〜本当のあなたを解き放て〜 -5ページ目
こんにちは
はまひとみです。
最近仲良くさせてもらってる方がいて、
その人のこと女帝って呼んでるんですけど(笑)
わたしのこの数年の出来事を話したら
女帝のご近所さんも
同じ事が起きてたそうなんです。
だけど全然違うらしくて。
女帝のご近所さんはその出来事以来、
落ち込んで元気がなくて
とても話しかけられる様子じゃないって。
捉え方次第で、
こうも違うかっていう
話しになりました。
良い、悪いでジャッジしたら、
たぶん悪い出来事。
幸、不幸でジャッジしたら、
たぶん不幸な出来事。
でも、
それやってもなーんにも
意味がないことを
身を持って体験させてもらいました。
そのとき、そのとき、
自分は何を思い
何を感じるか
決してポジティブな出来事ではなくて、
わたしは、
こわいを感じることでした。
「こわーい」 「こわいね〜」
「こわーい」 「こわいね〜」
湧き上がってくるものに蓋しないで、
よしよしって赤ちゃんをあやすように
自分をよしよししてました。
こわいを感じることから逃げたら、
こわいっていう思いや感情は
感じてもらえず、
受け入れてもらえない。
見ないで蓋したつもりでも、
結局はある。
そして、
たまにこわいの蓋がカタカタってなって
さらに蓋をしてなかったことにしよう
って過去やってきました。
これやると、
重たくなるし、
見たくないこわさは増大して、
ますますこわくなる。
じゃあどうする?
こわいの蓋開けましょう
こわーい! こわいね〜って
赤ちゃんになったり、
よしよしって赤ちゃんあやしたり、
一人二役やりましょう。
自分の中にあるな〜っていう実感があるなら、
見て見ぬふりしないで、
蓋開けましょう。
自分を無視するのが一番悲しいことだから。
こわいも、悲しいも、さみしいも
ネガティブな感情って
つらいかもしれないけど、
感じたくて湧き上がってくるもの。
どんな自分もいいよ〜って
受け入れてもらったらうれしいし、
ゆるしてもらえたらうれしい♡
どんな自分も自分で
ここに存在してる。
良い、悪いのジャッジも、
本当はないですよね。
あえて言うなら、
良すぎ。
自分は何を思い
何を感じているのか
ここに意識を向けた5年間。
つらくて逃げた日もあったけど、
逃げながらもやり続けた結果、
『今が一番幸せ』
の感覚は日々更新中です。
これを話すと、まじで?
って言われるんだけど、
本当やねん。
たまに子どもとこういう話しになるけど、
結局は
笑い転げて、
お腹いたーいってなる(笑)
どれも良すぎ。
すべて良し♡
こんにちは
はまひとみです。
みえないけど、
あると感じるもの
どう考えても幻想で勘違いなんだけど、
どう考えてもあるよね、
という体感。
わたしの深いところに
お母さんのことを
助けたいという思いがある。
無意識だから普段はわからないけど、
自分のことをみていくと、
ちらちらみえるんです。
それと同時に
助けられなかったという思いもあって、
無力な自分も感じられます。
感じてしまうから自分の中にあるんだけど、
それって本当?
ってこと。
助けたいお母さん
助けられなかった自分
でもこれはその奥に本当の思いがあって、
それを何とかするために、
そしてそこから目をそらすために
助けるってことになったんだと思う。
本当の思いに気が付くと、
ほっとするんです。
じゃあ本当の思いってなに?
