こんにちは



にしもとひとみです。








昨日の夕方、洗濯物を取り込んでたら、
(取り込むの忘れてて6時過ぎ)

「空めっちゃきれーい」

「めっちゃピンクー」

「ほんまやな〜」

って聞こえてきて、

見たら前の道路で高校生カップルが

スマホで写真撮って
 
しばらく空を眺めてて。

(家政婦は見たみたいに2階のベランダからこっそり高校生カップルを見てたw)







どれどれって西の空見たら、

またいつにも増して、

きれいな空。







空もきれいだったけど、

家政婦は見たのわたしは

夕焼けを見て感動してるさわやかな二人に

しばしきゅんきゅんタイム♡

いい時間でした♡








この世界は美しいもので溢れてる。

でも見ないようにしていたら、

美しいものも見ることができない。








見ないように封印してる自分、

ゲスい、醜い自分、

怒りも悲しみも、

虚しさも

「これも自分」って、

感じることをゆるして、

ゆるされていくと、

感じるスイッチONになる。







そうなると、

美しいと感じる心もゆるされてるという不思議。

裏だけ、表だけ、はないんですね。








美しいもの見たいな、

でもそんなのないよと思うときは

自分の心みてないよ〜

のサインかもしれませんね。








近くモニターカウンセリングを募集します。

フォローよろしくお願いします照れ






こんにちは



にしもとひとみです。







不快なもやもや、イライラ、ざわざわ

これらの感覚は

自分からのメッセージです。







本当の自分で生きたい!

っていう自分からのメッセージ。








何に不快を感じてるんだろう?

自分に意識の矢印を向けて、

心の底を見に行く。







不快を感じる相手や物事ではなくて。






なぜか

わたしたちは不快を感じる相手や物事を

何とかしようとしたり、

責めたりしてしまうもの。








そしてなぜか、

自分の本当の思いや感情、

自分の本音

を知ることが怖いもの。







だから

自分に向き合うなんてよくわからないから

今まで通り外側に意識を向けて

何かを責めたり、

何とかしようとすることに夢中になったり

その方が楽なんだと思う。







自分にしかみれない

自分の本音







誰かにわかってもらうんじゃなくて、

自分がわかろうとするもので、

自分にしかわからないもの。








そして、

勇気を出して

自分の内側をみていくと、

たっくさんのギフトがある。







ぜーんぶここにある。

ほっとする安心も、

ささやかな幸せも

大きな愛も。







不快をごまかさないで受け取ることは

自分からの愛を受け取ること。







むむむ、、

受け取りスルーしてるな、、、

と自覚がある人は

自分に意識が向いてる人だと思う。







愛を受け取っていきましょう♡










近くモニターカウンセリングを

募集します。

フォローよろしくお願いします照れ







こんにちは



にしもとひとみです。







近日、モニターカウンセリングの募集

をします。


気になるという方はフォロー

よろしくお願いいたします照れ






2021年にモニターカウンセリングの募集をして
 
以来、4年ぶりの募集になりますが、

カウンセリングは友達や知り合い、

友達の友達など、ひっそりやっていまして。







3年前にママ友の紹介でカウンセリング

を受けてくれたМさんが

激変してたっていう話しを聞いたので、

少しシェアさせてもらいます。






Мさんは最初、

お子さんの不登校に悩まれているという

ことでしたが、

お話しを聞いていくと同居してるお母さんに

我慢しているということでした。







当時のМさんはお母さんに不満はあるけど、

それを口にするのはちょっと、というところで、

3回のカウンセリングが終了しました。








そのМさんに昨年ママ友が会ったら、

「別人みたいに変わってた!」そうで。






 


3年前のカウンセリングの後、Мさんは

お母さんとのことが気になって、

お母さんに向き合うというコミュニティに入って、

自分に向き合ったそうなんです。







以前のМさんは、

お子さんの不登校の悩みや

お母さんの話しが多かったけど、

久しぶりに会ったМさんは、
 
最近始めた習い事や創作活動の話しが大半で、

楽しそうに話してたって。

表情も以前とは別人みたいに明るくなって、

「人って短期間でこんなに変わるんやと思った」

って、ママ友はびっくりしてて。






Мさんは平日は正社員でお仕事して、

家事も毎日手抜きなくやって、

(特に食事はお店みたいな内容)

