【朱楽連】
◆朱楽菅江(あけらかんこう)
 幕臣。もちろん、「あっけらかん」のパロディでござんす照れ

。天明狂歌三大人の一人で通称山崎郷助、名は景貫(かげつら)、字は道甫。朱楽館、淮南堂(わいなんどう=淮南とは豆腐の別名)、芬陀利華庵(ふんだりけあん=踏んだり蹴ったり...?😓)の号あり。役職は幕府御先手組与力。市谷廿騎町住。寛政十(1798)年十二月十二日歿、年六十三。


◆ふしまつの加加(ふしまつのかか)
 節松嫁々とも。「不始末の嫁」から。幕臣小宮山常右衛門の娘にして朱楽菅江の妻。名はまつ。晩年孤月尼と号す。文化七(1810)年正月九日歿、年六十六。朱楽菅江夫妻は同じお墓には入っている。菩提寺は青山青原寺。現在は中野区上高田に移転し墓碑も現存しています😍

◆福林堂巨立(ふくりんどうこりゅう)
 のち便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)と改む。新宿区袋町にある光照寺の彼の墓碑には琵琶の絵が刻まれているが、戯名の「べんべん」と琵琶の音色ベンベンからだろうと想像する😄。本名を大久保平兵衛正武という幕臣が彼の正体である。
その湖鯉鮒の代表狂歌がコレだ。

「三度炊く 米さえこわし 柔らかし 思うままには 成らぬ世の中」

牛込山伏町住(現在の新宿区市谷山伏町)。文化十五(1818)年四月七日歿、享年七十。同年は四月廿二日に改元して文政元年となる。
 ☝️つい最近、吾輩のおふくろのお墓参りの帰りに久しぶりにお会いしてきた。

◆出諏訪耳彦(ですわのみみひこ)
 下世話の耳・・かなwww
通称西井彦吉、牛込住み。

◆古瀬のかつ雄(ふるせのかつお)
 古い鰹🐟でしょうかね😃正体は田安徳川家家臣。通称松本亀三郎、のち半右衛門。名は保固(やすみつ)。画名を花朗斎三甫という。四ッ谷忍原に住す。同じ田安徳川家家臣の唐衣橘州(小島源之助)も忍原横丁に住んでいたが、拝領組屋敷が此処にあったのだろうか。因みに徳川御三卿(田安/一橋/清水)の家臣は全て幕臣。そして四谷忍原横丁とは現在の四谷警察署👮の裏辺りの新宿区左門町である。

◆加陪中塗(かべのなかぬり)ニヤリ
 赤坂住みの左官棟梁で通称河合安右衛門。左官屋さん、壁塗り😂

◆銀杏満門(ぎんなんorいちょう・・どっちでござんしょ😰)
 通称久保九郎太郎。号は首順。牛込廿騎町住み。この廿騎町、現在は新宿区二十騎町といい牛込警察署裏辺りになる。タレントで俳優の峰竜太氏の独特奇抜な大邸宅がある。二十騎とあるので、町奉行所以外の与力の拝領屋敷が集中していたのであろう。またまた因みに(笑)、回りには箪笥町、払方町、納戸町、細工町があるが、これらは全て町奉行所以外の同心組屋敷があったところである。御箪笥同心/御細工同心など。

◆臍の穴主(へそのあなぬし)☺️
 牛込赤城下の名主。通称渡部庄兵衛。
俳号を川鯉。

◆雲楽斎(うんらくさい)
 神田神保町小路住みの旗本長坂忠七郎。

◆厩屋のまや輔(うまやのまやすけ)🐴
 通称山口長兵衛。讃岐高松藩松平家家臣。小石川藩邸に住す。

◆猩々小僧(しょうじょうこぞう)
 猩々とは狸の別名。

◆井内蛙子(いのなかのかわず)
 「井の中の蛙大海を知らず」のあの意味からでしょうね♪😆

◆抜裏近道(ぬけうらちかみち)
 まんま爆笑

◆すきはらのまずき
 「空きっ腹まずい」どんな漢字をあてたんでがしょ?

◆塩屋のから人
◆牛込遅道
◆鍋の垢丸(なべのあかまる)
◆瓦のむさ墨
◆浜虎坊鶏子
◆阿部のお茶丸
◆大供家主(おおとものやぬし)



次は【堺丁連】と【吉原連】共に色っぽいところ...堺丁連には当時の舞台関係者が多数。あの市川團十郎も。