渡辺源次源綱(正式名/わたなべげんじみなもとのつな)から 綱─久─安─傳─満─省─授と続く......その薩摩守授(さつまのかみさずく)の子豊前守繁(ぶぜんのかみしげる)が徳川大名・旗本の祖。因みに豊前は現在の大分県...

💡そうか....それが九州で渡辺姓がトップ10にランクインしている二つの県のうちの一つなのかなニヤリって...😏
 
 繁から七代目の右馬允(うまのすけ=官職「馬寮」の三等官)満綱は鹿苑院足利義満の家臣。
 満綱の玄孫・源次(源次は綱からつづく「渡辺」の通称で二番目-次男-の意)道綱が、三河国(愛知県)額田郡浦部村に居住、その子源太左衛門範綱が家康以前の松平氏三代に仕える。その範綱の曾孫が
【渡辺半蔵守綱】

『徳川十六神将(家康股肱の側近16人)』の一人。衣服に「渡辺星」がくっきり。画は江戸時代に書かれたもの。

ゲーム🎮でこんなイケメンになった☝️😊
槍を持っているのは守綱の異名が『槍半蔵』だからだが、因みに同じく家康の家臣で『鬼半蔵』と言われたのが旧江戸城(皇居)の「半蔵門」の由来にもなった服部半蔵正成☝️で、同じく家康十六神将のひとりである。

 家康の関東入国後、新恩二千石(武蔵国比企郡=埼玉県)と併せて三千石。慶長五(1600)年、数々の軍功を賞され家康着用の「南蛮鎧」を下賜された。のち近江国(滋賀県)坂田郡、遠江国(静岡県)榛原郡などに加増され、同十八(1613)年、嫡子重綱と共に家康より
 「事の変あれば先陣となりて諸事を指揮すべし、且つ義直未だ幼稚なれば殊更諸事に心を用うべし」
と、家康の九男徳川義直(御三家尾張徳川家の祖)に附属を命じられる。義直からも尾張領五郡の内に五千石を与えられ総じて一万四千石となり、元のごとく騎馬同心30騎、歩行同心100人を預けられる。跡を嫡男忠右衛門重綱が継ぎ、同じく家康から義直附きを命じられた従弟の新左衛門秀綱に二千石を分知して1万1860石で尾張徳川家附家老(正式には『幕下附属衆』)で「万石以上年寄の一」(筆頭は犬山城主の成瀬氏、他に今尾城の竹越など渡辺家は浦部領主)。
 陪臣ながら直参の扱いで将軍にも直に会えるし江戸にも自邸(四谷鮫ヶ橋)を持てた特権階級ニヤリ
国元での上屋敷は名古屋城三の丸本町御門前、中屋敷が呉服町下白林寺前、下屋敷が出来町熱田御殿町、諸大名と同様、大坂にも屋敷があった。
通称「渡辺半蔵家」或いは受領名の「渡辺飛騨守家」と言われた。