そして、お母さんの身の回りのことも

Мさんが全部やってて。

これだけでも十分すごいけど、それに加えて

習い事や創作活動をいくつもやってるМさん。

(わたしには想像できなーい)







何でもきっちりやりたい人で、

それがまた簡単にできてしまう。

以前はそれでも余りあるエネルギーを

お子さんへ心配という形で注がれていたけど、

自分に向き合い、

内側が軽くなってくると、

自然と意識を向ける先が変わってくるんですね。








心の中が軽く明るくなった

Мさんのエネルギーは

自然と快を感じる楽しいものに惹かれて

趣味の活動に注がれるようになったのかなと。







今高校生のお子さんについては

「忙しいし子どものことは子どもに任せてる」

ってそれ以上話題に上らなかったそうで。







解決しようとしないことが

解決への道。







悩みや問題に思うことがあるときは

自分の内側に意識を向けて

自分を知るいい機会。






そして、不要なものを手放していくと

楽になる。






Мさんは仕事も家事もお母さんのことも

楽々、簡単にできる人。

だからМさんは優れているとか

できない自分はだめだとか

そういうことではなくて、

そういう人がいるということは

反対に

そうじゃない人もいるってだけのことで。







良いとか悪いとか、

優秀とかだめだとかっていう

ジャッジを手放して

誰かと比べることって

自分を知るためのいい目安になるなと思う。






不快は受け取る。

ジャッジは手放す。






とは言え、

不快を受け取るってなかなか面倒くさい。

内心苦しいまま進むのもあり、

強制終了もあり、

Мさんのように不快を受け取って

どんなメッセージかなって

自分の声を聞くのもあり、

何でもあり!







自分の声を聞いて

楽に生きるって

一番自分に優しい。

そして、

楽しいことに夢中になる。

そんなことにエネルギー注げるって

いいですね。







こんにちは



にしもとひとみです。







『自分を知り、

 今の自分に不要なものを手放して

 自分と仲良く生きる

 =本来の自分で生きる』







モヤモヤやイライラ、

恐れや不安などの

不快を感じる悩みや問題は

このためにあるんじゃないか、

って思います。








不快を感じる悩みや問題を解決したい!

と思うとき、

誰かや何かに目を向けて

どうにかこうにかしようとするけど、

目を向けるのは悩みや問題ではなく、

不快を感じている自分。








仲の良い雰囲気って、

その場にいるだけで心地良いし、

ほっとして、安心する。







ものだらけのゴミ屋敷を片付けて、

要らないものがなくなってスッキリしたら、

おひさまが差し込んで明るくなって、

窓を開けたらさわやかな風が通る。







自分の内側がこうなってくる。







ほっとして、安心して、

心の中が明るくて、さわやかで、

ふとした瞬間、

ささやかな幸せを感じる。

自分と仲良くなって、

いろんなものを手放していくほど、

この感覚でいることが増えていく。







モヤモヤどころじゃなくて、

一般的に不幸と言われるような状況だとしても

同じく。

その場面ではショックだったり、

大きな感情の波が押し寄せるかもしれないけど、

外側がどうであろうと、

自分の内側に正直に、

湧き上がってくるものを

ジャッジせず受け入れて、

ただそのまま感じてみる。

いつの間にか

川が流れるように

その状況は過ぎ去ってる。

どれだけ激流のようだったとしても、

しっかり自分を見つめていたら、

やがて、

静かに心の平穏を感じるときがやってくる。








一朝一夕ではないかもしれない。

でも、

自分に意識を向けて、

誠実に自分と関わり続けていたら、

気がついたら、

いつの間にかそうなってるんですね。








夜も眠れないくらいの悩みや

頭を抱えていた問題も

そういえばそんなことあったね、

って記憶の彼方になってるはず。







悩みや問題は、

自分として生きるための

自分から贈られたギフトと言っても

言い過ぎじゃないと思う。

自分に向き合うって、

最初はめんどくさく感じるもの。

でもやっぱり不快な感覚っていやだから、

めんどくさいけど、仕方ないやるか!って

重い腰をあげるって

本当の自分は知っていて、

計画しているのかもしれない。







自分を抑圧する

こうあるべき、

こうでなければならない

といった重たいものを手放して、

本当はこうしたい、

本当はこういうのがいい、

自分の内側から聞こえる声に

耳を澄ませて、

それを叶えていく。(何という幸せ)








こんなに軽くて、

こんなに楽に生きていいの!