それは、
安心できなかった自分
そして、
安心できなかったお母さん。
助けたかった、
助けられなかった、
これは安心できなかったから
安心するためにってこと。
安心できなかった母の元に生まれて、
安心できなかった自分、
誰が悪いわけでも、
何かを責めることでもなくて。
そして、
母も祖母から
受け継いできたんだと思う
ないようである
あるようでない
みえない思い
体感
でも幻想
安心していいよ
だって、
今生きてるから
こんにちは
はまひとみです。
息子が小学3年生のとき、
泣きながら帰ってきたことがありました。
理由を聞いたら、
担任の先生が授業中、
「日本人はバカで、幼稚だ」
「日本が悪い国」
と言ってたそうで、
息子は友達に、
「先生はあんなこと言ってたけど、
本当はそうじゃない」
と言ったけど、
「先生と言ってることが違う。うそだ。」
と言われたことが悲しかったと
話してくれました。
息子は休み時間に図書館に行って、
日本の素晴らしさが書かれてる本を見せて
友達に話そうと探したけど、
図書館にそういう本がなかった、と。
あの当時、
息子の話しを聞いたわたしは衝撃で、
気持ちがついていけなくて、
どうしたら良いのか何日も考えました。
当時のわたしは、
娘が先生の言うことを聞かない
と注意を受けることがあって、
『先生が言うことには、ハイだよ』
と、子どもたちに教えていたから。
そして、わたしもそうしてきたから。
学校にクレームの電話をする、
先生に文句を言うなんて、
言語道断だと思ってたので。
だけど、息子の話しを聞いたら
先生に抱いていた尊敬のような気持ちが
パラパラパラとはがれ落ちて、
担任の先生に対して
激しい怒りがむかむかと湧き上がって
おさまらなかった。
息子のためにも何か行動しないといけない
という気持ちも湧き上がってきたけど、
同じくらいこわさもあって。
今までの考え方と
真逆の行動をとるって、
わたしには震えるほどこわいことでした。
「こんなことしていいのかな」
って声が何回も頭を巡りました。
自分はいけないことをしてるんじゃないかって
思うこともあったし、
わたしが出しゃばらなくても
誰かが言うんじゃないかって、
期待もあった。
でも、
息子のためにがんばろう!
って自分に言い聞かせて。
がんばれ!わたし!
って震える自分を何回も励まして。
元小学校教諭の知り合いの方に相談して、
学校教育とは、
戦後の反日教育とは、
そんなことを調べて、
納得してからドキドキで連絡しました。
教頭先生に電話で話して、
担任の先生と教頭先生とわたしと
3人で話す機会が設けられたのですが、
担任の先生の主張に
教頭先生は、
「自分の立場わかっていますか?」
「あなたは先生というのわかっていますか?」
と何回も言われる状況でした。
おそらく、
その担任の先生も本当は
よくわかってないけど、
先生の集まりで教えられたことを信じて、
それを教えてるだけ。
自分が話すことがどのようなことなのか
わかっていない、
そんな感じが見受けられました。
ある意味、当時のわたしと同じ。
自分で何も考えないで、
言われた通り、
与えられた通りのことを
それが正しいと信じてやってるだけ。
素直に従うことが素晴らしくて、
正しいこと。
そこに少しでも疑問を持つことは
いかがわしいこと。
そうだと信じて、
周りに合わせてた自分の頭を
ぶち抜かれた出来事でした。
救われたのは、教頭先生と
これは問題だと
同じ認識を共有することができたこと。
最大限できる対処をしていただいて、
それから担任の問題と思われる行動は
息子の話しを聞く限り、なくなりました。
あの出来事のおかげで、
わたしはそれまで持っていた
学校や先生に対する絶対的な信頼
みたいなものを
手放すことになりました。
そして、
自分の中の「こうあるべきのルール」
を破って、
自分の気持ちを軸にして
行動したことは、
自分への信頼につながった感じがあります。
そして、その後、
娘が中一から不登校になったのですが、
それを許容できたのも、
わたしが自分と向き合うということを
やっていたこともあるけど、
あの出来事は影響大です。
娘によく
「ママじゃなかったら不登校できなかった」
って言われることがあるけど、
「あの出来事で考え方が変わったからね」
と話しています。
起こる出来事、
すべてに意味がある。
今はなぜ?
