【本丁連②】
◆一文字白根(いちもんじしらねorひともじしらねぇ?)
 通称:草加作左衛門。名は環、字は循仲。常盤橋北ノ番所曲渕公邸(江戸北町奉行・曲渕甲斐守景漸<明和六年~天明七年在任>か?)に住す。本名が環だから字(あざな)が循なんだろうか?😓「循環」

◆浅草馬道(あさくさうまみち)
 まんまw馬道霜解とも。のちの千種庵(山中要助)と同一人物か?

◆八畳陰多奴伎(はちじょういんたぬき)爆笑

◆酒上あたゝ丸(さかのうえあたたまる)
 🍶😚酒呑んで温まるw

◆志水燕十(しみずえんじゅう)
 通称:鈴木庄之助。根津に住んだ戯作者。

◆質草少々(しちぐさのしょうしょう)
 「深草少将」のパロディ爆笑
戯作者名を「唐来参和(とうらいさんな)」姓は加藤氏。通称和泉屋源藏。伊豆亭と号す。本所松井町住み。文化七(1810)年正月廿五日歿、年六十七。

◆麦藁笛也(むぎわらのふえなり)照れ
 一榎庵。姓は鈴木氏、名は光陸(みつおか?)。通称扇屋小兵衛。浅草馬道住み。文政十(1827)年歿。

◆覚蓮坊目隠(かくれんぼうめかくし)爆笑
 巧いねぇ、どうも😉

◆多下手道然
 たべてどうぜん!?w😄

◆鳴滝音人(なるたきのおとひと)
 古今亭、また団栗庵と号す。通称:滝沢権右衛門。京橋二丁目に住す。寛政八(1796)年四月歿。

◆鑿釿言墨金(のみのちょうなごんすみかね)
 勿論○○中納言○○のパロディ。鑿・釿・墨金と全て大工道具で(笑)。姓は中村氏。通称和泉屋和助。本所相生町住みの大工棟梁。別号を桃栗山人、烏亭焉馬、立川焉馬など。
 墨金さんこと焉馬師匠は初代三笑亭可楽(台東区今戸の潮江院で近年、墓碑が発見された)と並び⭐江戸落語中興の祖⭐といわれる。本所竪川沿いに自宅があったため「立川」に。現代の立川流元祖と言えるか!?
 また「花道つらね」こと五代目市川團十郎の大タニマチ(元祖太オタ😂)で、自ら名乗った談洲楼(だんじゅうろう)の号もある。
文政五年六月二日歿、享年八十。本所最勝寺葬。最勝寺は現在江戸川区平井一丁目に移転。江戸五色不動の一つ目黄不動として有名。焉馬の笠塔婆型墓碑も現存している。

◆大の純金無(だいのじゅんきんなし)
 洒落本作者としての別号・蓬莱山人帰橋(ほうらいさんじんききょう)の名が有名。姓は河野氏。上州高崎藩藩士である。

◆野原雲輔(のはらのくもすけ)
 「四方連」の紀定丸(きのさだまる)と同一人物。

◆酒上不埒(さけのうえのふらち)
 江戸文学における人気有名作家でござんす。酒癖が悪い!と自嘲の狂歌師名爆笑だが、実際には「恋川春町」という戯作者名の方が有名。寿山人、高慢斎の別号あり。小石川春日町に住んでいた為、恋川春町(こいかわはるまち)という戯作者名を多用した。実は手柄岡持同様の大名家家臣である。こちらは譜代小大名だが😙。駿河小嶋藩一万石松平(滝脇)豊後守家中の江戸用人倉橋寿平。寛政の改革で叱責を受けたのちまもなく死す。寛政元(1789)年七月七日歿、年四十六。新宿区新宿二丁目成覚寺に墓碑が現存。因みにこの成覚寺は三ノ輪の浄閑寺、品川海蔵寺と並ぶ遊女の「投げ込み寺」として有名である。

次号は【四方連(よもれん)】の皆さま。