生まれ変わったのか!?

っていうくらい

内側の変化がすごくて、

それに比例するように

外側も大きく変化したこの数年。

どれだけ変わっても、

またさらなる内側の変化を感じる日々に

完了はないのだなと実感しています。

おかげで、今が一番幸せ♡の感覚は

日々更新中です。







軽くて、楽で、幸せ、

こんな感覚をたくさんの人と共有できたら

いいな。

たとえ一人でも二人でも。

ほんの少しの感覚の変化だとしても。

それに、

軽そう、楽そう、幸せそう、

そんな人たちを見るだけでもうれしい。







外側ではなく、内側に意識を向けて。

自分を知り、

自分の声を聞いて、

自分を感じて。








少しでもそんな時間になるといいなと

思っています。







カウンセリングはオンラインで、

基本は顔出しなし音声のみで

お話しを聞いていきます。







一回の所要時間は2時間。

1週間〜10日ほど間を空けて3回行います。

できるだけ頭も心も体もゆるい感じで

リラックスできる環境が望ましいです。








日時や詳細は、また後日ご案内いたします。

興味を持っていただいた方に

起こしいただけるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いします。









こんにちは



にしもとひとみです。







昨日小学生の子がいるママ友が

庭に咲いてる名前のわからないお花を

ペットボトルで作った花瓶に生けてくれたよ

っていう写真を見せてくれて、

ほっこりタイムでした♡







うちの子どもたちは今年は母の日何もないから、

ってことだったけど、よろしい。

中学生と高校生、

悩み、葛藤いろいろあるかもしれないけど、   

どうであれ

自分に集中して人生謳歌してくだされ。

それでよろしいよ。







一方、ニットと手紙を送ったわたしの母からは

「明るい色で気持ちが明るくなった、
モノじゃなくて気持ちだけで十分だから。
ありがとう」

とのことでした。







モノはサブ。

言葉や思いだけだと

恥ずかしくて照れくさいから、

モノに隠して贈ってるんです。







なんてことは言えないけど、

今の素直な気持ちを伝えられたし、

母にも喜んでもらえて良かった。







昔は言いたいことも言えなくて、

電話でも母の機嫌を伺って、

母の心と離れないように、

母に合わせていたおしゃべり。








見た目や年齢は大人なんだけど、

心の中は時が止まっているみたいに

子どものまま。







この5年ほどは、

たくさんの蓋をしてきた思いたちを

一つ一つ手に取り、一緒に感じてきた。

その度に暗くて重かったものが

風に吹かれて

ずいぶん心の中が軽くなった。







風に吹かれたらスッキリなんだけど、

そこまでの道中は、

決してきれいなものではなくて。






底なし沼にみえたたくさんの怒り、悲しみ、

見ないで溜め込んできたもの。






あるときは吐き気がしそうで狂いながら、

あるときはふて寝して逃げながら、

どうにかこうにか手に取り、

直視してきての今。







母と話していたらポツリと本音がこぼれたり、

急にものすごい怒りが湧いて

「バカな母親」って言ってたり、

母から着信拒否や既読スルーされたり、

いろんなあれこれを経た今。







もやもやのない気楽さ、

ただ話せる幸せを感じる今。







わたし、グッジョブ!

そうなんだけど、

楽になる度に思ったことは、

母の真似はできないな〜ということ。







10代後半から30代のわたしの闇時代、

心の中の真っ暗闇から悲鳴が聞こえながら、

ギリギリの崖っぷちに何とか立ってた時代。







ギリギリの心に触れられたくなくて、

精一杯普通にして、

精一杯適応してるように装って。







そこに触れられたらギリギリに立ってるのが

倒れてしまいそうだった。

何とか平静を装ってるから、

ギリギリのわたしに触れないでほしかったあの頃。







父が学んでいた心理学の本を送ってくれたり、

手紙をくれたりしたことも

うれしかったけど、受け取れなかった。
 
(当時のわたしは父の思いや本や手紙の内容の

意味を理解して受け取れる心の器がなかった)

