〜本当のあなたを解き放て〜 -4ページ目
こんにちは
はまひとみです。
昨年の4月、元旦那さんからの提案?で
離婚しました。
いずれは、と思っていたけど、
え?今?
頭にもたげる不安と
体の奥から湧き上がる何とも言えない喜び。
この喜びを信じて離婚を決意しました。
お互いあまりに違いすぎて、
話し合うとか分かり合うなんて
遠い世界の結婚生活。
何で一緒にいるんだろう?って
お互い思いながら
一つ屋根の下に暮らす合わなさ感。
「ひとみさんは俺のこと好きじゃないからな」
って言われて
見抜かれているような、
これを認めていいのか自分でもわからず、
何も答えられなかったことがあった。
「自分は営業向き。経営は向いてない」
と言いながら順調だった会社経営も
突然の脳梗塞と一年後の破産と倒産で
家族より仲良しだったみんなと別れて、
今は望んでいた一人で営業をやっている
元旦那さん。
人生って何だろう
人って何だろう
生きるとは何だろう
自分はどうしたいんだろう
本当に考えさせられたこの5年間。
心の声に従って生きてるようにみえる
元旦那さんは
すべてのことがわたしには異次元すぎて、
なかなか理解できなかったけど、
離婚してからさらに
絡まっていたいろんなことが
解けていったように思う。
はっきり言ったことはないけど、
正直言うとキライなタイプ。
でも魂レベルではめちゃくちゃ尊敬してる。
真似できない。
そして、めちゃくちゃ感謝してる。
感謝してると言っても鼻であしらわれて、
「わたしの気持ちはどーせわかってもらえない」
なんて思ってたけど、甘かった。
そんなレベルじゃなかった。
離婚してわかったこと。
あの程度のちっぽけな感謝ではなかったし、
伝わるはずもなかったってことが。
子どもには
「離婚してさみしいの?悲しいの?」
って聞かれて、
「さみしくないし、悲しくない。」
「離婚できてうれしい」
だけど、嗚咽しながら泣いてるから、
理解できなかったみたいだけど。
熱い涙と共に
お腹の底から何度も湧き上がってくる
「ありがとう」
あーこの部分に触れるとまだ涙が出てくる。
今は嗚咽することはなくなったけど。
結婚してくれて、ありがとう
二人のかわいい子どもを
授けてくれてありがとう
離婚してくれて、ありがとう
見た目と魂のギャップがありすぎ。
大変だったけど、
カッコいい魂の人と
一緒にいられて幸せでした。
最後まで好きになれなかったのは
ごめんね。
今のわたしがあるのは、
元旦那さんがいてくれたから。
しなやかで、だけどゆるぎない強さのある
元旦那さん。
頑固でカチカチの石頭をかち割るには
あれくらいの人じゃないとムリでした。
おかげで、
カチカチの石頭も少し柔らかくなって、
頑固も少しはゆるんだかな、、
裏でわたしのことを頑固者と言ってるのは
承知してる!
