二人で夕方から地下のバーにお忍びで立ち寄る。どのくらい居ただろうか。そろそろ帰ろうかとマスターに声をかけると、「今夜は台風の影響で電車が止まっている」という。

二人とも顔を見合わせて途方にくれていたが。半ば仕方がない。台風が過ぎる朝まで、なんとかバーで待たせてもらうか。それとも近くのホテルに雨宿りするか。悩んでいるとマスターがカウンターの奥から大きな傘を一本取り出してきた。マスター、ありがとう。答えは決まった。

店を出て傘を差す。マスターが教えてくれたホテルは、次ぎの辻を曲がったところにあるはず。大粒の雨が傘にバタバタと叩きつけてくる。大きな傘といっても、この雨では、あまり役に立たない。今日子のブラウスが、もうびっしょりと濡れて、肌に張り付いている。白い淡い肌が、まるで濾過紙を透いたように見える。

辻を曲がったところにホテルはあった。とにもかくにも駆け込んだ。ようやく二人だけの時間が、流れ始めようとしていた。

本当のような嘘の話し。まるで安請け合いのメロドラマのようなシナリオは、実際にはそう簡単には起こらない。嘘の行方は、ドラマの中だけのこと。でも、二人の時間がそう易々とは持てないいま、こんな偶然でも起きてくれないかなと神頼みになる。大地震でもいい。都会の真ん中で二人だけになれるような瞬間は起こらないだろうか。夢想しているだけでは虚しくなるばかりだ。

今年はまだビヤガーデンに行ってないね。神宮にある明治記念館のビヤテラスに夕涼みに行こう。そんな、ささやかな提案が、久しぶりの二人の時間をつくる。

待ち合わせたのは神楽坂だ。この近くで仕事を終えた今日子と待ち合わせ、そのままタクシーに乗った。乗ってすぐに抱きしめたかった。どのくらい今日子の身体から離れているのだろう。あの美しい乳房が瞼に蘇ると、股間が熱くなるのを感じる。明るい時間であっても構わないから抱きしめたい。強い今日子への思いをタクシーは乗せて、外堀通りからやがて迎賓館前を通る。

車窓の外を静かに見る今日子の、少しだけすました横顔が愛おしい。何を考えているの。何を思っているの。教えて欲しい。やがてタクシーは緑の影をアスファルトに落とす明治記念館のエントランスに寄せていった。

まだ今日子の身体の匂いを知る前に、上野の不忍池に向かったことを思い出します。
夏の間だけオープンしているという蓮見茶屋に誘いました。街の色がやがておとずれる黄昏を前にして、にわか涼しくなる頃。薄暮の蓮見茶屋の中でも、一番池に近い席に、二人で並んで座りました。

池は一面、蓮の葉に覆われています。葉の間から、所々、薄桃色に輝く蓮の花が凛としてこちらを伺っています。あのとき、どうして不忍池に誘ったのだろう。その後の二人の間に、忍び逢いを仕組んだ神様が、二人の糸をからめた瞬間だったにちがいない。

やがて陽が沈み、池がライトアップされると、美しい蓮はより美しく輝いてくる。池を隔てた遠くには赤い屋根の弁天堂が映る。このゆったりとした時の流れのなかで、二人が同じ印象深い光景を眺めていると思うと、静かな歓びが溢れ身体をつつんでいきます。

今日子は自宅で仕事をしている。気ままに家事をしている主婦だといいのだが。自宅にいるといっても仕事が忙しいうえ人妻だから、よそよそと簡単に逢うことはできない。それはよく知っている。でも、一週間も。そう、一週間も逢わないと、どうにも胸の奥が苦しくなる。身体の匂いを知る前は、そんなことはなかったのに。

デスクワークをしているオフィスに今日子から電話があった。いま流行のスマートフォンのことについて、いろいろと聞かれる。あいまいな返事だったかも知れない。今日子の声を聞いたとき、無性に逢いたくなってしまった。会話の内容などどうでも良かったのかもしれない。
「今年はまだビヤガーデンに行ってないね」「今日子の声を聞いたら逢いたくなった」と素直に伝えた。来週なら時間がとれそうだと、優しく応えてくれた。

人知れず忍び逢う二人。記録には残せない二人でも、過ごしたシーンの幾つかは、心の奥底に映しこまれているはず。そう信じたい。でも、あした今日を振り返ると、二人の出来事は夢のようにはかないかもしれない。それはいやだ。二人の時は、幻にはしたくない。

できることなら残しておきたいささやかな気持ちのかけらを記していこう。そういう強い思いから、素直に、二人の追憶をブログにしていきます。これが最初の言葉になりました。