これは吾輩の「渡辺(渡邊☆渡邉☆渡部)さん...etc」に関する備忘録なので、お構い無く
☝️😉

但し、興味がおありの方はどうぞご遠慮なく見ておくなまし☺️

 先ずはこれ☝️吾輩の別ブログの2014年の記事から...
【渡邊坂(わたなべざか)】
 新宿区中里町、早稲田通り飯田町方面へ向かい牛込天神町を左に曲がった江戸川橋通りの山吹町🚥の手前の右側に江戸時代あった旗本五百石の渡邊源蔵屋敷から付けられた坂名。新宿区の説明文を読むと、この旗本渡邊家は寛文七(1667)年、市谷鷹匠町から幕府が瓦解する迄約200年間、この地にあったという。
 そして、タイムリーな事に写真を見てわかるかなぁ~ 「案内板」を写したこの写真の右側奥にうっすらと見える....『渡辺産婦人科』というクリニックの看板👀⁉️末裔じゃないよね、って😅 
江戸時代の人名事典とも言うべき📖『寛政重修諸家譜』によると、旗本五百石の渡辺家といえば、あの「鬼平犯科帳」の主人公:火附盗賊改方(御先手組頭)長谷川平蔵宣以の娘婿・渡辺義八郎助泰の家が該当するが、別の旗本渡辺家の「半兵衛眞綱」家の三代目に「源蔵」という通り名を持つ渡辺隆という人物を見いだせるが、この家の家祿は倍の千石なワケで...。当時の旗本同士の結婚は家格が同じくらいというのが相場なので四百石だった長谷川家つまり「鬼平さんの娘のムコさん説」の方が有力ではないかと吾輩は思っている。

☝️通り名=通称(例→遠山の金さん「金四郎」が通り名、それに対して諱<いみな>は「景元」)
 
そして吾輩の別ブログから引用した写真👇
「牛込界隈の菩提寺めぐり」より

'14江戸ある記(8)改代町(旧牛込四軒寺町)伝久寺
http://ameblo.jp/hajino-kakimalu/image-11844190169-12930234783.html

もう一つ☝️
【三べ坂(さんべざか)】


 現在の千代田区永田町の衆議院議員会館の裏辺りに位置する『三べ坂(切絵図には「三辺坂」)』
 和泉岸和田藩岡部家×和泉伯太藩渡辺家×武蔵岡部安部家の上屋敷が立ち並んだ場所にある坂道で、「おかべ・わたなべ・あんべ」の三大名の上屋敷があったところからこう呼ばれた。