それにしても、
あの暗くて闇深かったわたしに
あんなに猛烈にアタックしてくれたなーと思う。
「俺たちはめっちゃ気が合うと思う」
「ひとみさんはいいお母さんになると思う」
結婚する前によく言ってたけど、
全部間違い。
でも気が合わなかったこと、
いいお母さんになれなかったことのおかげで、
今がある。
けんか、後悔、怒り、拒絶、落胆、すれ違い、
楽しいことより大変なことの方が多かった
未熟な二人の夫婦生活。
過ぎてみればすべてが思い出。
ありがとうだけが残る。
本当にありがとう
愛を込めて
こんにちは
はまひとみです。
中学1年生の2月から不登校になった娘が
無事に卒業して
卒業式の写真や動画を見ていたら、
娘が入学式の写真も見たいと言うので、
3年前の写真を探しました。
「3年前より今の方がいい感じ、表情が明るい」
と娘が言ってて、本当にそう♡
写真で見る変化もうれしいし、
この明るい自分の変化に気づける娘にも
喜びを感じたひととき。
表情が明るくなって、いい感じになってる娘。
本当に良かった。
そして、その横にいた自分の変化も、、
入学式のときの重たそうな自分。
当時も軽くなったと実感していたけど、
いやいやいや、
この3年でいろんな重石を手放したんだなと実感。
目に見えない制限、
大事にしていた常識、人の目、
変に思われたくなくて、
みんなと同じように合わせて、
それが正しいと信じて。
今まで大事にしていた思い込み。
気付いては手放して
気付いては手放して。
その過程での娘の不登校。
成長期に家にいて良いのかなという思いも
なくはなかったけど、
娘の決断を否定する気にはなれなくて。
絶対に学校に行かなければならない
という思いもないし、
娘は自分に必要なことをやっていて
それが多くの人と違うだけで。
それを周りに流されず、
決断、実行してる点はすごいと思う。
娘がSNSで不登校の発信を始めたら、
「お母さんの苦しみがわかるので相談に乗ります」
というメッセージが来たっていうこともあった。
「ママは自分の不登校で悩んでる?」
と娘に聞かれて
「え?悩んでないけど」
ってことで娘も安心して、
爆笑したこともあった(笑)
わたし自身もいろんな意見をもらうことが
あったけど、
「娘が行きたくないから」って答えると、
たいていの場合、
それ以上突っ込んでくる人はおらず。
不登校の始めのころ、
親の責任として不登校は解決するべきって
言う人もいたけど、
「〇〇さんはそう思うんですね」
と返答していたら、
それ以上言われることはなくなった。
迷いがあるから突っ込まれるという法則。
迷いがなくなると
言われることはほぼなくなってくる。
マウントみたいなこと取ってくる人もいたけど、
普通に話してたら、
話しの途中でいなくなってた(笑)
不登校ってだめなことかな
学校行かないといけないと思うのはなぜだろう
昔のわたしもそう思ってたと思うけど、
授業参観や学校や先生とのあれこれを
通して感じたことや、
自分の中のたくさんの制限に気付き手放し、
本当の思いに気付いていくなかで、
絶対に行くべきという思いはなくなった。
だけど、学校がだめとは思ってなくて、
ステキな先生もいらして、
そういう先生と娘が出会えたことは
一生の宝になるんじゃないかと思う。
先生方には頭が下がります。
逆に合わなかった先生についても、
やはり意味があると感じていて、
娘とそういう話ができることは
親子での学びの一つでありがたいと感じる。
すべて必要、必然。
これからオンラインの高校に進む娘は、
自分を制限するような思い込みは手放して、
のびのび成長していってもらえたら
母としては嬉しい。
