先日お店に、なかなか強烈なお客様がいらっしゃいました。
髪は鮮やかな緑をまだらに染め、あまりにラフなTシャツにズボン。そして初秋だというのに、素足にスリッパサンダルで堂々と呉服屋に登場。
もうこの時点で、エレガンスは何処かに置き去りの雰囲気。💦
お話を伺うと、「私は洗える着物しか着ないの」「この木綿は素敵だけど、6万は高い。私は6000円でも悩むの」
──はい、きました。
私の胸にムクムクと不愉快さが広がっていく瞬間。
お客様が心の中で「高いなぁ」と思うのはご自由です。
私だって心の中では、250円のほうれん草に毎回「高いっ!」って叫んでますから。🤣
ただし、それを売っている相手に直接ぶつけるかどうかは別問題。
そこにはやはり一呼吸置いて、相手の立場を思いやる視点が必要だと思うのです。
それはまるで、エルメスの店頭につっかけサンダルで入って、「この商品いくら? 100万? 高いわ~。私だったら5万でも悩むわ(笑)」と、店員さんに言い放つのと同じ。
言われた方は、自分が誇りを持って扱っているものを一瞬で踏みにじられたような、悲しい気持ちになるのではないでしょうか。
でもね、あとから考えてみたんです。
不愉快の正体は「金額」じゃなかった。
着物そのものへのリスペクトが感じられないこと。
会話している相手へのリスペクトがまるでなかったこと。呉服屋さんという、女性の夢を売る空間へのリスペクトもなかった。
言葉って、ほんの少し「これを相手はどう受け取るかな」と想像できれば、まったく違う響き方になるのに。
それが欠けていると、全体から“ガサツさ”がにじみ出てしまう。
結果、私は「貧乏くさい」よりもむしろ「悲しいな」と思ってしまったんです。
担当の女の子も「私、あの人前から苦手なんです」と即同意。
店長も「いや〜、あれはダメだね」と苦笑い。
どうやら私だけじゃなかったみたい。
でも、こういう出会いって案外ありがたいのかもしれません。人間観察の最高のサンプルになるし、逆説的に「エレガンスとはリスペクトの積み重ね」だと気づかせてくれるから。
緑髪サンダルさんのご発言は、接客をしながら心が痛んでしまいましたが、ある意味においては“反面教師”として、小さな気づきをくれた出会いでもありました。(●´∀`●)