4月の4日に配信された こちらの Yahoo記事を読んで考えます。


世帯収入が600万円以下で扶養内の子供が3人以上いるご家庭に、政府が給付型奨学金を拡大するという発表がありました。

これを受けて出たコメントの多くが、一定の学力検査を設けるべきという声でした。

〈給付型は優秀な人に与えられるべき〉

〈収入制限でなく大学の偏差値で決めるべき〉

〈 Fラン私立大学に給付型奨学金ってどうなん?〉

確かに一理あるとは思いますし、私もそう思います。
「努力した人間が報われるべき」
「国を支えていくであろう優秀な頭脳に財源を投入していくべき」

しかし思うに、優秀な大学に行く方々は一般的にいえば将来良い収入を得る可能性が広がります。そして偏差値の低い大学では、将来低い収入に繋がる可能性があるので、奨学金を返済していくのはどちらが大変だろうかということです。

年収600万円の人が返済する奨学金400万円と、年収200万円台の人が返済する400万円では、その大変さには雲泥の差があります。

よって学力で奨学金の有無を決めてしまうということが果たして福祉の観点からみた時に「本当に平等なのだろうか」ということです。

「奨学金を返済するのは子供自身であり親の収入は関係ない」というご意見ももっともではありますが、ちょっと考えてしまう記事でありました。

あるアメリカの映画が YouTube で紹介されていましたが、IQ120の夫婦が「子供をきちんと育てられるようになるまではまだ子供を産むつもりがない」と言っている一方で、IQ80くらいの夫婦が「あんた!また4人目が できちゃったじゃないのよ。どうするつもりなの?」と喧嘩している時に、夫の不倫相手からも「妊娠した」との電話がかかってきて、IQ80の家系図のみが爆発的に増えていくという映画でした。(IQ120夫婦は生涯子供を産まなかったの巻)

 学歴社会が強い韓国では出生率がとうとう 0.78 となってしまいました。子育て世代が「子供には十分な教育を与えたい」と思えば思うほどに少子化が進んでしまうという現実。💦


そうかんがえると、「どちらの夫婦のために 国家財源を投資した方が少子化に有利なのか」という パラドキシカルな展開も予想されますので、「奨学金における子育て支援策」は本当に難しいなと思った今日この頃でした。