卒業おめでとう🌸
こんにちは
はまひとみです。
10年前くらいに参加したある講演会で
「今世の悩み苦しみは、
前世からの念、カルマが原因です」
と聞いて、無性ーーーに腹が立って、
講演会の途中で帰ったことがあるけど、
それだけ心が反応するって、
何かあるんだと思う。
わたしには生まれて記憶がある頃から
大好きな人がいました。
この人との別れが、
今までのわたしの人生の基盤だったと言っても
言い過ぎじゃないくらい。
2020年に自分の内側に向き合うと決めて
最初に向き合うことになった
はとこのお兄ちゃん。
子どもの頃から、母親になっても、
「何であんなことやったんだろう?」
って自分でもわからない不可解な言動で
うまくいかないことがあったんだけど
それらを紐解いていくと、
お兄ちゃんに行き着いた。
小さい頃からずっと
お兄ちゃんの名前を思い出すだけで
わたしの心は持っていかれて、
涙が溢れて。
今まで生きてて一番涙を流した人。
実家の隣に住んでいた
5つ上のはとこのお兄ちゃん。
記憶にあるのは朝起きたら
学校に行くお兄ちゃんをお見送りして、
小学校から帰る頃に庭で待ってて、
夜ご飯もお風呂もお兄ちゃんと一緒で、
寝るときだけ隣の実家に帰るという生活。
お兄ちゃんはお出かけしたら、
「困ったことがあったらお兄ちゃんに言うんだぞ」
「お兄ちゃんが守るから」
「何かあったらお兄ちゃんが助けるからな」って
いつも優しくて、
ヒーローで、
いつも隣に居てくれて、
安心させてくれる人で。
わたしが4歳になる前、
両親の離婚で、
お兄ちゃんと離れ離れになるんだけど、
すべてお兄ちゃん頼みだったわたしにとって、
母方の実家にお兄ちゃんがいないと
わかったときの衝撃はものすごくて
生きていけないくらいの絶望を感じて、
当時のわたしは心に大きな蓋をして心を閉じた。
「お兄ちゃんとの別れ」
自分に向き合い、
この蓋を開けてからしばらくは
感情も体調も大変なことで。
途中では、
体を引き裂かれたような
心を引きちぎられたような
現実ではないのに、
現実のような痛みがあることも知った。
お兄ちゃんとははとこだけど、7、8年前にも
「本当の妹だと思ってるから
困ったことがあったら言ってこいよ。
お兄ちゃんにできることは何でもやるから。」
って言ってくれて
変わらないお兄ちゃんが嬉しかったのと、
あのとき助けに来てくれなかったじゃん!
ていうお腹の声はねじ伏せて。
でもやっぱり何十年経っても変わらない
お兄ちゃんの言葉は嬉しかった。
甘くて、うれしくて、酔ってしまう。
それとねじ伏せた
ねとねとした気持ちもひそかに感じて。
両親が不仲でかわいそうだったから、
気にかけてくれて大切にしてもらった、
お兄ちゃんのこと大好きと言いながら、
実はそんな思いもあった。
心の蓋を開けた最初の頃は、
小さいわたしは子鬼になって怒り狂ってて。
少しずつ子鬼ちゃんの横にいることが
できるようになって、
抱っこして、いっぱいなでなでしていたら、
いつの間にか子鬼はいなくなった。
それなのに、
子鬼のわたしがいなくなっても
お兄ちゃんを思い出すと涙が流れるのは
なぜだろうと思った半年前。
お兄ちゃんのことを思い出したら
また涙が溢れて、
大好きすぎるなと思って、
「恋愛か!」
って自分ツッコミが入ったとき、
恋愛!!
そして、失恋!!!
衝撃だった。
まさか、はとこのお兄ちゃんにそんな感情が。
ただのひどいブラコンだと思ってたから。
あんなに大好きとはいえ、
自分に意識が向いてない両親から
目をそらしたいためのお兄ちゃんなのかな、
って予想してたけど、
そんなものじゃなかった!