と思うようなことだったとしても。
そのとき大事にしたいのは、
自分の内側に感じるもの。
怒りだったり、
願いだったり、
思いだったり。
自分の思いを軸に、
「これってこういうもの」
っていう
今までのマイルールを変える
勇気をもって。
そういうものが積み重なって、
力となり、知恵となり、
人間をつくっていると思うから
逃げずに大切に向き合いたいなと思う。
画像が載せられない。
写真載せたいのに、、ぴえん
こんにちは
はまひとみです。
「あんなことやらなかったら良かった」
ってことがたまにあります。
後悔ってやつです。
おしゃべりしててもそんな話しを
聞くことがあります。
後悔してるときって
胸がざわざわして、
みたくない不快な気持ちが
体をぐるぐるしてる。
そんなとき、
やらなかったら良かったわって後悔で留まるか
その後、
体を巡る不快を感じにいくか、
二つの選択肢がある。
あと、
後悔してる自分も見たくなさすぎて
瞬殺で蓋するっていうのもあるかも!
第三の選択は置いておこう(笑)
話しを聞いてて、
後悔で終わるのはもったいないなと
思うんです。
不快が湧き上がってるなら、
それを感じることができる。
不快っていやなんだけど、
貴重な機会なんですよね。
えいっ!
て不快にダイブするだけ。
やっていたら慣れます。
罪悪感だったり、
無力感だったり、
怒りだったり、
さみしさだったり、
いろんものが湧き上がってくる。
頭がかーっとなったり、
胸がじんじんしたり。
最初のうちは思考がうるさかったり、
止めようとしてきたりするかもしれないけど、
繰り返しやってくと
湧き上がる感覚に委ねられるように
だんだんなってくるんです。
そうするとね、
あれやらなかったら良かったなっていう
後悔はどこかへ消えて、
出来事も自分も
すっと受け入れられる感じになる。
否定してる自分を
いいんだよーって
ゆるされるような
ほわわんとした感じになるんですね。
ゆるし、ゆるされ。
本当はわたしたちって
どんな自分も
ゆるされてるし、
受け入れられてるんだと思う。
自分が自分のことを
これは良い、これはだめ、
ってジャッジしてるだけで、
本当はぜーんぶゆるされてる。
良いも悪いも、損も得も
あるようでないようなものだから、
後悔で終わらせるのは
もったいないなーと思うんです。
不快も感じて
どんな自分もゆるして
受け入れていられたら、
優しく包みこまれてほわわんてなる♡
ほっ♡
写真を載せたいのに
なぜか貼り付けられない。。
写真載せられるようにしたいと思います!
こんにちは
はまひとみです。
自分の持ち物知ってますか?
把握できてますか?
何か重たいんだよね、
って自覚があったら相当あるかもしれない。
わたしは小さい頃から
どんより重たい感じがあって、
何をやるにも面倒くさくて、
自分は何でこんななんだろうって
自分を責めてました。
自分でも把握できていない
重たいものを
ポケットやリュックに詰め込んで、
両手いっぱいに
たくさんの思い込みを握りしめてました。
この数年、
何十年と放置していたその重たいものに
目を向けてきた。
ポケットに入れてるもの、
リュックに入れてるもの、
両手に握りしめてたもの、
ちゃんと順番が決まっているかのように、
これの次はこれ、次はこれ、
って出てきてくれて、
こんなのあったって感じで
見ていきました。
最初は、そんなに重たいものを
たくさん抱えてる自分を
見ることがいやでたまらなかった。
そこを認めることからスタートでした。
荷物いっぱいの重たい自分で、
外側の世界から置いていかれないように
同じになるように
目立たないように
必死に合わせて。
しんどかったな
ポケットやリュックは重たくないですか?
必要ないものは入ってないですか?
