右大臣藤原道長へ権力の座が完全に移った事件・長徳の変のきっかけになった
藤原光子(三の君)/生没年不詳
 藤原為光(従一位太政大臣/贈正一位)の三女として生まれる。兄は「四納言」の一人大納言藤原斉信。「三の君」或いは「寝殿の上」と呼ばれていたようだが、今回のドラマでは光子として出ている。
次姉の藤原○子(よしこ/しし)は、
 花山天皇の女御。見初めた帝たっての望みで入内し寵愛され、身籠ったのち寛和九年(985)17歳で崩御。世をはかなんだ天皇は、藤原兼家・道兼父子に唆され出家し、一条天皇が即位(寛和の変)。
 仏門に入った花山院(法皇)だったが、なんと光子の妹儼子(たけこ)を見初め、彼女が住む為光の屋敷へ足繁く通った。
 そして長徳二年(996)三の君を巻き込む事件が起きる。

📖『栄花物語 巻第四』の「みはてぬゆめ」にこういう記述がある。
...寝殿の上とは三の君をぞ聞こえける
御かたちもやむごとなうおはとて父大臣いみじらかしづきたまつりたまひき
女子はかたちこそといふことにてぞ
その寝殿の御方に内大臣殿は通ひたまいけるなんありける...

 内大臣とは道長の甥の藤原伊周の事である。その伊周は三の君のもとへ通っていた。又、花山院も同じ屋敷に住む儼子のもとへ。しかし伊周は花山院とは知らず光子のもとへ通っている別の男がいると邪推し弟の隆家に相談したところ、隆家は従者を引き連れ法皇一行を待ち伏せして襲撃。
弓矢が法皇の衣の袖を射るという事件(花山院闘乱事件)を起こした。
 この事件で左大臣藤原道長は、伊周を大宰権帥に降格させ大宰府へ、隆家は出雲国へ左遷した。これを「長徳の変」という。この事件により伊周、隆家兄弟の藤原兼家→道隆という嫡男筋が没落し、叔父の道長に権力の座が完全に移った。
 一条天皇の中宮・藤原定子は、長徳の変で伊周、隆家兄弟を匿い、その後出家し又参内するなど世の人から呆れられ人望も失い第二皇女出産後、後産が下りず崩御。遺された敦康親王も皇位に就くことなく病没。栄華を誇った中関白家は、隆家の家系のみ続くも大臣以上を輩出することはなく、家系は坊門(室町時代に断絶)・水無瀬両家に継がれ江戸時代に至り水無瀬家と分家の七条・町尻・桜井の三家が維新まで家系を保った。
 因みに徳川時代、五代将軍徳川綱吉付きの上﨟筆頭年寄として江戸城大奥で権力を奮った右衛門佐は、この水無瀬家の出である。
 語るまでも無いが、道長の家系(御堂流)は五摂家を中心とした公家の頂点に君臨し維新を迎えたのである。

伊周(三浦翔平)・隆家(流星涼)兄弟

 しかし、例のCXのなんちゃって大奥と違って、まひろの父(岸谷五朗)が従六位上(緑の束帯)から従五位下になって緋色の束帯に変わって、従四位参議以上(公卿)が黒の束帯という、ちゃんと最低限の考証は入れとけって話...だよフジテレビ😐😕😒