お兄ちゃん大好きの意味の中に
一途に愛して、愛された、
恋愛感情があったなんて。
そして、突然訪れた別れで、
4歳で失恋だなんて。
まさかの恋愛感情だったけど、
体は正直に、すとんと腑に落ちた。
お兄ちゃんは
冷え切ったわたしの両親の関係を感じて
わたしのことがかわいそうという思いも
あったかもしれない。
だけど、
純粋に愛し、愛されて
大切にされた記憶。
体感にあるのは愛。
お兄ちゃんへの思いを手放すのは
愛し愛されたことまで失ってしまいそうで
こわかったから。
「うっっっ」となって
何度も掴んでおきたい衝動にかられたけど、
よく見たら、それはねとねとの執着。
何もなくなるわけじゃないのに
なくなりそうでこわい。
失いたくない、手放したくないという執着。
不純な気持ち悪さをみることができたら
ありがとうの気持ちが湧いてきて、
気が済んだら自然と
お兄ちゃんの手を放してた。
恋愛、失恋に気が付いて、
お兄ちゃんへの執着を終わらせて、
何もない感じなんだけど、
胸の内にまだ何かあるって
年末頃から感じるようになって。
前にお兄ちゃんや子鬼のわたしがいた
場所に行くと、
人もいない、誰の顔もないけど、
何かある。
不気味な感じ。
愛し愛された記憶
別れへの痛みを伴う悲しみ
手放したくない執着という
念。
念があった。
何これって思ったけど、すぐわかった。
これがあったから
お兄ちゃんと恋愛して、
離れ離れになって、
痛みを伴うような感情を味わって、
手放したくない執着を持っていたことが。
思いが先、現実が後と言うけど、
その前に念があった。
今世でこの執着を手放したかったんだ。
不可解なうまくいかない現実を作って、
気が付くように、
そして手放すように。
悲しかった
受け止めきれない、痛みさえ感じる
無念な思い。
この無念が念の正体。
わたしの魂が感じるの上手だったらなー
そのとき感じきって昇華されて
前世も前前世ももっと楽に生きれただろうに。
これを学びと言うのかな。
それともこういうことがやりたいのでしょうか。
喜ばれてるかな。
楽しまれてるのかな。
人間の感覚とはちょっと違う感じがするけど、
これもわたし。
こんにちは
はまひとみです。
「誰かのために」
と思う「自分」を生きる。
誰かのためになりたい、
きっと無意識に誰もが持ってる思い。
自分の思い通りに
「誰かのため」
ができないと思うとき、
人は自分には価値がないような
生きてる意味がわからないような、
そんな気持ちになるんだと思う。
お母さんのために
がんばる子ども
子どものために
がんばる親
みたいに。
自分のために自分を生きること
それが、
一番大切な誰かのためにできること
自分という未開の人間をどこまで信じて
生きて、
楽しむか、
そんなことを一生懸命やってる人の
周りにいる人が
喜びを感じないはずがないし、
見えない大切なものを
どれほど受け取っているかわからない。
世の中の理想像、
自己犠牲、
罪悪感、
我慢して、
無理してがんばる、
大切な人にこそ渡したくないもの。
今までたくさん渡してきてごめんだけど、
リスタート。
良かれと思われること、
美徳と言われるもの、
「そういうものだから」と言われるものは
一度、真剣に疑う価値がある。
大切な人には、
自分がもらってうれしいものを
渡したい。
自分に正直に生きて、
もし誰かに何かを言われたら、
その人も本当はそうしたいけど頭で
だめってしてるから言うだけで、
「あなたもそうしたいんだね」
って思っていたらいいだけ。
真剣に誰かのためを思うなら、
自分を生きよう。
目の前の小さなことから。
やりたいことをやって、
やりたくないことをやめて、
今までなかなか言えなかった
言いたいことを言う。
何にもこわいことは起こらない。
やってみたらわかる。
反対に、
今まで何だったのかってくらい
心はどんどん快適になって、
ぐるぐる思考は静かになって、
楽な世界。
小さなことから
自分の純度を増していこう。
自分を知り、
自分を愛して、
自分として生きよう♡
そんなあなたが
誰かの喜びになっている。
こんにちは
はまひとみです。
痛みを感じる思いがあると、
『あんな思いしたくない!』
って蓋をして、
その思いに近づかないように
細心の注意を払って
出来事を作ります。
努力して手に入れられそうなポジションも、
気の合いそうな友人関係にわくわくしてても、
親切な人の好意に助けられたときでも、
『あんな思いしたくない』
が発動すると、見事に崩壊させる。
すべて無意識。
無自覚に。
たとえ、
一時的に良い方向に向かったとしても
『あんな思いしたくない!』
を無意識に感じていると、
後々もやもやを抱えることになる。
あのとき、
何であんなことやったんだろう?
何であんな態度取ったんだろう?