そして

母が相変わらずのさっぱりキッパリの

母でいてくれたことが本当に助かった。







もし、少しでも心配されたり、

子育ての罪悪感を向けられたり、

あの頃のわたしを何とかしようというような

意識を向けられていたら、

わたしは立っていられなかったと思う。






どんなときも

母がいつもの母でいてくれたおかげで、

わたしは思う存分、

悩み抜いたし、苦しみ抜いて来れた。

あるとき

「悩んでも何もならない」

と言われたことがあったけど、

あの頃のわたしは

そうするしかできなかった。

そして、

悩んでも何もならないってことを体験できた。







あの過程を

何も言わず、何も触れず、手を貸さず、

自分のままでいてくれた母。

真似できないな。

母もそうするしかできなかったのかもしれないけど。

やっぱりありがとう。














こんにちは



にしもとひとみです。







最近パン作りが楽しい。

初心者だから、うまく焼けなくてがっくり

することもあるけど、

こねないパンが意外と美味しくて、

気がついたらまた作ってる。

作るたびに毎回違うとか、

こねすぎるとうまくいかないとか、

おもしろくて。

オーブンの前でパンが焼けるのを眺めるのが

幸せタイム♡







この前は自分で種起こしした

ホシノ天然酵母と麹を混ぜて、

初めて自家製酵母を育てたら、

美味しくパンが焼けて、感動。涙







そして今日焼いたチーズパンは

過去一♡







パン作りは若い頃から何回も挑戦したけど、

うまくいかなかったし、

あんまり楽しくなかった。







その要因は、

「ちゃんと精神」でやってたから

(わたし調べ)







パンに急に精神論とは。

いえいえ、大真面目に、

意識です。







「ちゃんと」精神でやってたときは

「間違えないように」

「清潔に」

「うまくいくように」

、、、

ガチガチ。






リラックスして、

わくわくしながら、

焼けるところも楽しい、

なんてことはなかった。







「ちゃんと」精神の重たさ、

心のガチガチ具合が酵母たちに伝わって

微妙な結果になっていた。
 
パンも生き物ですから。






だからと言って、

昔のわたしに楽しんで作って、と言っても

土台がガチガチの「ちゃんと」精神だから、

エセポジみたいになってたかもしれないけど。

その過程も良しだけど。







気楽で、楽しくて、美味しいって、

幸せ♡

また太りますね。








過去一で美味しく焼けたチーズパン。

ずっと眺めていたいけど、

食べなかったら腐って

食べられなくなるし、

でも食べたらなくなっちゃう。

食べ物の儚さ。

ありがたく、美味しくいただきますお願い








チーズパンの写真をお披露目したかったけど、
昨年から写真を載せられなくなってしまって。
残念ながら非公開のまま口に運びたいと思います。
(笑)








こんにちは



にしもとひとみです。







もうすぐ母の日。

昨年は離婚直後ですっかり忘れてて

かなり過ぎた頃に、

今年は忘れてたから、来年送るねって言って、

あれから一年経ったなんて。







昔に比べたら母もありがとうなんて

言ってくれるようになったけど、

あんまり喜んでないかもって
 
つい疑ってしまう。







小学一年生のとき母の日に、

初めて一人でお花屋さんに行って、

カーネーションを一輪買って、

仕事から帰ってきたお母さんに渡したら、

「たった一輪てどうやって飾るのよ」

「一輪挿しなんてないし」

どんな風に喜んでもらえるだろうって

わくわくしてたから、

文句が返ってきてショックだった。







翌年は1本じゃなくてカーネーションの花束を。

そのときは、

「ちょうどいい花瓶がない」

「カーネーションはあんまり好きじゃない」

と言われ。






ハンカチにした年は、

「ハンカチなんてたくさんありすぎて

 処分しようと思ってたのに、

 また増やしてくれて、、」




タオルにした年も↑同じく。




エプロンにした年は、

「この色もこの柄もお母さんの好みじゃない」





ブローチにした年は、

「こんな安っぽいの。どこに着けていくのよ」







うれしい〜♡これ選んでくれたの♡

ありがとう♡

なんていう言葉を期待してはいけません。







正直と言えば正直、

だけど、

その場面でその正直さ

日本刀でバッサリ、スパッと切るみたいに

キレッキレの率直なご感想。






  
文句しか返ってこないのに、

6年間贈り続けていたわたしも

今思うと異常だな思うけど(笑)