もしどんより重たいってときは
一旦立ち止まって、
ポケットやリュックに何があるか
確認してみるの大事です。
その前に、
両手がグーだと何もできないから。
大事なものかもしれないけど、
握りしめてるものがあるなら
そっと手を開いて。
大事に思ってたけど、
もう必要ないかもしれない。
手放そう
力が抜けて軽くなるよ。
そして楽になる。
重たいものは手放して
もっと軽くなろう
もっと楽になろう
こんにちは
はまひとみです。
自分を知ること、
自分を認めて、
ゆるして、
受け入れて、
自分を感じる
うまくできないながらも
やり続けて、
生まれ変わったくらいの
内側の大きな変化を
感じています。
それと同じくらい、
自分の周りも大きく変わって、
一人の人の与える影響ってすごいんだな
というのを実感しています。
変化に戸惑うこともあるけど、
これもやはり経験で、
どんなときも
認めて、
ゆるして、
受け入れて、
感じる
ってことをしていたら
だんだんとすべてのことが
ただ川が流れてるみたいな
ただ風が吹いてるみたいな
そんな風に感じている自分がいます。
とても楽。
そして、
自分に問いかける。
どうしたい?って。
そのときどきに湧き上がる
やりたいことをやる。
みんなでおにぎりが食べたいなとか
ゆったりした音楽が聞きたいなとか
足湯がしたいなとか
湧き上がってくる自分の
「やりたい」
を叶えると、
その度に心が満たされる。
すべて内側の感覚。
この感覚を目一杯味わう至福の時間がある
幸せですね。
正しさじゃない
常識でもない
誰かのやり方でもない
自分の望みを
自分が叶える
自分と仲良く生きるって
こんなに軽くて、
こんなに楽で、
こんなに幸せなことなんだ♡
この感覚を知れたことは、
わたしの人生の宝です。
自分を置き去りにして
外側オンリーで、
重たくてしんどい生き方しか
知らなかったから、
この感覚が
とてもうれしい。
自分を抑圧して
偽っていた自分を
解き放って、
軽く、
楽に、
自由に、
もっとなれると思う。
こんにちは
はまひとみです。
悩みを抱えていたとき、
多くの場合は
問題を解決しようってことに
目が向くと思います。
わたしも問題解決に心血を注いでました。
正しい声かけは何だろう?
どんな対応をしたら効果があるんだろう?
ってな感じで。
効果ないなと思ったら、
じゃあ次は違うやり方を
本やネットで情報を取り入れては
たくさん試してきました。
その結果、
「あー言ってみたり、こー言ってみたり、
言うこともやることもコロコロ変わる女やな!」
と小学1年生の娘に言われて、
「この娘、わかっておるな、、」
と感心したのですが、、(笑)
あの当時は、
娘の言動が問題なんだから
ここを変えたらいいという考え方でした。
それ以外の、
夫婦関係でも、
ママ友との関係でも。
どれだけがんばっても
全く効果がみえなかったんです。
効果どころか逆効果で、
わたしの内心では
こんなにがんばってるんだから、
言うこと聞きなさいよ!
少しくらい変わりなさいよ!
っていう気持ちが高まって、
ときどき爆発するという悪循環になってました。
みえてるところが問題だと思いますよね。
だけど、
みるところはそうじゃない。
問題だと思ってる自分。
ここをみるんです。
問題にみえるものが
問題なのではなくて。
それを問題だと感じてる
自分。
こう言われると、
ずっと激しく自分を責めて生きてきて、
またさらに自分が悪いって言われてるようで、
胸がざわついてた
過去のわたしですが、
責めてるんじゃないんです。
みるところの話しです。
責める自分に気が付いたら、
自分を、
または、
あの人を責めてるね、
ってそんな自分に目を向けてあげたいし、
そんな自分もゆるしてあげたい。
今は責めてるんだねって、
そんな自分に気が付くだけで、
全然気持ちが違ってくるんですよね。
これも自分だって
認めてもらえてるような気持ちになって
少し力が抜ける感じがするんですよね。
問題を解決したいと思うなら、
問題だと感じてる自分に
意識を向けることなんですね。
と言って、
簡単にできたらいいけど、
わたしには難しかったー。
すぐ思考がぐるぐるして、
またそんな自分を責め始めて、
あー苦しいってなってました。
何十年も自分の内側に
意識を向けることなんてなかったから、
すぐに思うようにできなかった。
だけど、
これができるようになるための、
悩みだったりするわけなので♡
本当の自分として生きていくための入口、
スタートラインに立てた自分すごい!
