大奥総取締 松島局(まつしまのつぼね)
──栗山千明
 しかし、まぁすきだねぇ~フジテレビ大奥
『大奥総取締』←こんな役、実際は?←ですわな。「大奥総支配」或いは「筆頭老女」なんつぅのはあったらしいですけど😏 何でわかるかってぇと、明治の初めに「旧事諮問録」という明治政府による調査。つまり聞き書きがあったわけで、また幕末江戸城大奥の瓦解の頃に尽力した筆頭御年寄・瀧山(百人組大岡孫左衛門義方の娘で実名は多喜)の姪で、やはり大奥女中(将軍付中臈)だった村山ませ子(旧名大岡ませ/徳川慶喜の家臣村山鎮と結婚)さんが「江戸学の大家」三田村鳶魚翁(江戸時代を勉強する上でこの方の名前を知らないのは「モグリ」😅)の取材に応えている話とか...また14歳で大奥を警護する添番となり幕府瓦解までの五年間大奥を間近に見てきた山中笑(やまなかえむ)さんの証言とか...はい😉
 
【松島局】(生没年不詳)
 父は正二位権大納言東園基雅。姉に白河藩二代(越前松平家~松平直基系)松平基知継室がいる。元文二年(1737)将軍家重の嫡男・竹千代(家治)の養育係・乳母として召し出され江戸城西の丸御殿に出仕。宝暦十年、家治の十代将軍就任で本丸御殿へ入り将軍付上臈御年寄として大奥を取り仕切り明和九年(1772)まで長らく筆頭老女の地位に君臨し絶大な権力を誇るも、安永三年(1774)からは同じ将軍付き上臈御年寄で松島の次席だった高岳が筆頭老女になっており、松島は忽然と表舞台から姿を消した。そのため没年も墓碑も明らかになっていない。

ここで大奥の女中の解説。大名諸侯、旗本、御家人同様、将軍に対する「🔶御目見え以上」と「🔷同以下」があった。

🔶上臈御年寄
 大奥女中の最高位。御目見え以上。定員は三人前後。御台所の相談役で主に公家出身者が任命された。実権は無いが、御台所不在時にこれに代わるほか、稀に御年寄を抑えて大奥の全権を握る実力者の上臈も出る。
🔶御年寄
 大奥の実務面の責任者。御目見え以上。老女とも言うが、若年の女子も中にはいた。定員は七人前後。御台所の食事や寺社参詣の手配などを担当。表の老中に相当し、老中とも互角に渡り合ったとされ、時には御三家御三卿の正室(御簾中)などを見下さんばかりの権威であったという。
🔶御中臈
 本来は上臈などに次ぐ地位で御台所の近くにあった女中。将軍のお手がついて側室となるものが多かった。御目見え以上。お手付きの中臈は平常は七人前後。家斉時代は十六人ほどいたと言う。
🔶中年寄(ちゅうどしより)
 御年寄の補佐役。御目見え以上。病気などに代役となった。食事の毒味なども職務とした。
🔶御客応答(会釈とも。おきゃくあしらい)
 将軍が大奥に滞在中の世話や、接客を担当。御目見え以上。定員は五人前後、御年寄退職後の女中が任命された例が多いという。
🔶表使(おもてづかい)
 対外的な折衝を担当する渉外係。御目見え以上。定員は七人前後。御年寄の指令で物資調達を担当するほか、御広敷役人との交渉、御年寄、御中臈の寺社参詣の供奉など。
🔶御小姓
 御台所の日常を世話する女中。御目見え以上。十三~十四歳前後で、各種の給仕を担当。
🔶御錠口(おじょうぐち)
 中奥との折衝・取次、及び大奥、中奥間の錠口(上ノ錠口)の管理を職務とする女中。御目見え以上。
🔶御次(おつぎ)
 仏間、御膳部等の手入れ、管理を担当する女中。御目見え以上。式日などの行事で遊芸を演じ、時として将軍のお手が付く時もあったという。
🔶呉服之間
 御台所の為の裁縫室。専従の者が常勤。ここに勤める女中は余った生地が手に入り、数年勤めることから羨望の的であったとされる。
🔶御坊主
 将軍や御台所の連絡係。御目見え以上。五十過ぎの老婆で無髪。定員は四人前後。御伽坊主とも。中奥に入ることができる唯一の職務。将軍の指示を受け中奥にある将軍の私物を大奥に運ぶこともあり、将軍が大奥で妻妾と同衾する前に将軍の指名した相手にその旨を伝えることも御伽坊主の大事な役目であった。
🔶切手書
 七ツ口の人の出入りを監視する女中。御目見え以上。女中の女親や姉妹、上級の女中が個人的に召し抱えている部屋子が七ツ口を通過する際には、切手書がこれらの者の出入りを改める。
🔶御右筆(ごゆうひつ)
 大奥の文書係。御目見え以上。大奥内の日記記入、通達文書、外部への発給文書の作成、取り次ぎを担当。御右筆頭(定員二名)は中年寄と同格とされ、御年寄も外部への進物については御右筆頭に諮(はか)ったという。
🔷御三之間(おさんのま)
 お三の間から居間までの掃除、水や火鉢などの準備などを担当した女中。御目見え以下。大奥に入った旗本の娘は先ずこの職を勤め、以降本人の才能努力次第で御目見え以上の職に栄進することができた。
🔷お使番
 代参の供奉や、大奥と御広敷との間の手紙・物品などの授受を受け持つ女中。御目見え以下。
🔷お仲居
 配膳所に勤務する女中で料理を担当。御目見え以下。魚に因んだ名前を命名される。
🔷お火の番
 大奥の各部署を見廻る防火担当の見回り係。御目見え以下。遊芸の心得がある者が多かったという。
🔷御末
 湯殿等で水汲みなどの雑用する下級女中。御目見え以下。別名をお半下・お端下(おはした)。また代参の供奉、大名の正室の訪問の際などに駕籠を担ぐこともあり、連日その稽古をしたという。
🔷お犬子供
 御錠口、お三の間の雑務を担当した最下級の女中。御目見え以下。お三の間より奥へは進めない。正式な食事は支給されず、上級の女中の残飯を群がるようにして食べたことからこの職名が付けられたという。

追伸.
 テレビの解説欄に「公家の娘五十宮倫子は...」って😵公家の娘じゃねぇよ、宮様だよ。お公家さんの娘に宮号があるわけあんめぇてぇのふつう😞
まして三位&参議以上は「公家」じゃなく「公卿」ね。やっぱり期待しちゃダメか😓😩見る前から「ダメだこりゃ~」かな💦


出典
📖歴史読本2008年7月号「徳川将軍家の正室」
新人物往来社刊
📖別冊歴史読本「徳川家歴史大事典」新人物往来社刊
📖「稲垣史生編 三田村鳶魚 江戸武家事典」青蛙房刊