っていう謎の現象を紐解いていくと、
たどり着く。
『あんな思いしたくない』に。
絶対に触れられないことや
思い出したくもないこと、
そうであればあるほど、
ぶ厚い蓋をして瞬間凍結してる自分。
当時の自分を迎えに行くと決める。
一筋縄ではいかなくて、
いろんな思いが絡まっていることもある。
絡まった思いを丁寧に紐解いていくと
みえてくるものがある。
その度につらい気持ちが湧き上がることも
あるけど、
それも一つ一つ丁寧に感じて、
絡まった思いを一つ一つほどいていく。
あんな思いにたどり着いたら、
思考はいらないというか働かない。
身を委ねるしかない。
頭でどうこうじゃない、
生活が、ご飯が、子どもが、
そんなことは不思議と
どうにでもなる。
『あんな思い』
にただ身を委ねる
『あんな思い』
をした自分を感じる。
『あんな思いしたくない』
当時の自分を迎えに行くと心が決まったら、
あとは身を委ねるだけ
不安も恐れも何もいらない。
もうすでに、
自分の中にあるもの。
何も恐れることはない。
ただ身を委ねる
それだけ
気が済んだら終わり。
でも、まだ何かあると思ったら
また迎えに行くから
待っててねって
声をかけて。
愛を送る
あんな思いをした自分に
こんにちは
はまひとみです。
心に寄り添う
それだけで
安心を得られたり、
元気になったり、
心の支えになったり、
そんなことがあります。
励ますとか
話しをするとか
何かするわけでもなくて、
ただ寄り添ってくれるだけで。
保育園の年中の担任の先生は
そばに居てくれると、
何とも言えない
安心を感じて、
自分が元気になるのを感じる
そんな人でした。
いつも先生にお礼がしたくて、
旅行のお土産を渡したら、
涙を浮かべて喜んでくれたこともあった。
あの先生は
心を寄せてくれていたと思う。
年長になって担任の先生が変わって、
先生ロスを味わったわけだけど、
子どもの頃は落ち込むと
あの先生がわたしに寄せてくれた
感覚がふと蘇って、
元気になれた。
心を寄せるって
考えた何かじゃないし、
目に見える何かでもない。
そっと心を寄せる。
誰かにしてもらうのも至福だけど、
やはり
自分から自分へ。
自分の心にそっと寄り添う。
常にぐるぐる思考で、
いつも自分を責めて、
大切なものは外側にあるくらいの勢いで、
意識はすべて外側で、
自分に寄り添う
とは対極の生き方をしてきてたから
余計感じるのかもしれない。
自分に意識を向けることをしていくたび、
ほっとして安心する感じ。
不安も恐怖も焦りも怒りも悲しみも
そう思うんだね
って受容して、
そうなんだねって
寄り添ってもらえるだけでいい。
投げ出したくなるときもあったけど、
やっぱり自分と共にいる感じは心地良い。
何の涙かわからない涙がこぼれたり、
何にうれしいのかわからない
うれしさが込み上げたり、
言葉や思考では言い表せられない何か
目に見えない何かをそのまま感じると
満たされる。
自分が自分に意識を向けてくれている
心に寄り添ってくれている
何てことないことかもしれないけど、
ほっと安心して、
ささやかな喜びを感じる。
数秒でも、数分でも、
たとえ一瞬でも、
心を寄せる感覚は
時間や言葉や思考を超える。
こんにちは
はまひとみです。
いい人はつまらない。
小さい頃から
いい人が正しいと思ってて、
いい人を目指してきたんだけど。
昔、子どもの習い事で仲良くなった
ママ友がいて、
自分と我が子、至上主義みたいな人で、
他のママ達からあの人は苦手って
言われるような人。
その人は自分で自分のことを
性格が悪い、敵が多いと認めてて、
でもそれを悪びれることもなく、
変えようみたいな感じでもなく。
旦那さんにも堂々と、
「わたしと一緒にいるからあなたは楽しいよね」
と言うし、旦那さんもそれを認めて、
奥さんを溺愛してる神旦那で。
子ども同士も仲良くて、
家を行き来したり、
一緒に遊ぶのが楽しかった。
自分に正直な人といると
個性や考え方の違いに気付けて楽しい。
えーー?そんなことやるの!?とか
えーー?そんなこと考えてるの!?とか
考えたこともなかった!
