巷で評判になってるようで😓なぜ頼朝を『すけどの』って呼ぶの?って☝️

 二回終了しましたけど、まぁ~三谷幸喜😅独特でござんす。台詞回しは現代風だし...
北条時政の「首チョンパ」には笑ってしまった。
 小栗旬扮する主人公の北条義時の初恋の人・八重さん(新垣結衣)、フィクション性が高いと言われている【曽我物語】☝️そう曽我兄弟の仇討ち話で有名な話のエピソードなんだよね、頼朝と伊東祐親の三女・八重姫との恋愛話は...
と、言う訳で冒頭の巷で言われている
 「なぜ、すけどの?」って...。頼朝は流人になる以前「従五位下右兵衛佐(うひょうえのすけ)」っていう官職に叙されていたからなんですけどね。この「すけ」実は四等官制における次官なんですよ。

 長官(かみ)
 次官(すけ)
 判官(じょう)
 主典(さかん)

律令制の官職名→二官(神祇官と太政官)八制
以下、字は違うけど呼称はみんな同じなのね☝️

長官→次官→三等官→四等官
👇
かみ→すけ→じょう→さかん

【神祇官】伯→副→祐→史
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【 省 】卿→輔→丞→録
【 職 】大夫(だいぶ)→亮→進→属
【 寮 】頭→助→允→属
【国 司】守→介→掾→目
【御所を守る軍事組織】督→佐→尉→志

 つまり頼朝の官職は兵衛府(左右)の次官の意味。
 因みに、他に近衛府と衛門府があるんですけねどね、真田信繁(幸村)は従五位下左衛門佐。彼はちゃんと叙任された左衛門佐だけど、戦国時代は「なんちゃって官職→勝手に名乗っちゃうやつ」が多かったらしい😰。また江戸時代になると、元々の御所を守る軍事組織云々は全く関係が無くなってしまったワケだけど、遠山の金さんは「従五位下左衛門尉」なんですよ☝️
 尤も江戸時代になると本来国司の呼び名の◯◯守や◯◯介は国持の大大名(伊達陸奥守、前田加賀守、島津薩摩守、浅野安芸守)以外は関係が無くなった。なので同じ時代に◯◯守が複数になってしまったり、格下の者が変更したりした(忖度ですな)。
 松平伊豆守って言ったって別に伊豆の国司ではないし、我が渡辺さんのお大名さん(和泉伯太藩)は越中守だったり備中守だったりしたワケで、尤も平安時代に渡辺を初めて名乗った源綱(みなもとのつな)の父・源宛(みなもとのあたる)が武蔵権守(むさしごんのかみ)になって現在の埼玉県北鴻巣に移り住んだ関係で、この地の中山道沿いに
「渡辺」さんの旧跡が存在するんでござんすよ。生まれたのは東京は港区三田ですけどね😅(二の橋の🚦を六本木方面に向かって右折すると「日向坂(ひゅうがざか)」)なんですけどね、その右側一帯の三田二丁目の旧地名は「三田綱町」っていうワケで、慶應義塾大学南門の前の通りは「綱坂」だし、日向坂とぶつかってからは日向坂も「綱の手引き坂」って名前が変わる😉。

 因みにこの「国司(こくし)」68あったんだけど、上総(現在の千葉県の一部)、上野(うえのじゃないよ😁現在の群馬県)、常陸(現在の茨城県)は、親王伝国といい、親王が国司(守)になることが決まっていた。しかし親王が都を離れて赴任することは無かったので次官の「介」が長官になったので「上総守・上野守・常陸守」は存在しないんでござんす、はい🍀