「ダメだ、ダメだと思いながらも、勉強が理解できない我が子をつい叱ってしまう」 そんな悩みを持っているお母様方が きっといらっしゃると思います。(私もですから。(。´Д⊂))
そんな体験から、「教育虐待」はある種依存症の一種なのではないか、という私なりの考えを綴ってみます。
例えば、摂食障害と教育虐待を比較してみます。( 以下は私の勝手な考察になります)
摂食障害は「太っている自分が許せない」という、太ることへの恐怖と強迫観念、痩せている自分への快楽から成り立っていると思います。
これを教育虐待をする親の心理に当てはめると、「勉強の出来る子供に育てたい」という気持ちから、我が子の勉強ができないことへの恐怖、子供が良い成績を取ることへの快楽の両面が伺えます。
このある種の脅迫観念は「教育=狩猟の習得」 であった狩猟民族時代から、「狩猟が習得できない=餓死の恐怖」として、我々の DNA に強く植え付けられたのだと思います。「子供が勉強出来ない」=「子供が将来やっていけない」という認知の歪みによる強烈な恐怖です。
上記の事件は2016年、当時12歳だった中学受験生を 父親が自宅で刺殺した事件になります。中学受験を志すまで、父親は息子に対し大変に子煩悩でしたが、中学受験を機に自宅で息子に勉強を教えるようになり教育虐待がエスカレートしてしまいました。
被告は「息子は宝物でした」と言っています。被告は息子に対し十分な愛情を持っていました。しかしその愛情故に、「息子の勉強が出来ない」ことへの腹立ちや恐怖感として理性を超えてしまったのだと思います。
「教育への衝動」の強弱は、人によって全く異なります。「教育への衝動」が強い親にとっては、 子供の勉強に関心のない親が理解出来ないし(将来子供がどうなってもいいのかと不思議)、「教育への衝動」が弱い親にとっては、「勉強ばかり押し付けて、あの親は馬鹿なのか?」と思うことでしょう。
これは全ての依存症患者と、その衝動を理解できない人間との溝とも言えましょう。
(ドーパミン絶好調、 星一徹)
現代では、人はこれを虐待と呼ぶ。
「巨人の星」
この愛情の深さが、スパルタを生んでしまうのですね。愛するがゆえに、出来ないことへの怒りの衝動を抑えることができない。それほどまでに真剣であるということなのです。
しかし子供の不登校や引きこもりの何割かは、この教育虐待が原因となっています。
中学受験や早期教育ブログなどにおいても、親が嬉々として勉強をサポートする姿が垣間見れますが、そうした親は勉強を教えることが 楽しいんです。
子供に勉強を教えたり、子供のスケジュールを管理したり、子供にプリントを手作りしたりがとても楽しい親なのです。あまりに楽しすぎて快楽ドーパミンが放出されて無我夢中です。(わかる人にはわかる。わからない人にはきっとわからない)
しかし子供の理解力には個人差がありますし、それが自分の期待に沿わない時に 逆上してしまうケースがあるということなのです。
( 母親の愛情深い過度なスパルタ教育により 摂食障害を起こしてしまったバイオリニストの五島みどりさんの記事)
子供を愛するがゆえのスパルタ教育でありますが、愛さえあれば虐待ではないのか?
「次こそは 怒らずに教えよう」
自分でも異常であると自覚があり、心からやめたいと願いながらも怒りの衝動がそれを許さない。
これは明らかに教育依存症(遺伝性あり)の状態であり、医療機関への受診が必要な状態だと思います。月影先生も星一徹も、すぐに病院に行かれた方がいい。
病院では認知療法などを通して カウンセリングを受けながら、依存を直していくこととなりましょう。