勝山髷で時代のファッションリーダー的超有名人になった「勝山」、三浦屋の花魁で11代も続いた「高尾」、二代目は伊達綱宗に2000両で身請けされたものの情人に操をたて半年も一切手を触れさせず綱宗の怒りをかって逆さ釣りで切られたいわゆる「仙台高尾」、六代目は唯一花魁出身で姫路藩主榊原政岑の側室になった「榊原高尾」など、その後が知られている人物はごくごく僅か。
 新吉原の多くの遊女たちは浄閑寺という「投げ込み寺」へ無縁仏として葬られたのが実情。
 そんな中、大文字屋の遊女だった誰袖(たがそで)は田沼意次によって引き立てられた幕府勘定組頭の土山宗次郎孝之に祝儀も含め1200両の大金で身請けされた。
 天明六年松平定信の台頭により老中失脚の憂き目にあった田沼意次。その意次の傘下にあった土山は公金横領疑惑で逐電し狂歌師グループの仲間で内藤新宿の煙草屋のオヤジ平秩東作(へずつ(ち)のとうさく)に匿われていたが捕縛され斬首に。この土山と関わっていた蔦重をはじめ、喜三二、京伝、南畝、春町など多くの文化人たちがこの一件で筆を折る事態に。
 土山に身請けされた誰袖のその後は詳らかではない。
 誰袖は、🎃南瓜大好き人間「かぼちゃのもとなり」が営む大文字屋のお抱え遊女。
 加保茶元成、元成の妻・秋風女房、元成が営む遊廓大文字屋のお抱え遊女「誰袖」の狂歌が存在☝️😙