みたいなことがたくさんあって、
話題は尽きないし、
笑いと学びの宝庫だし、おもしろい。
それに比べて、
空気読んで、
人に合わせて、
嫌われないように、
いい人代表のような(自分で言う)
人畜無害のわたし。
帰り道によく、
あの人はわたしと一緒にいても
学びもないし楽しくもないだろうなと
思ってました。
その後、これは許せないってことが起きて
離れることになったんだけど(笑)
でも、あのママ友といた時間は
楽しかった。
人に嫌われてもいい。
自分が好きな自分でいること。
自分の思いに真っ直ぐな人って
こんな人いるんだーってびっくりするけど、
生きてる活力を感じるし、
とても魅力的。
反対に
正しくて、いい人
そういう場所はつまらない。
そして、それに合わせる
自分がつまらない。
死にながら生きてる、
そういう生き方は
もう終わりにしよう。
嫌われたとしても、
友達が離れたとしても、
本当はどーでもいいことで、
自分として生きること、
本当はそれしかできないと思う。
あるとき娘に、
前はママはちゃんとしてる常識のある人って
感じだったけど、
全然違うよねって言われたことがあって。
5歳くらいの女の子にみえるときもあるけど、
あるときは珍獣みたいで理解不能なんだけど、
って(爆)
わかる人たちには
ずっと前からバレてたみたいだけど。
でも
素の自分でいると
変な人、変わってるって思われて
嫌われて人が離れていくような気がして、
とてもこわかった。
でも、そのために
いい人を続けるの?
つまらないままでいい?
って自分に問うてきた。
つまらないのはいやだ。
いい人を目指すのはもう十分。
嫌われても、人が離れても、
自分として生きていきたい。
その先にどんな景色がみえるのか、
みてみたい。
どうしようもないところも
認めて、受け入れて、ゆるして。
自分を愛する。
自分に正直に生きよう。
自分として生きよう。
珍獣の自分もゆるしてこう♡
(笑)
こんにちは
はまひとみです。
お母さんには笑っててほしい
お母さんの笑顔が見たい
小さい頃からずっと思っていたこと。
お母さんの笑顔が見たくて
モノマネもしたし、変顔もしたし、
おやじギャグも考えたし、
学校であったおもしろかった話しもしたし、
いろいろやったけど、
考えたネタでは一つも笑ってもらえなくて。
わたしが、
やってしもたー涙涙っていう
ドジなわたしの姿には笑ってくれたので、
もれなくわたしはドジキャラとなりました。
お母さんが笑ってるところを見るだけで
ほっとする。
険しい顔でいつも怒ってる
お母さんの顔が
笑ったときの安堵感は忘れられない。
わたしはドジなことでしか笑ってもらうことは
できなかったけど、
10年お付き合いしてたおじさんの前では
うれしそうで笑顔だった。
お母さんが嬉しそうに笑ってたから、
いやだったけど、
我慢できたんだと思う。
わたしにとって
お母さんの笑顔は本当に貴重で、
だからだと思うけど、
お母さんが何に笑ってるか、
すごくチェックしてたなと思う。
カラオケに行ったら、
竹内まりやの「早く元気出して」を歌って、
お母さんの様子を伺ってた(笑)
思い出すと笑える、、
お父さんと別れたお母さんは
好きな人に振られて、
心が傷ついてるように見えたし、
悲しんでるように見えてて。
お父さんの話しをすることは
傷に触れるようでできなかった。
週に3、4回うちに来てたおじさんについても
触れなかったけど。
お母さんのためを思っていたわたし。
お母さんのことばかり気にしていたわたし。
そんなわたしのことを
わたしは気にしていなかった。
そんな自分に向き合ってきたこの5年間。
本当に見るのが辛かった。
惨めで、惨めでたまらなかった。
