だいぶご無沙汰している間に、もう11月ですね。
しおゆう、今月また1つ歳をとります。
そう、毎年おなじみ、埼玉県民の日に
実は今年6月に実父が亡くなりました。
享年82歳。
最後の一年半は認知症のため施設に入りました。間質性肺炎を患いながらではありましたが、認知症とは言え、最期まで私と妹を間違えたりはせず、孫たち4人のこともしっかり分かっていました。
ありがちなのかも知れませんが、2・3分前の記憶はないのに、何十年も前のことはよく覚えていて、懐かしそうに語っていたりしました。
9年前に亡くなった母のことも分かっていて、「何人もお見合いの話があったけど、乗り気になったのはお母さんが初めてだった」などと言ってみたり。
それ、母が生前に言ってあげて欲しかったなあ
母の時には亡くなる少し前に、我が家に伝わるオバケさん、『赤い着物の女の子』が現れたのですが、父の時には現れず・・・。いえ、来ていたかも知れないけど、『見えちゃう体質』の父にしてみたら日常で、口にしなかっただけなのかも?なーんて思ったりしています。
(『赤い着物の女の子』が気になってくださった方は、過去ブログ2011年9月11日の『赤い着物の女の子』をご参照ください。過去ブログの貼り方が分からないワタシ・・・)
施設に入所中も、介護士さん達に向かって「アレ?今あなたの頭から何かが入っていったよ」とか「裏の山(幻ではなく実際に山はありました
)、なんだか動いてるね。山の神が何か言ってるね」などと言い、度々ビビらせていました。
父の『見えちゃう体質』を知らない人には洒落にならない入所者だったと思われます(笑)
実家は、父が施設に入って1年程で売却してしまったので、私も妹も帰る場所がなくなりました。もう別の方が住んでいます。いえね、いきなり壊されて全く違う建物が建つよりマシなのかもですが、思い出が詰まった家に、もう入ることが許されない(当たり前ですが)のは、妙な気持ちです。
なんでしょうね、この淋しさ。
父も母も亡き人で、帰れる実家もない。
実家の荷物を整理・処分するのに3ヶ月ほど掛かりましたが、その間妹と2人、何度も泣きました。
中でも辛かったのが、父が撮りためた、母との新婚時代・私達姉妹が生まれてから結婚するまで・孫たち誕生・孫達幼稚園〜小学校の写真を整理していた時。恐らく数千枚に上ったと思います。全部は取っておけず、厳選して、それでも数百枚づつは持ち帰りました。カメラ好きだった父、人を撮ることは多くても、自分が写っているものが少なかったのですよ。
それに、親戚の集まりなどでも、他家族ごとに撮ってあげた写真は数多いのに、我が家4人が揃って写っていたのはわずか数枚(笑)貴重な写真になりました。
まだまだ、心にはポッカリ穴が空いたようです。
母のことだって、まだ完全には受け入れられていないのに。物悲しくなる秋、ふと物思いに更ける今日この頃です。
とは言え、相変わらずな娘たち(高3・中1)に振り回されながら、何とか日常は取り戻しつつあります。
ネタは取りためてあるので、近々ぜひ聞いてください
