池田清彦氏のこちらの2冊を読了いたしました 。

 

池田清彦(生物学者・早稲田大学名誉教授)

「現代における優性学」とは何か。


YouTubeなどを見ていると、ひろゆき氏が「高齢者の延命治療は保険適用外にして 自腹にするべきだ」と発言していました。日本以外の国で高齢者の延命治療が社会保険でまかなわれている国はないと言っていました。


「コロナ渦でのトリアージ」(高齢者より若者を優先する)や、「尊厳死」「安楽死」問題などについても様々な意見が出ていた昨今であります。


少子高齢化の時代において、今後も老人の割合が爆発していくのに対して、現役世代の人数や出生数は激減していきます。国民が経済的不安を抱えながら、高齢者への高額な延命治療費を、税金から出し続けていくことの是非を問う YouTube でした。


そのようななか、本書に書かれていたフレーズが目にとまりました。

本書引用p7

社会にとって有益ではない人間は不要である・・ そうした考え方は、障害者や高齢者のみならず、 失業者や生産性の低い労働者にも向けられつつあります。中略


現代優性学は優秀な遺伝子を増やし、劣悪な遺伝子を淘汰するという、旧来の優生学から離れて、「生産性のない人間を直接淘汰する」という、より過激な方へと向かっているように感じられます。


池田氏によると、現代優生学の思考とは「社会にとって有益でない人間の生存コストを社会全体で担うべきではない」「無益な人間は社会から隔離し、場合によっては生命を断つべきだ」という価値観に基づいていると言います。


私も少子高齢化問題やそれに伴う社会保障費の増大などのニュースを見るたびに、経済の低迷や財源不足のなかにあって、今後も増大していくであろう「終末期高齢者の延命治療」に対して、様々な意見を見聞きします。


現在の日本の制度では、一度延命治療を決めてしまうと、終末期の高齢者であっても途中で治療をストップし、「緩和ケア」に切り替えることができません。


しかしながら社会保障給付費の9割を占める年金・医療費・介護費の財源不足を根拠に「安楽死」を制度化することは、確実に優生学的な思想へとつながっていくと池田氏は警告をならしています。


人の命を「役に立つ・立たない」という、極めて個人の主観的な価値観ではかってはならないというのです。


確かに安楽死を希望したとして、貴方は「安楽死が許される人・許されない人」という最終的な見極めを、一体誰が判断するのか。そのような是非の見極めが、担当医師の個人的な主観になってしまうのは大変恐ろしいことだと思います。


優生学思想と安楽死の問題は、今読んでいる児玉真美さんの本でもかなり深く取り上げられています。

 この本では終末期医療における安楽死が合法化された海外国で、安楽死適用の範囲が次々と拡大解釈され、終末期の高齢者のみならず障害者や精神障害者、貧困層にまで適用されている様子が描かれています。


コロナ禍において「社会に迷惑をかける人間は糾弾すべき」という、自粛警察的な雰囲気があれだけ強く出た日本において、「高齢者への延命治療の自費化」や「終末期医療の安楽死」を許可することにより、「人に迷惑をかける」存在が許されない日本へと進んでいくことは、本当によく考えなければならないなと思いました。