当時のわたしは、

お母さんのことばっかり考えてて、

お母さんに喜んでもらいたい

笑ってるお母さんを見ていたいと思って、

生きてたと思う。







そんな調子の母だったから、

どんな場面でも褒められることもなく、

優しい言葉をかけられることもなく。






小学生の頃は特に、

夏でも手足は冷たくて顔も青白くて、

いつも体調が思わしくなくて、


病院に行くと自律神経失調症とか


胃潰瘍の手前だとか診断されて、

「あなたが弱いからそんな病気になるの」

「もっと強くなりなさい」

そんな言葉を浴び続けてきた。







今思うと、

母が母自身にもっと強くならなくちゃって

言い聞かせてやっていたんだと思う。







時代も社会も今とは違う厳しさがあったし、

繊細な心に分厚い鎧を着せて、

女手一つで子どもを育てる大変さ

わたしには想像ができない。






「お母さんはたくさん鎧を着けないと

生きてこれなかった。

子育てが終わって鎧を脱いだら

あんな生き方はもう二度とできない」

と昔を振り返っていた母。







鎧を着けてると

心って

感じられなくなるもの







わたしもこの数年、

身につけてきた鎧をたくさん脱いできた。

それと共に湧き上がってきた

母への大きな怒り、

悲しみ

たくさん泣いて、

たくさん感じて

たくさんゆるして。







大きな怒りや悲しみって、

大好きだからこそ。

悲しみを感じた先には、

理屈を超えた

やっぱり大好きなんだって

ところに戻ってくる。







子どもを生んだからって

突然立派なお母さんになるなんて

ことはなくて。

日本刀のような母に付け加えて、

わたしが母に

「お母さん」ていう

高い理想を作り上げて、

勝手にがっかりしてた部分もあるように思う。

自分も母親になりわかったこと。







今まで本当にいろいろあったけど、

母の日ってなると自然と探してるわたし。

今年は母に明るい色がいいなと思ったので、

サーモンピンクのニットを。

これまでの酷評をまたすっかり忘れて、

喜んでもらえるといいな〜って

毎回期待している

学びのないわたしです。(笑)









こんにちは



にしもとひとみです。







昨日、いちゃもんつけてきた

知らないおじちゃんにブチ切れました。






ちっぽけな正しさを主張して

ねちねち言ってくるおじちゃん。

最初はさっと帰ろうと思ってたけど、

あらぬ言いがかりまでつけられて、

はい?

怒りのスイッチが段階的に入って最後は

「ねちねちウザいな」

「キモい!」

「クソジジイが!」

と言い放ってた。







車を走らせながら、

おじちゃん落ち込むくらいに

あの文句届いたかな

なんてことを考えていた

わたしは変なのかもしれない。







ブチ切れながら心は静かで、

後腐れもなく、

いい人を目指してたときに感じていた

悶々とした怒りや自己弁護もなく、

心に風が吹いてた。







以前はガヤガヤ言いそうな人には、

前もって低姿勢でぺこぺこして、

でも内心では見下して、

距離をとって関わらないようにしてきた。

ケンカの多かった娘にもそう教えてきた。







いーっぱい身につけてきた

「普通」とか「正しさ」とか「みんなと同じ」

とかの社会適用ツール。

これが生きづらさの原因でもあった。

いっぱい手放して、

自分の正解を尊重できるようになってきた中で

出会ったキモいおじちゃん。








正しさ一点張り、屁理屈こねて、

あー言えばこー言う

人の揚げ足を取って騒ぐ小学生みたいな

(そんな男子いたな)

見た感じ60か70くらいのおじいちゃん。

事なかれ主義の中で生きてきたのかな、

家族も誰も教えてくれなかったのかな、

それであの年で子どものままおじちゃんに

なっちゃったのかな、なんて

おじちゃんストーリーを巡らせて。






ブチ切れてたときも心は冷静で、

不思議な心境。

おじちゃんに何か届きますようにと思ったのが

わたしの本音。








びっくりなのが法治国家の基準でいうと

正しいのはおじちゃん。

正しくないわたし。


 





でもあのおじちゃんは、

わたしには正解ではなかったし、

悲しすぎた。







車の後部座席で一部始終を見てた娘は、

「あんなこと言っていいの?」

「ママじゃないみたいやった」

「途中から怖くて聞けなかった」

って。






あのう、、、

「クソババア」「キモい」「うざい」

小学生の頃、

毎日のようにわたしに言ってた方ですよね!?

