昨日のブログから、何故主人が"ふるさと納税"をする事に対して激怒したのかを考察してみます。


~黒の舟唄より~

我が家のパパと私の意見が食い違いを起こす原因のひとつに、「言語力」の違いがあります。主人はある事柄に対して「なんだか嫌だな」という感情を抱いた時に、それを言葉にして伝える事が苦手です。(本人自身が自分の中でもきっと言語化出来ていないから)


対して私(女性)は、自分の感情や思考を饒舌に伝えようとします。しかし、本来「言語化」が苦手な主人には、相手の女性の言い分を敏感にキャッチして理解することができません。よって会話がシャットアウトされてしまうのです。

主人は普段寡黙でありますが、内側にはきっと深い思考と造詣があるのであろうと、ずっと尊敬の念を抱いている私ですが、その威厳は案外、喋らぬが故のただの幻かもしれません。

さて、そんな主人が"ふるさと納税"を嫌がる理由を、私なりに考察してみました。

①ふるさと納税の認知は年々進んでいますが、令和3年における ふるさと納税をした人の割合は約12%でした。
私も参考までに職場のメンバーに「ふるさと納税をしているかどうか」を聞いてまわりましたが、誰ひとりやったことはありませんでした。

では、ふるさと納税をしない人の理由はなんなのかという事です。参照 

うちの主人も、「ふるさと納税って、要するに寄付だぞ?」と言っていて、その仕組みが理解出来ておらず警戒心が拭えないようでした。


よって「得をするとは思えないし、胡散臭いものには近付きたくない」というのが主人の本音かもしれません。(私も私の収入分だけでもポチろうかとは思いましたが、まずは自腹で引き落としが必要になるため懐が痛い。ましてや主人が○十万円もの金額をポチって引き落とすのは、かなり勇気がいることでしょう)


「動かざること山の如し」な慎重タイプの主人には、"ふるさと納税"は解りづらくハードルが高いと言えましょう。

②ふるさと納税の問題点を指摘させていただくならば、その"申請主義"です。ふるさと納税のシステムを理解して申請が出来る人だけが恩恵を受けられるということに問題を感じます。


この"申請主義における取りこぼし"は、ふるさと納税に始まったことではなく、生活保護システムなどにも共通しています。現在の日本において生活保護を受けるべき貧困状態にある人たちの、約8割が生活保護を受けていないという現実があります。同じ環境下にありながら、一方は生活保護に守られるのに対して、申請をしない人にはその恩恵がないという不公平感があります。何故日本は「申請をしない人々への不平等」をそのままにしてしまうのかという苛立ちがあります。

↓コロナの時もわかりにくかったし。

③年収もある程度以上が必要です。(153万円以上)
ふるさと納税の恩恵額は、高所得者になればなるほど上限額が上がっていくために「金持ち優遇制度」とも言われています。


ちなみに、世界一のお金持ちである ウォーレンバフェット氏は、個人資産の99%を寄付することを目標としているそうです。参照 


「お金持ちはどうあるべきなのか」
「お金持ちの社会的責任」を考えた際には、自分が得た収入を税金として納めることにより、社会の役にたつとするならば、社会に還元するべきお金を取り戻して、飲み食いに使っている場合ではないとも言えましょう。

④自治体の財政圧迫

ふるさと納税は、2008年から地方と大都市の格差是正・人口減少地域における税収減少対応・地方創生を目的に設立されました。ふるさと納税は 自分が住んでいる地域に納めるべき住民税や所得税を、地方に寄付する制度です。よって当然、ふるさと納税で潤う地域と流出を余儀なくされる地域が出てしまいます。

(2019年・神奈川県)↓

(2022年・千葉県)
(2018年・東京)

ふるさと納税で潤っている地域。↓


人口が集中する地域の行政サービスを低下させてまで、地方の漁港・農村牧草地帯へのサービスを充実させる政治的な意味がわからないのです。

牧草地帯に人はいません。

住んでいる行政サービスの低下は、ふるさと納税をしていない人々にも平等にふりかかります。これはふるさと納税を楽しんでいる人々が悪いのではなく、ふるさと納税のシステムに多大な問題があると言わざるを得ません。

なんだか長くなってしまいました。ニコニコ

無言で怒る主人から、こんなに忖度を繰り広げてしまいましたが。(///∇///)💦 主人がまさかここまで考えて"ふるさと納税"を嫌がっているとは到底思えませんが、ふるさと納税をしない主人を"たいしたもんだ"と勝手に尊敬をして、ふるさと納税問題への考察を終わりにしたいと思います。(主人から否と言われなければ、主人の携帯からルンルンでポチポチしていた筈の私)

※ふるさと納税をワクワク楽しんでおられる方々には、不快な批判を含んだことをお詫びいたします。