ツッコミ処満載の令和版【大奥】
 松島のライバルの御年寄No.2高岳(←因みに松島同様実在人物)一人だけ眉が無くて怖い😓けど、実はこっち👇がモノホン😏
 そしてレアな「ごさい(五菜)」なんつう役柄の
本多力(上段中)。
👤ごさい=大奥の上級の女中が雇った買い物係の男。塩や味噌の購入の名目で女中に支給される食費の事を「五菜銀(ごさいぎん)」という。女中からこの五菜銀をた七ツ口で受け取って買い物に従事したのでこの名がある。門番じゃないよ😃
 上段右が倫子の幼馴染み設定の鈴木仁演じる久我信道(幼馴染み設定だけど実在の人物=村上源氏が出自の七清華家の一つの久我家☝️因みに昭和の大女優のお一人・久我美子<くがよしこ(1931~)>さん、本名旧姓を同じ字を書いて「こがはるこ」旧公卿家の貴族院議員久我通顕侯爵の娘。という事は信道の子孫ですわな😉
 下段左が井本彩花が演ずる松島付き中臈夜霧...何だよ「夜霧」って😩なんかそのまま後ろに太夫付けたらぴったんこじゃん。廓の花魁じゃあるまいし😰家治の子を生む事になる側室は「お知保」「お品」だし、綱吉将軍の側室の中で公家出身の大典侍・新典侍(おおすけ・しんすけ)以外は概ね秀忠から慶喜まで側室は「お」の字が付いてるのよ。それを「夜霧」.だと..アンポンタン過ぎる😵
 下段右が宝塚元雪組娘役トップの紺野まひる扮する「お幸の方」家重の側室で家治の母・至心院、梅渓権大納言通条の娘。家重の正室(御簾中)比宮増子(なみのみやますこ)に京都から付き添って来た正室付中臈。つまり倫子と西野七瀬扮するお品と同じ境遇なワケで...その辺りで回想として出てきそう😉家治が11歳時に亡くなってる人物だし。

 そうそうこれが初回の家治と倫子の婚礼シーン
倫子の十二単衣に大垂髪(おすべらかし)に対する
家治の束帯の袍、白を着れるのは帝(天皇のみ)。
 袍の色は官位に依って決められている。しかも家治と倫子...婚礼当時(宝暦四年1754)は家治18歳の将軍世子で官位は従二位権大納言、倫子は一つ下の17歳で「御簾中」様。
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 📖「徳川盛世録」に描かれている将軍宣下のシーン。上段の将軍も中段のおそらく老中(従四位下侍従兼任)と勅使。みんな同じ黒の束帯でしょ。
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 将軍と老中は黒の束帯、緋色は五位(諸大名と受領名がある旗本)の束帯、その後ろ六位相当の旗本は無紋の狩衣、その後ろ黒の直綴<ちょくじつ>姿は奥医師・法限。
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 前回何か違和感があるなぁって✍️書いたシーン
みんな直垂(したたれ)着てるけど長袴じゃねぇじゃねぇかって😵こりゃ鎌倉武士の姿。しかもなぜか松島とかお知保とかお品が居る?千代田のお城の中で一番...ってか絶対無いシーン。大奥女中は大奥だけにしか居ねえし。大奥には将軍しか入れないし。宝暦十年(1759)に将軍になって本丸に入るワケでこのシーンは西の丸になるけど、西の丸にも小規模ながら大奥はあるワケで。
 江戸時代の四位以上(将軍以下老中、京都所司代)が着用する直垂は👇長袴
 それで陣内孝則扮する田安宗武(吉宗次男)
なぜ?浪人銀杏なワケ😰ちゃんと月代剃っておいてよ😩陣内さんの現在の自分の髪に同じような色のちょん髷乗っけただけだと思うけど。
#2で「ワシには、今は養子に出しているが、定信という子もいる」と将軍の跡目を狙って暗躍する宗武。

因みに史実の時系列から
【家治と倫子の婚礼時1754宝暦四年】
👤家治 18歳
👤倫子 17歳→翌々年長女千代姫出産
👤田安(徳川)宗武 40歳
👤徳川寿麻呂(宗武五男のちの2代治察)2歳
👤松平賢丸(宗武七男のちの松平定信)
 宝暦八年生でまだ生まれてないのに
宗武の隣にしれっと座る さだのぶさん🐥


【家治将軍宣下/倫子御台所 1760宝暦十年】
👤家治 24歳
👤倫子 23歳→翌1761 次女満寿姫出産
👤田安①徳川宗武 46歳
👤徳川寿麻呂(のちの田安②治察) 8歳
👤松平賢丸(定信) 3歳(江戸時代は数え年)
 1775(安永六年)白河藩主松平(久松)定邦養子
👤田沼意次 41歳 従五位下主殿頭
 1758(宝暦八年)御側御用取次 5000石    
 1767(明和四年)側用人 5000石加増で諸侯に列す<遠江相良藩立藩>従四位下に昇叙。さらに加増されて2万石。
 1769(明和六年)侍従 老中格となる。
 1772(安永元年)老中 5万7000石

 この様にこの作品は時系列が滅茶苦茶😩
史実では家重の死で家治が本丸に入って将軍になり、倫子も本丸に移って「御台様」になったワケだけど、実際は西の丸の将軍世子の御簾中さま時代に長女千代姫を、「御台様」になった次の年に次女満寿姫を生んでいる倫子女王。
 それで#2では、安田顕扮する田沼意次が、家治に「私を老中首座にして下さい」って懇願..そんなアホな😩
 実際の田沼意次は
◆1769~1772 明和六年~明和九年 
老中格
◆1772~1786 明和九年(安永元年)~天明六年
老中

 家治時代の老中は延べ14名。内、老中首座になったのは三名。
🔷松平(越智)左近将監武元 上野館林藩主
 宝暦十四年~安永十年(1764~1779)
🔷松平(大河内)右京大夫輝高 上野高崎藩主
 安永十年~天明元年(1779~1781)
🔷松平(松井)周防守康福 三河岡崎藩主
 天明元年~天明七年(1781~1787)

 今回のドラマで田沼は#2で老中首座に😩#1で老中になっちまったんで今回老中首座とすると前回が老中格。老中になった1772年☝️実は前の年(1771)に田安宗武は黄泉の国に旅立っている😩し
主人公の倫子も同じ1771の明和八年に35歳で病没してるワケで...
 家治と倫子の婚礼は1754宝暦四年なんで、あれから17年も経ったんかびっくり(・_・?)そんなワケないしょえー

その②に続く


文中敬称略