スリラーじゃないと思うなあ。
数週間前に、ブラック・スワンを観て感動したんですけどね、この数日、テレビを観ていると
「すごく怖かった」とか、「どんどん精神がおかしくなっていくところが、この先どうなっちゃうんだろう、ってドキドキして・・・」とか、そんな意見ばかり取り上げられるのを観て、
「うわ~、ブラック・スワンをスリラーにして観客を増やそうとしてる気がする」って気持ち悪い思いがしましてね。
ちょっと思ったことを書きます。
ブラック・スワン、あれは誰もが感じる自分の殻を破る怖さと、殻を破って自分の理想、夢に手が届いたエクスタシーを肉体の表現と最新の映像技術で表現した「成長物語」じゃないかなあ。
日本人って、この話、シチュエーションはけっこう共感、もしくは近親憎悪的な嫌悪感を感じる人が多いんじゃないですかねえ。
自分を縛りつけているもの、罪悪感の原因、そこから出る恐怖、どれも自分を見せられているかのように感じる人いるでしょう。
劇中では、主人公の恐怖心や焦燥感を強烈な幻覚映像で表現していますけど、あれってまさにコンフォートゾーンから飛び出して夢を実現する過程の苦悩だなあと。
スリラーととらえてもいいけど、殻を破って大きく飛躍する過程をウマいこと表現したなあと思いまして。
ワタシはこの映画を観て、「あ~、こんなエクスタシーの瞬間のためならすべてを投げ出しても後悔しないかな。」って思いました。
なにより、このまま後悔するような人生はもう「おさらば」しようって感動の高ぶりとともに強く思いましたね。