って自分愛で愛でしながら
見たくない自分のネガティブな気持ちをみていく。
見たくないものをみるのはつらいけど、
これが自分って知ることは、
自分への大きな愛です。
ネガティブも、ポジティブも。
これは良くて、これはだめってしないで、
これも自分、これも自分、って
どんな自分も認めてもらえて
どんな自分も受け入れてもらえるって、
ほっと安心するんですよね。
切り離したくなるような
ズルい自分、
ダサい自分、
みじめな自分、
これも自分って受け入れていく。
焦らず、ゆっくり、丁寧に、
自分に意識を向けることを続ける。
そうしていくと、
もやもや、ざわざわ、イライラ
こういう目を背けたい感覚も
切り離さないで、
認められるようになって、
感じるってことができるようになります。
そうやって
自分の内側に目を向けるってことを
やっていくと、
いつの間にか
問題が問題じゃなくなってる。
これが悩みの解決方法!
よくわからないうちに
いい感じになってるんです。
あ〜問題にしてたのは自分だったなって
思う日がやってくるし、
もっと言うと、
前からこんな感じだけど?
悩んでたことあったかな?っていう
これが当たり前の日常が訪れます。
苦しい悩みを解決したいっていう気持ちは、
自分を知るスタートラインです。
その渦中はしんどいこともあるかもしれないけど、
もれなく、
楽に生きてる自分、
安心を感じる自分、
ほっとささやかな幸せを感じる自分、
に会えるようになります♡
こんにちは
はまひとみです。
我が家の中3娘は、
中1の2月から不登校ですが、
3年生になって、
先生の勧めもあり、
あと家にいるのが退屈ってこともあり、
週2回支援室に通うようになりました。
娘は小学生の頃から学校がいやで、
毎日学校から帰ると
学校の文句を話してました。
そんな娘に、
わたしは学校の必要性とか、
友達の大切さとかを
こんこんと話してたのだけど、
文句はなくならず、、
わたしは毎日娘から学校の文句を聞くのがいやで、
「そんなにいやなら休んだら?」
って投げやりに言ったこともあるくらい。
娘は、不登校を始めてから、
「もっと早く不登校を選んでいたら良かった」
って言ってます。
がんばって行ってたけど、
あんなに無理して行かなくても良かった、と。
そうかもしれない。
でも、
わたしは
中1のあのときが最善のタイミングだったと
思うんです。
以前のわたしは
「こうでなければならない」
「こうあるべき」
という思考が強かったから、
娘が小学生のとき学校行かないと言い出したら、
「休んだら」と言ってたけど
説得して行かせようとしてたかもしれないし、
娘のことが悩みのタネだったわたしは、
わたしに反抗してクソババアって言ってきて、
それに加えて、不登校?
みたいに底なしの苦しい沼に溺れて、
娘のせいでってもっと責めていたかもしれない。
本当に、
すべて、
必要なタイミングで
必要な出来事が起こっている。
ただできることは
それを受け取ること。
抵抗したくなることもたくさんあるけど、
抵抗したい自分をゆるして、
落ち着いたら
素直にいやな感情を目を向ける。
わたしはこれがいやだったんだって、
また一つ自分を知って、
蓋の空いた感情を感じる。
わたしはこの数年、
この繰り返しをやってきて、
見えているもの、
感じるもの、
大切なもの、
いろんなことがガラガラと変化しました。
娘との関係も。
わたしのことをババアと呼んで、
何かあると、クソババア!うっざ!と
言っていた娘が、
中3になった辺りから
「ママの子どもで良かった」
「ママに親孝行がしたい」
なーんてことを会話の中で言うようになって。
今ではわたしの良き話し相手で、
わたしの良き理解者みたいな存在になっちゃって。
娘のことを憎いくらいに悩んで
八方塞がりに感じて絶望して、
悩んでいた日々がうそみたいに、
娘といろんな話しをしてます。
「あんなに怒られてもめげずに
クソババアって言い続けてくれてありがとう」
なーんてことが、
