた義父はとても幸せだったなあと思いました。


義父は最期に何か言いたそうでしたが、きっと義父の口ぐせだった「家族でみんなで仲良くね」と言いたかったのだろうなと感じていました。


驚いたのは、義父死亡後に家族全員が揃ってから45分後には病室を撤収になったことです。亡くなったのが高齢者だからまだ家族も落ち着いていましたが、家族がまだ取り乱して歩けないこともあるだろうに、あっというまの撤収でした。病院は待ったなしですねガーン


担当医だった先生は、入院中の3ヶ月、毎日つきっきりで義父のそばにいた義母に「素晴らしい看病でしたね」との感想を述べておられました。


本日はお通夜でしたが、まさか帰省中に義父が亡くなるなどとは思ってもいなかったため、喪服の用意を一切していなかった我々家族。急遽4人分の喪服レンタルとなってしまいました。お盆休みだったのにもかかわらず、レンタル衣装屋さんがお店を開けてくれました。


義父が亡くなった日(昨日)の夜3時に、隣で寝ていた夫が急に私にしがみついてきて、「お父ちゃんが近くで何か喋っている。怖いよ((( ;゚Д゚)))」といってきました。しがみついてきた夫の腕は鳥肌がブツブツと立っていて、私は「お父さんの声なら、しっかりと聞いておきなさい!」とカツをいれました。夫は一瞬泣いてからまたすぐに眠りはじめましたが、私はそのあとまんじりとも出来ない時を過ごしました。ガーン


夫にあとで聞いたら、義父が枕元で何を言っていたのかはわからなかったそうです。きっと夫には「家族をしっかりと守るんだぞ」と言いたかったのでしょう。義父は本当に人格者でした。昨日はペルセウス座流星群の降る夜でしたし、流れ星にのって義父は空にのぼって行きました。


ちょうど我々がお盆の夏休みで、私も夫も休みを延長することなく、子供たちの学校にも影響なく、広島からとんぼ返りする必要もなく、一周忌もお盆という、誰にも迷惑をかけない日にストンと亡くなったのも、さすが義父らしいなあと思いました。


本日は義母はお葬式の会館に棺の義父とふたりで泊まるそうです。職員さんもみんな帰ってしまうのに、怖くないなんて凄いなあ。


私「パパなら棺の私とふたりで泊まれる?」


パパ「泊まれるよ」(おじいちゃんの声が聞こえただけで怖くて震えて泣いていたくせにうーん)


私「もしもその時に私が棺から起き上がったらどうする?」


パパ「たたきのめすよ」


・・きっと私もパパが起き上がってきたら、スコップで応戦することでしょう。指差し


明日は家族みんなで、おじいちゃんとのお別れです。おじいちゃんは6万円のオプションで綺麗にお化粧をしてもらい、本当に眠るように穏やかな優しい顔をしています。遺影は娘のお宮参りの時の、優しく微笑んでいる写真を使用いたしました。