来年2025年のNHK大河ドラマ
『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の
タイトル題字が決定した。

 書家の石川九楊氏による筆🖌️

 そして先ずは『べらぼう』とは
何ぞや⁉という話から。

 お江戸のマルチクリエイターといえば、エレキテルの平賀源内先生☝️😄

その源内先生の戯作📖『風流志道軒伝』の序文にこうある...

「それ馬鹿の名目一ならず、阿房あり、雲つくあり、部羅坊あり、たわけあり、また安本丹の親玉あり」

 この中でも「べらぼう」は「べらぼうめ」と言い、これが訛って「べらんめえ」となる。威勢のいい江戸っ子が、罵倒語として好んで使った。

「べらんめえ、市に張形を売ァしめえし、あんなもんだ、こんなもんだのと、へンわからねえ事を言うなェ」
「なんのべらんめぇ、てめえこそ、わからねえ事を言あァ、人が集まっているから行きにくいと言うから、胸っ糞がわりいのだァ」
(☝️滝亭鯉丈📖『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』第三編)

 この「べらぼう」が、人を罵る言葉になった由来のいくつかある説の中で有力なものが、見せ物の「べら坊」説と、飯箆の「箆棒」説だ。

 ☝️「べらぼう」説の根拠は、菊岡沽涼(きくおかてんしょう)📖『本朝世事談綺』の
 「寛文十二年(1672)の春、大坂道頓堀に異形の人を見す。その貌醜きことたとうべきものなし、頭鋭く尖り、眼まん丸に赤く、頤(おとがい=顎)猿のごとし、荘子にいうところの支離蔬(しりそ=昔、中国にいたと伝えられる不具の人)が類にぞありける。京師東武(京都と関東)におよび、芝居をたてて諸々人に見せける。これよりかしこからぬ者を罵りはずかしむるの言葉となれり」だ。
 題字をお書きになった石川九楊氏もこの説をお取りになっている。

 ☝️次に箆棒(べらぼう)説は、穀類を潰す竹製の棒、すなわち「穀つぶしの箆棒」からきている。ここでいう箆棒は飯箆のことだ。ボンドのような強力な接着剤が無かった昔、というより、我が国でも糊の代わりに飯粒を潰して接着剤代わりにしていた時代があったように、江戸時代は飯箆で飯粒をねりつぶしたものを用いていた。
「穀つぶし」といえば飯を食べるだけしか能がない人を意味し、飯箆は、飯を潰すためしか役に立たない道具なので、「箆棒め」といえば、「この能なしめ」ということになる。

 また、人を罵倒するとき、「ごっぽう人め」とも言う。仏教用語で悪業の報いを受けるべき人の事をいう「業報人」が訛った言葉で、「この悪玉野郎め」といったニュアンスであろう☝️😏

「なんだ、このごっぽう人め、四文一合(しもんいちごう=居酒屋で飲むごく下等の酒)、湯豆腐いっぺいが関の山で、に、に、濁り酒の粕食(かすくれぇ)め、とんだ奴じゃァねえかい。二日の初湯ッから大三十日(大晦日=旧暦は31日はない)の夜半まで、是計(こればかし)もいざァ(いざこざ)言ったことのねぇ東子(あづまっこ)だムキー。」

と、これは銭湯♨️でわめきたてる酔っぱらいに、業を煮やした勇み肌のオトコの啖呵である☝️
 こうしたベランメェ調子の悪態は、いってみれば言葉のテクニックだ。
俗に「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」といい、喧嘩場のやりとりでも、口先ばかりが達者で、その割には度胸はない爆笑
その辺りを、当時の作家たちは見逃さなかった。
 滝亭鯉丈の名作📖『人間万事虚誕計(にんげんばんじうそばっかり)後篇』には、江戸っ子の勇ましい喧嘩のウソとマコトが活写されている。

 「べらんめェ、あんな野郎にこめられては男が立たねえ。死んでしまう死んでしまう。おれが死ぬからにゃァ、あいつを殺しておいて死ぬぞ。ヤイ野郎、サァ死(しに)ッくらだぞ。エエ留吉、放せというに、ふだんこそ刃物はあぶなかろうが、人を殺しておれが死ぬに、あぶねえことがあるものか。いやだいやだ、なんでも殺してしまわねえじゃァ、顔(つら)が立たねえ」

とは、行き掛かり上の虚勢。
本音はというと、

 「アァあぶねえことをした😩。あの時、留吉が庖丁🔪取るめえものなら、たんと切る気もねえけれど、ちっとかそっとは疵でもつける。向こうもジッとして切られてもいめえから、どんな事になろうとも知れねぇ。もうもう喧嘩はしねぇ。それに弥次の野郎めえ、おれが尻を持って、切るの突くのと騒ぎやァがる。頼もしくねえ野郎だ。ひょっとして殺して見たがいい、留めェ、よく骨をおってとめてくれた。命の親だ、ありがてえ、有難てぇ。南無俗名留吉大明神」
というわけである😁。

 いざとなれば意気地がなくなるのだが、生まれついた性格は直らない。といって、へたに悪態ばかりついていては、我が身が危険である。高度なテクニックが要求される。こんな小咄が作られた。悪態教育の塾である😄

「悪態の指南、大きにはやり、だんだん門弟ふえ、一人の弟子に印可(免許)の伝授を段々と伝え、さてこれからが奥の手じゃ、随分謹んで聞かっしゃい、まず先方がどんなに強かろうとも、そんなことに頓着せず、思い入れ(思う存分)に悪態をいって、それから鉢巻をする、そうすると、先方でも、もう堪忍がならぬプンプンから打ってかかる、それを合図に、尻を端折(はしょ)って逃げる」
(小咄📖『即席料理』)

 こんな話が作られるのをみても、「べらんめえ」の悪態とは裏腹に、江戸っ子のいたってお人好しで気の弱い一面がわかるというものだ。いわゆる歌舞伎十八番の中で、江戸っ子に最も人気のあった演目が『助六』だ。

「助六」は、まさに悪態のドラマである。敵役の髭の意休に対する遊女揚巻の悪態に喝采し、小気味のいい悪態をつきながら滅法強い助六に、空威張りの我が身を投影しては、溜飲を下げていたのだ。



p.s
 江戸っ子のしゃべくりを実体験したい方は
「早口で一気に」が基本でござんす😁


2020年6月22日投稿の『江戸ことば』ブログの内容を再構成して🆙