今まで何のために生きてたんだろうって
思ったくらい。
自分のことをないがしろにしてて、
自分を知らなかったし、
いろんな思いを押し殺して、
ぞんざいな扱いをしてきてた。
自分をないがしろにしてきたことへの
悲しい気持ちは何十層もあって、
心の中を潜るとあちこちに悲しみがあって、
わからなくなるくらいだった。
一つ一つ、
わたしが受けとめると決めて、
ひしひしと感じる日々。
これも自分、これも自分て
受け入れられて、
ゆるされて、
ほっとする安堵感。
次第に母に対しても、
父に振られた可哀想な人
じゃなくて、
母が自分から別れたんだなって思えて。
なーんだ、
わたしも含めて、
みんなやりたいように
やりたいことやってただけなんだ。
一件落着♡
ひどい人も、
可哀想な人も、
憎む人も、
ごきげんを取らないといけない人も
いなかった。
今は、昔は絶対に言えなかった、
父のこと、おじさんのことを
普通に話せるように。
母はたまに戸惑ってか無言になるけど、
話したいまま話せるっていい。
心の中でたくさん責めていたときは
できなかったから、
余計にうれしいのかな。
たくさんの怒り、
我慢した思い、
言いたかったけど言えなかったこと、
出てくるまま
ノートに書きなぐって、
内側から湧き上がってくるものを
ただ感じて、感じて。
その度に自分が満たされる。
わたしの中にある思い
わたしの中にある感情
誰かに向けるでもなく、
誰かにわかってもらうものでもない。
わたしから湧き上がり
わたしが受け取り
わたしが感じる。
そうして今、
思うままに子どもたちと
笑いながら
話せるようになったことが
うれしい。
にっこり笑顔のいいお母さん、
ぶりたかったんだけど、
できなくて悩んでたんだけど(笑)
そんなことしなくていい。
にっこり笑顔のいいお母さん風なんて、
子どもはキモいだけ。
どうせ見抜かれてるから。
自分に正直に、
自分と仲良くいよう。
こんにちは
はまひとみです。
占いでみてもらうと、
「父親との縁が薄い」
「生まれ故郷を離れる命式」
と言われることが多くて、
あるとき、
「両親の離婚はわたしのせいかも」
と思ったことがありました。
わたしは4歳になる前に両親が離婚して、
母とわたしと母方の実家に戻って、
母子家庭で育ちました。
悲しみ、寂しさ、無力感、無価値感、絶望、、
当時のわたしの心は
受け止めきれない思いであふれ返っていて、
大きな分厚い蓋をしたんです。
2020年から腹を据えて
自分の思いや感情に向き合うことを
決めて今に至ります。
両親の離婚は
大きなテーマの一つで、
父への怒り、恨み、悲しみ、寂しさ、
母に対しては、守れなかった、
助けられなかった、
自分の無力感がありました。
こんなこと思ってたんだ、
こんな感情を抱えていたんだ、
涙と共にいろんな思いや感情が解き放たれて、
自分を知り、
自分を感じた時間。
そうしていくうちに、
いつの間にか変化していく
両親のイメージ、離婚のイメージ。
あんなに遠くて、冷たくて、固かった父が、
今はすぐ近くで、
優しく微笑んで
温かく見守ってくれてる。
わたしのイメージが変わったことで、
父がくれた手紙が出てきたり、
父がくれた心理学の本を思い出したり、
(父が嫌いで捨ててしまったんだけど、、)
やってもらっていたことを思い出したり。
ないと思ってた頃はなかったものが
出てくる。
父の深い愛がたくさんありました。
手紙には、
「自分で自分を認めて、
自分で自分を愛するんだよ」
とわたしが一番飢えて、
求めていたものが書かれてて。
思い出すだけで胸がじーんと温かくなる。
母に対しても、
無力感もあったけど、
その奥にあった
我慢していた思い、悲しみ、寂しさ、
