息子が不登校だった頃を振り返り投稿してみます。![]()
息子が不登校になった小学校4年生の時に、私が息子に勉強を強制したから、息子を不登校にまで追い詰めてしまったのだと、自分自身を強く責めたことがありました。(今思えば息子が大好きだったパパの単身赴任や、反抗期による自我の爆発も大きく起因していたのだと思いますが)
ちなみにお子様が不登校の お母様方のブログを拝見していると、 母親自身が不登校の原因を自分の子育てに起因させる「母親反省タイプ」と、それ以外に起因させるタイプの2パターンがあって面白いなあと思っています。(私は原因を徹底的に「自分」のせいにしていて相当苦しかったです
)
不登校の息子を学校に戻すために、私はありとあらゆる努力を致しましたが、結局息子は主人が単身赴任を終えて戻ってきたと同時にケロリと学校に行くようになりました。 これを踏まえて思うことは、母親が不登校の子供に出来る事にはある程度の限界があり、最後のひとふんばりは不登校の子ども自身にかかっているなあということです。
不登校や保健室登校の期間に問題となるのが、その有り余る時間をどのように使わせるのかということでしょうか。私は子供の勉強を「大事に」するタイプでしたので、「不登校中もきちんと家庭学習をさせたい」とは思うものの、反抗をして嫌がる息子とは毎日喧嘩をしていました。![]()
結局最後には「中学受験勉強」はあきらめて、「進研ゼミにおける公立小学校レベルの勉強」だけはふたりで毎日頑張っていました。
今振り返り思うことは、いくら親が無理やり強制をして 中学受験の勉強に取り組ませても、反抗期の息子とは 罵り合う時間が過ぎていくばかりで、なんの効果もなかったなあと思います。
息子は何を思ったか、受験の3ヶ月前にいきなり中学受験をやると言い出して、ほぼ自力で受験用のテキスト解読をして合格を果たしましたが、これもやはり母親からの働きかけによるものではありませんでした。
その後 中学に入ってからは「ママとの勉強時間」を完全に拒否され、私は一切の手をひきましたが、自力でコツコツ頑張っています。
私は「私がいなければ息子は勉強出来ない」と思っていたし、実際に私から見る世界のなかではそれが真実でした。それらの思い込みを手放したのは、興味の対象が「娘の勉強」にうつったからであり、1人で頑張っている息子が実像として現れたことにより、やっと「私がいなければ」という「不安な思い込み」が消えました。( そんな息子を見て、娘も中学生になったら私から手放すんだと、自身に言い聞かせています)
「勉強を壮絶に嫌がる息子VS 死に物狂いで強制をする母」という歴史を振り返り思うことは、「母親のコントロールがきく時間はあまりに短い」という事です。そこをきちんと腹に落とさなければ、悲劇も起こりえます。