お腹から大きな声で。







わたしはそんな娘に怒りながら、内心、

(こんなこと言う人がいるんだ、、)

(親にこんなこと思ってもいいんだ、、)

(親にこんなこと言ってもいいんだ、、)

(大丈夫なんだーーー!)

って娘の暴言でわたしの世界は拡大。

文句の師匠、本音の師匠ですよね!!








上辺の怒りとは違う

心の奥の奥に封印していた、

お母さんへの怒り、大きな悲しみ

をみることができたのは娘の暴言のおかげ。






わたし
「あなたから文句言うの教わったんだよ」

「ママにはいいけど、知らんおじちゃんには

あかんやろ。よく考えてー!」

とお説教いただきました。






帰ってから気づいたこと。

あのおじちゃんに

キモさとウザさを感じてブチ切れた。

その奥にあった、

その年でそんななの、、、

という悲しい気持ち。







小学生の頃の娘は毎日のように

「クソババア」「キモい!」「ウザい!」

をわたしに連発していたけど、

今回わたしがおじちゃんに感じた
 
あの怒りと悲しみを通して

暴言吐いてた娘の気持ちを垣間見た感じ。







当時のわたしもあのおじちゃんと同じく、

正しさ至上主義。

正直な思いなんてものがあることも知らない、

扱い方も知らなかった。

正しさが第一。

自分の思いも他人の思いも

大切に扱えない幼稚な母親。







大切な思いを大切にしていない母親、

そして自分の思いも大切にしてもらえない。

正しさ、理屈を熱弁。

それが自分の母親って。

娘が感じていたわたしのウザさ、キモさ、

悲しみはどれほどだっただろう。








心で感じたことを

何回怒られてもめげずに、

正直に教えてくれた娘に再度、
 
ごめんね、ありがとう!

という気持ちになりました。





 

それにしてとわたしがあんなに怒るなんて。

何が起こったのでしょう。

本音を隠して、

空気読んで、

揉め事が大キライで

正しさにこだわってた

以前のわたしでは考えられない。






奇しくも娘(師匠)の前で

ブチ切れ、暴言。

頭を通さないで

自分に正直に生きようとすると

こういうこともあるのかなと感じた

出来事でした。







こんにちは



にしもとひとみです。







4月から高校生になり、

念願だったバイトを始めて、

社会を実体験してる娘。







オンラインの高校に進学したので、

平日の昼間に出ることもあって、

そうなると高校生や若い人はいなくて

年配の先輩に教えてもらうみたいで、

小言を言ってくる人がいるそう。








10分前に準備して入ってるのに、

「もっと早く入って」と言われて、

はーってむかついたけど、

これが社会なのかと言う娘。






小学生のとき

休み時間に次の授業への

早め行動を促してくる先生や友達に

腹を立ててバトルを繰り返していた娘が、

10分前に準備してるとは、、

感慨深いですね〜







教育って何だろう







わたしが熱弁して教えたことより、

親が失敗してる姿を間近で見ながら

「これはいかんな」

「これはこうだな」

って血肉にしてるようにも思うし。







息子が小学生になった頃、

やんちゃ活動が増えて、

わたしの長い説教をすることが増えた時期、

娘が二つ年下の息子に

「ママのお説教は聞いちゃだめ。

 この話が終わったら何して遊ぼうかなって

 考えておくんだよ」って、

右見から左耳に聞き流すジェスチャーで

神アドバイスしてたこともあった。







こっそり聞こえた瞬間は怒りが込み上げたけど、

可愛いらしい光景に似つかわしくない

悟りの境地を得てる娘、

真剣に聞いてる息子

二人の姿にわたしは参ったことがあった。






自分の愚かさ、傲慢さが自分に返ってきて

は〜って落ち込んだし、
 
力が抜けて

二人の前で笑ってしまったってことがあった。







とは言っても、

実際に社会に出ると

楽しいことだけじゃなくて

思い通りにいかないこと、

それこそ理不尽なお説教、

人間関係のいろいろもあるかもしれない。







娘はどんな悟りを得ていくのでしょうか(笑)

いざ実践!