湧き上がるものをただただ感じていく日々。
凍結していたものを溶かすように
当時の思いを直視していくたびに、
ほわわんて、
軽くなって、楽になって、
冷たかったものに血が通って温かくなって、
離婚はただの出来事になっていきました。
そうしていくと、
視点が変わるんですね。
わたしがこの両親、この環境を選んだな、と。
占いで言われてた
「父親と縁が薄い」
「生まれ故郷を離れる命式」
このためにも必要だし。
4年前に占いで見てもらったとき、
「両親の離婚はわたしのせいだと思ってて」
と聞いたときは、
母が離婚の命式をもっている、
とのことで爆笑。
ついでに、
「お母さんが課題」とも言われて、
たしかに、
あの母親じゃないと課題にはならないよね、
と納得(爆)
自分の思いを知り、
湧き上がる感情を感じて、
受け入れて、
認めて、
ゆるしていく。
被害者もいない、
加害者もいない。
すべて自分のためにあった出来事。
と受け取ると、
みえていなかった
たくさんの恩恵に
気付かされる。
被害者、加害者を手放して
自分を受け入れるごとに
目の前の現実が
長年の悩みが幻のようになくなって
ごろんごろんと
変わっていく。
悩みは向き合うためのきっかけで、
自分として生きるために
自分のことを信じて、
背中を押してくれてる
ありがたい応援団。
自分として生きるという本題。
すべてこのための伏線。
こんにちは
はまひとみです。
この世界って真逆だなって思う。
悩むっていう苦しい、しんどい、
何でなのよー
っていうことのおかげで、
自分を知り、
人生が変わる。
悩んでても何も意味ないよとか、
悩んでないで他のことしたらいいよ
って言われることがある。
そういうのが合う人もいると思う。
でもね、
悩むってことは
本当の自分じゃないっていう
違和感を
無視しないで
受け取ってるってこと。
『本当はこうがいい』
っていうのが
みんなそれぞれあって、
その思いを大事にしたいという、
自分への、自分の命への愛だと思う。
でも、そうじゃない自分とのギャップに
また悩むんだけど、
もうね、その時点で、
本来の自分が望む道を進んでるから大丈夫だよ。
自分の道、
ちゃーんと進んでまっせ。
だから、
そんな自分を
すごいね♡
その調子♡
いい感じだね♡
って認めて、応援して♡
こんな自分はだめだとか、
人と比べて落ち込んだりとか、
そういうこともあるかもしれないけど、
本当の自分として生きる
この道を進んでるんだから、
立派なんだよ。
親として、子として、母として、妻として、
社会人として、
いろんな立場、役割を大事に思うなら、
なおさら、
本当の自分で生きること。
一人の人が本当の自分として生きる道を
歩き始めたら、
自然と周りの人たちも
本当の自分の道を歩み始める。
あーやって、こーやって、って
考えなくても、
教えなくても、
手取り足取りしなくても、
自然とそうなっていく。
逆に、
考えて、教えて、
手取り足取りやればやるほど、
うまくいかなくて悪循環だったから、
本当に逆。
本当の自分として生きる。
自分の物語を生きる。
一人一人オリジナルの物語だから、
こういうのがいい!
こういうのが好き!
自分の思いに正直に。
壮大な人生ストーリーを楽しもう♡
味わおう♡
悩みごとの裏には
本当の自分で生きたいっていう
隠れた命題があって、
こっちが本流。
だから、深刻に悩まないで、
うまくいってるんだなー
自分の道を進んでるんだなー
って軽くいこう♡
どれだけ真剣に悩んでも悩みは幻だから。
悩みに溺れてるときは、
足つけてみて。
浅瀬だったことに気が付くから(笑)
そんな自分を笑いとばして、
自分に正直にいこう♡

