こちらの本の続きです。

 

本文P35引用

子供達に解かせる時には、自分のことだけに集中することと、昨日の自分のタイムよ速く解くことだけを意識させます。


子供は必ずステップアップしながら生きていきます。その成長した部分をそのまま 褒めてあげてください。


先日ブロ友のくま子さん が記事にあげていた引用文に衝撃を受けました。



著述家の山口周さんが書かれた文章の中には「公正世界仮説」という言葉が紹介されていました。これは分かりやすく言えば「努力は必ず報われる」という考え方です。

もちろん努力をして物事が出来るようになることはとても素晴らしいことです。しかし「努力絶対説 」で成果を得た人は「私は人一倍の努力をしたから勉強ができるようになった」と考え、「勉強ができないのは努力をしないからだ」という自業自得説にとらわれてしまうことがあります。これを山口氏は「努力原理主義」と呼び批判しています。


エジソン
横綱 稀勢の里

私も子育てをする以前はバリバリの「努力原理主義者」で、成果が出ないのは努力不足であると思っていた節がありました。

しかし毎日2時間付きっきりで勉強を見てきた娘は、いまだに学校の学力テストで平均点を取れません。(いつも70点台悲しい)

誰よりも努力をしながら、誰よりも結果が出せないという 残酷な真実もあるということを、子育てを通して歯ぎしりをしながら学んでいます。

有名な「1万時間の法則」というものがあります。誰でも1万時間練習すればその道で一流になれるというお話ですが、山口氏はこれは偽りであると 論じています。

(引用) 

また成果における練習量との関係を、以下のようにも述べています。

(引用)
教育における練習量の成果はたったの4%だなんて!

(山口氏の記事より引用)

「努力は報われる」という主張には一種の世界観が反映されていて非常に美しく響きます。 しかしそれは願望でしかなく、現実の世界はそうはない ということを直視しなければ、「自分の人生」を有意義に豊かに生きることは難しいでしょう。


これらの文章を踏まえ私は考えました。「努力原理主義」にばかり偏重すると、「成果を収めない人間は努力不足である」という思考に囚われてしまうし、「持って生まれた才能が全て」となれば「才能のない私はいくら練習しても無駄」という絶望にはまり、夢も希望もなくなります。

確かに「才能」は車輪の大きさのようなところがあり、 自転車と三輪車を同じ時間漕いでも、進める距離には大きな違いが出ます。

親が我が子の車輪の大きさをあまりに過大評価し、現実を見つめる力を持たなかったことによる悲劇もあります。


ここで重要なことは「目標設定」を見謝らないことだと思います。三輪車と自転車とスポーツバイクでは走れるスピードも、期待出来る目標値も全く変わってきます。

よって一番最初にあったこちら( ちゃんと失敗する子の育て方)↓の引用文がポイントになると思います。



他人の子供と比べて焦ることなく、「昨日の我が子」からみた成長をみつけて喜んであげること。

私がこのブログを書くにあたり、私の才能以上の成果を求めていたならば(トップブロガーや売り上げなど)、「私にはその才能はない」とブログを早々に諦めていたと思います。

私はブログを「書くことが楽しい」という気持ちのみで続けています。だからこそストレスなく楽しみながら続けていけるのです。

目標は小さくたっていい。

よって私は娘とのお勉強も「ママ、お勉強って楽しいね。 できるようになるって嬉しいね」というその一点のみで 続けていけるように、娘のどんなに小さな「出来たおねがい」にも喜んであげられるような親であり続けたいと思います。