元来、サンスクリット語でヤマ、或いはヤマラージャといわれ、人類の始祖とされ、最初の死者となった為に死者の国の王とされる。その後の中国では、死後の世界の支配者・太山府君の信仰と結びつき『十王信仰』が成立。死後、閻魔王や泰山府君など十人の裁判官によって裁かれるという信仰で、中国の官吏服の道服を身に纏い冠を被って笏を持つ姿はこれに由来する。日本には平安時代に閻魔信仰が伝わり、江戸時代から明治大正にかけて最も盛んになったという。
 死後、三途の川(善人は緩やかな流れ、悪人は急流)を渡りきった亡者の前に十王の部下である奪衣婆が立ちはだかり、衣服を剥ぎ取ると、衣領樹の上にいる懸衣翁が衣服を木の上に掛けて罪の軽重を計り、閻魔王の元に引き出された亡者は閻魔王の持つ「浄坡璃の鏡」で生前の行いを見られて死後の世界の行き先が決まる。
 江戸時代、閻魔信仰によって【江戸三大閻魔】が制定。蔵前の華徳院は杉並区松ノ木に移転、下谷坂本の善養寺は豊島区西巣鴨に移転し、江戸時代から同じ場所に留まるのが新宿2丁目にある
太宗寺閻魔堂の閻魔大王。左端には奪衣婆も😱
 太宗寺は【江戸六地蔵の第三番】の寺でもある。仏教上、閻魔王は地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。甲州街道の江戸の入口という立地もあり、信州高遠藩内藤家(新宿御苑は内藤家下屋敷跡)の菩提寺で昭和27年に改葬されて3基に縮小されるまでは57基ほどの内藤家の墓碑が並んでいた。また新宿山ノ手七福神の「布袋尊」の寺でもある。江戸三大閻魔には入らずも、現在の東京でも有名な閻魔様がいるお寺をご紹介☝️
 先ずは文京区小石川の通称『こんにゃく閻魔』で有名な源覚寺。
こちらも小石川七福神の『毘沙門天』がおわします。けっこう怖めなお顔の閻魔様😨
 もう一つ、こちらは江東区の深川法乗院にある
「深川えんま堂」の閻魔さま。
....こちらは喜捨(👛)を入れると喋ります😄
お江戸の昔からの童(わらべ)歌....
 おぉ~えんまさまに願掛けてぇ~♪
が似合いそうな、チラッとユーモア感もある
閻魔大王☝️

 そんな1月16日は閻魔大王のその年最初の縁日。

追伸.
 最近、Instagramで坂道メンバーの公式インスタをフォローしている吾輩が、メンバーのハッシュタグ#で検索すると必ず舟饅頭やら夜鷹もどきのエロ垢が涌き出てきて、たんびに削除&ブロックで笑う。
インスタのガバガバさは異常だなムキー私娼窟かよw...あれって元はFacebookだろ。それにしちゃ危機感が足らねぇよなインスタも。エロ垢載せてる顔(加工アプリぐらい知ってるぞ俺らだってw)も心も不細工なアンポンタンチンチクリン人三化七ならぬ、人の方に籍が無い人ナシ化十だらけで呆れる😦。通報したって屁の足しにもならんし、あいつら舌抜かれねりゃいいのにって本気で思いながらセッセとブロック&削除の毎日w ....みむかし前くらいの土地の地回りとか「やの字」と同じ手口じゃねえか、ってニヤリ

 「にいちゃん、にいちゃん、若い女の子の裸の写真があるんだけど」って生まれたばっかのどっかの赤ちゃん👶の写真仕入れてきて買わせたりするヤツ

可愛いぃ~ねぇ

って、バカヤロウ! 舌抜かれちめぇ!!

世界中に日本の恥晒しやがってスカタン女ムキー