所得税を払うくらいバイトして稼げるか

なんてことを調べていた娘、、

(娘は大丈夫)

(何なら、わたしより大丈夫)

心配もなくはないけど、

圧倒的に信頼の方が大きい。

成長を感じた娘の文句タイムでした。











こんにちは






はまひとみ

改め、

にしもとひとみです。








最近久しぶりに体重を計ったら

妊娠期と同じ、過去最高の体重になっている

状況です。






昨年の夏、

二重あごの自分に愛おしさを感じて、

太ることに許可したわけだけど、

最近は体が重たくてちょっと太りすぎたな、

と感じてる今日このごろ。







太ることに許可したことと、

今までの自分の枠を壊したいことも相まって、

食べるもの、食べる量、食べる時間、

今までだったら絶対NGだったものを

とことん許可した半年。







スナック菓子、菓子パン、コンビニ弁当、

スーパーで売ってるスイーツ、

インスタントラーメン、

今まではこんな体に悪いものをなぜ!!

って憎悪すら思ってたものを買って

自分が食べる日が来るなんて

(わるーーーい!!)







実際食べてみて、

ハマって何回も食べたスナック菓子、

一回食べたら満足したもの、

不味すぎて食べれなかったもの、、、

面白かった。







そして体はぶくぶく太り。

インスタントラーメンやスナック菓子は

塩分も高いらしく、むくみの原因にもなって、

太りやすいのもあるみたいだけど。







夜中の12時過ぎにも食べたし、

食べる時間も、食べる量も、

そりゃあ太るよね!

というおデブへの黄金ルート。







昔のわたしが今のわたしを見たら、

怒り狂うか、

発狂して倒れてるか、

自分に絶望して生きるのやめるか、

どれかだと思う(笑)







でもやってみたかったから仕方ないの。

インスタントラーメンを買ったとき、

食べてるときの悪い感じといったら。

不良な自分に浸って食べるラーメンは

意外と美味しかった。







わたし悪ーいって思いながら

背徳感があってぞくぞくして。







40過ぎての、不良体験。







本当の不良した人からすると

え?って鼻で笑われる話しだけど、

こういうことは悪だったから、

それをやるなんて、アンビリーバボー!

世界が広がった。







ちゃんとして

正しくて

良くて







これが正解で、これ以外は✕

たくさんの色眼鏡を

一つ一つ外していく感じ。







無意識にいろんなものをジャッジして、

口に出さなくても、人やもの

いろんなものをジャッジしてきたし。









この自分を卒業するためにも

わたしの中ではハードルの高い不良体験。







どう思うんだろう?

どう感じるんだろう?

何でこれをやってるんだろう?って

初体験の自分を興味津々に観察して。







もっとクレイジーな体験したいし、

もっとおバカに生きたい。







ちゃんとして

正しく

良いことがいい

つまらないルールだよね。







今までそんなことにこだわって、偏って、

すぐ目の前にある楽しい世界を

たくさん見逃してたと思う。







子どもたちが小さい頃、

お菓子のねるねるねるねを

買いたいっていうときから、

わたしの添加物への枠外しは始まったけど、

これは添加物の枠だけじゃない。






良い

悪い

正しい

間違い

ちゃんとしてる

ちゃんとしてない







こんなことはどーでもいい。

やってみたい

食べてみたい

これが好き







考える間もなく、

ただやってみる経験。







わたしもわたしの周りの友達ももれなく

アダルトチルドレン。

チルドレンのときにアダルトだった仲間たち。






子ども心でとか、童心に戻ってとか、

言われても、、

子どもの頃の方が

ちゃんとして、良く、正しく、

そんなことをモットーにしてたから、

ピンと来ないの。








本当はこんなにバカなのに。

こんな人間が

ちゃんと、良く、正しく、

精一杯がんばった。

でも、どうがんばっても難しすぎたし、

苦しかったし、

結局できなかったし、

もうやりたくない。








ただの自分でいい。







心のままにやってみる体験は

不味いことも、太ることも、胸焼けも

結果はどうあろうと楽しかった。

添加物、食べる時間、食べる量、

太ること、この体型じゃなきゃダメ、

たくさんのダメをゆるして、

食べて、むくんで、太って、

背徳感も感じて、不良気分を味わって、

心は満足。








もっとバカに、

もっとクレイジーに、

やりたいようにやってみる。

こんなことしてもいいんだー

こんなこともあるんだー

これもいいんだー

たくさんゆるして、

ゆるして。







いっぱい遊ぼう♡