素直に思ったまま話す関係になってるし。
数年前のわたしには想像もできない
本当に別次元の世界です。
そのままの自分でいられるって
とても楽だし、
娘にもそれが伝わっているから
臨戦態勢から安心に変わって、
リラックスしているんだろうと思います。
荒波、絶望、ドロ沼、悩み、苦しみ、
何と例えていいかわからないくらい
悩んでいた娘との関係だったけど、
凪みたいな心地良い関係になるなんて
想像もしてない世界。
娘は悩みのタネだったけど、
世間体とか正しさとか外側ばかりで
自分をないがしろにしてたわたしに、
自分として生きるために、
背中を押してもらった感じ。
自分と向き合うきっかけをくれた
大げさじゃなくて、
本当に人生の恩人のような存在です。
今は、ありがとうとごめんねしか
言いようがないけど。
そうは言っても、
靴下脱ぎっぱなしにしてるときは
「ちょっとー!」
ってなるけど(笑)
悩みって本当の自分として生きるための入口で、
そのきっかけを与えてくれる人って、
あなたのことを
心から信じてて、
心からあなたの本当の幸せを
望んでくれている
愛と信頼の人なんだと思う。
怒られたり、問題児扱いされたり、
一見すると大変そうな役回りだけど、
それくらい思いが強くて、
勇者だな〜って思うんですよね。
渦中にあるときは、
そんなこと思えないけど、
心のどこかできっとわかってて、
信頼してるからこそ
やりあえる相手だと思うので、
たまにゆとりのあるときとかに
「ありがとねー」
「ごめんねー」
って心の中だけでも言えたらいいなって
思います♡
こんにちは
はまひとみです。
最近は外側にばかり意識が向いてました。
『自分と仲直りして仲良く生きる』
遠ざかってました。
これがやってるつもりになってたことに
気が付いて、ざわついて、
ほっとして安心しました。
なーんだ、自分か、と。
やってるつもり、
わかってるつもり、
こういうのをわたしは何回やってきただろう。
自分に集中と思っているのに、
意識が外側に向いて散漫になってて。
それなのに、
自分に集中をやってる、
わかってると思いたいわたしがいて、
絶妙にはぐらかすんです。
やってる、わかってると思いたいわたしは
やれてない、わかってない自分を
認めたくない。
認めてしまうくらいなら、
外側に意識向けておこう、
こういうことをやっています。
これに気付いて、がっくりしました。
こんな自分を少し責めたくなった。
でも、これが今のわたし。
いいじゃないの。
このわたしで生きていこう。
じれったい感じ、心のざわざわ、
逃げたくなる思考、言い訳、、
頭や心はいろんなものが交錯したけど、
それらに流されないように
足を踏ん張った。
このわたしで生きていこう。
そして、
わかってなかったな、
やれてなかったな、
自然とこんな風に思えて、
気持ち良かった。
外側に意識が向いてるときの
なんとも言えない不安、
なんとも言えないお腹の辺りのもやもや、
見て見ぬふりしてました。
ちゃんとメッセージ送ってくれてたのに、
見て見ぬふり、華麗にスルーってやつ。
自分にごめんなさい。
わたしは自分と仲良く生きたい。
たくさん喜びを味わいたい。
未知なことを経験して
新鮮な気持ちを味わいたい。
やれてない、わかってない自分と共に、
地に足をつけて、
自分と仲良く生きたい。
こんにちは
はまひとみです。
人並みをやめよう
正解をやめよう
正しいをやめよう
当たり障りのない穏便な対処
やめよう
意識してるかしてないか
わからないレベルで
無意識にやってきたこと。
これが良いことだと信じてた。
でも、本当はその逆。
人並み、正解、正しさ、穏便な対処
こういうの
ただの自己否定。
自分を曲げて
自分を抑えて
自分をゆずって
そんなの苦しいに決まってるやん
人と違っても
間違ってても
たとえいざこざになったとしても
本当は恐れることは何もない
それはそれでいい
自分を貫いた先はどんな景色が見えるんだろう
引いたとしても
押したとしても
必ず元のここに戻りたい

