また、「なりつぐ」になっちゃってるじゃん🥲
 2020年11月にNHKスペシャル時代劇としてoaされた『十三人の刺客』☝️🤨
八代目中村芝翫(当時は三代目中村橋之助)の島田新左衛門で。ちょうどこの年の7月に、例のコロナ禍の中でTSUTAYAから借りて来た2010年にリバイバル上映された役所広司版『十三人の刺客』📀を観て挙げた✍️ブログ内容が下記に。
 オリジナル版から半世紀もの長い間「濡れ衣」を着せられていた松平斉韶(まつだいらなりつぐ)。2010年のノベライズ本📖には「斉宜(なりこと)」とちゃんと訂正されていたのに。
 なぜ又「なりつぐ」にした?😮‍💨 
しかも姑息(?)にも「左兵衛督斉継(なりつぐ)」て。どうしても「なりつぐ」にしたかったのかね🤢しかも原作が池宮彰一郎になってるけど、実際は池宮氏の前ペンネーム池上金男時代の作品じゃん。
 因みに実際の暴君斉宜の官位は従四位上中務大輔兼左近衛少将。
ドラマの中での「斉継(なりつぐ)様」の連呼はいただけない😵「少将様」か「明石少将様」が正解。この頃からかな⁉ あんなにおもしろかったNHK時代劇枠が民放のなんちゃって時代劇に寄せて来たのは...。

ということで以下は

2020年7月7日のブログ内容をそのまま掲載
👇
 やっぱりおもしろかった...「おもしろい」という言葉が適切ではなかろうが、おもしろいのだ。
原作は池上金男さん。のちに池宮彰一郎というペンネームに変えた方。昨今の時代劇等で出てくる大名の設定キャスト名が、昔と違って全く江戸時代には居ない架空の人物になっていて、その辺りを熟知している吾輩にとって実に違和感を覚えていたんでござんすよ....それ以前では架空といっても実在のお大名さんの姓を使用していた訳で、例えば「松平」☝️
 はっきり言って松平を名乗る大名旗本は、びっくりするほど多く😩、ただ単に「松平」と言ってもどこの松平だかわからない仕組みになっていた。
 江戸時代「松平」を名乗る家は
【将軍家の一族】
①家康の次男・結城秀康とその子孫(越前系)
 福井、前橋、糸魚川、桑名、明石、津山、松江、広瀬、母里各松平家。
②秀忠の三男・保科正之の子孫(会津)
③家宣の弟・清武とその子孫(越智)
④御三家の分家(連枝松平家)
 尾張→美濃高須、紀伊→伊予西条、水戸→讃岐高松、陸奥守山、常陸宍戸、常陸府中の各松平家。
⑤家康の外孫の奥平松平家
⑥家康の異父弟の久松定勝とその子孫、定勝の父俊勝(家康の母の再嫁先)の娘婿の戸田康長系
⑦家光の正室:鷹司孝子の弟鷹司信平(吉井、子孫は譜代松平に編入)
【松平賜姓の諸家】
①家康の娘婿:池田輝政とその子孫(鳥取池田)
②外様の国主大名:加賀前田、薩摩鹿児島島津、陸奥仙台伊達、長門萩毛利、安芸広島浅野、阿波徳島蜂須賀、土佐高知山内、筑前福岡黒田、肥前佐賀鍋島と備前岡山池田。
③一代限りの姫路藩主松平(榊原)忠次→母が家康の姪。
④二代限りの柳沢吉保と子の吉里。
....以上に加えいわゆる十四松平とも十八松平とも称される
【譜代松平】
①竹谷②形原③大草④長沢⑤能見⑥五井⑦深溝⑧大給⑨滝脇⑩福釜(ふかま)⑪桜井⑫東条⑬藤井⑭三木(みつぎ)...⑮松井⑯大河内⑰本庄⑱吉井

 こんなに居る訳で...😩詳しく羅列し過ぎて疲労困憊w という訳で 

閑話休題😓

 何を言いたいのかというと、昨今の時代劇で全く架空の殿さまの名前が増えたのはこの事があった為(コンプライアンス的に)か☝️と思ったわけですよ😰
 それは、原作者の池上金男氏の意図的なものか、それとも勘違いしたのか暴君の名を取り違えた😱

 幕末の名君として誉れ高い、また明治天皇の曾祖父にあたる肥前平戸藩主の松浦静山公が著した随筆📖「甲子夜話(かっしやわ)」に出てくる話がネタ基になっている☝️。
 曰く...明石藩八代(直良系九代)の松平斉宜(なりこと=家斉26男)が参勤交代で明石に帰国途上、異母兄(徳川斉荘-家斉16男)の尾張領を通過する際に、行列をさえぎった3歳の幼児を無礼討ちにした事件で、面目を潰された尾張徳川家が激怒💢😠💢して、以降明石側の尾張領立ち入りを拒否、この為、以後、尾張領通過の際は行列をとらず、藩士たちは百姓や町人姿に変装して通行した😫という逸話と、五十三人もの子供たちの将来(実際は全員が成人したわけではない)に頭を悩ませた幕閣の弊害がモロに出た背景があった。それは明石松平家には慶憲という嫡子がいたにも関わらずこれを廃嫡させて将軍の子:斉宜を強引にネジ込んだ。「10万石格」というお土産を付けて。 
 この経緯を原作者の池上氏が、なぜそうしたかは不明だが、この異常性格の暴君の名を「斉韶(なりつぐ)」と設定した。ところがこの「斉韶」さん、実際にいらっしゃった訳で😩、暴君斉宜の養父で、廃嫡された慶憲の実父、そう強引にネジ込まれた方の明石松平家第七代藩主。この映画🎬作品が公開された1963年のオリジナル作品から約半世紀もの長い間「濡れ衣を着せられていた」訳ですよ。
しかも、廃嫡された慶憲の生母である斉韶の正室季遠姫(川越藩主:松平直恒娘)が悲観のあまり抗議の自刃をしたという説もある。斉宜は後継がないまま急死をして、その跡を慶憲が相続している。この原因不明の急死は一説に依ると「無礼討ち」にされた幼児の親が鉄砲で撃ち殺したという説もある。そして今回のリバイバル作品として甦った
2010年版【十三人の刺客】。
この作品のリバイバル上映に際し出版されたノベライズには「斉韶」から「斉宜」に訂正されている。

 それにしても「暴君斉宜」にキャストされた当時のSMAP稲垣吾郎の狂気の演技には背筋が寒くなるほど素晴らしかったことを記しておく。

オリジナル版(1963)



 
2020-7/7のブログ内容を再構成。

2024-06/29