【狂歌知足振】より
『スキヤ連』
◆算木有政(さんぎのありまさ)
宮中の官職名・参議を使用。数寄屋橋門外に住む本名羽倉則之。別号常総庵。一説に後述の草屋師鯵の兄とも。寛政六(1794)年三月歿。

◆物事明輔(ものごとあきすけ)😩☺️
のち銭屋金埒と改め、滄洲楼、日頭庵、黒羽二亭と号す。屋号は大坂屋、通称馬場甚兵衛。数寄屋橋外に住む。文化四(1807)年十二月四日歿。

◆草屋師鯵(くさやのもろあじ)💀www
「くさや」はムロアジ🐟が主流でござんす。通称細井八郎治。京橋弥左衛門町に住む。文化元(1804)年十一月歿。

◆鹿津部真顔(しかつべのまがお)
「しかめっ面の真顔」でゲスなニヤリ😓
のち狂歌堂、四方歌垣、俳諧歌場と改む。
四方赤良(蜀山人)門下。数寄屋橋外に住む通称北川嘉兵衛。文政十二(1829)年六月六日歿、享年七十七。小石川光円寺に墓碑が現存。

◆油杜氏煉方(あぶらのとうじねりかた)
お公卿さん(油小路[あぶらのこうじ])さんっぽい名前😏 数寄屋橋外に住む。煉油商で屋号は宇の丸屋。

◆河井物簗(かわいいものやな)😂😍
旗本中橋家家臣にして牛込に住む。本名河合正毅。秋長堂と号す。

◆桜のはね炭
通称源蔵。牛込揚場の米屋甚兵衛方の雇い人。

◆大束冬名(おおたばのふゆな)
大束の冬菜?。京橋の川畔に住む。姓は酒井氏。

◆堂鞆白主(どうともしらず)😫
「どうとも知らず」(笑)。紀伊徳川家の番頭(「ばんとう」じゃありませんw「ばんがしら」です)で、名は丹羽雀助のち嘉十郎。赤坂の紀伊上邸(現在の迎賓館を含む赤坂御用地)に住む。

◆板屋常恒(いたやのつねづね)
初め三番叟早人、こち江都園。通称山村吉左衛門。根津の住人。文化三(1806)年五月歿。

◆草部音那志(くさべのおとなし)
「すかしっ屁」でござんすね🙀😫

◆言葉綾知(ことばのあやしり)
「言葉のあや😁」戯作者岸田杜芳。通称岸田豊治郎。芝桜川三島町の表具師。天明八(1788)年五月歿。

◆南陀迦紫蘭(なんだかしらん)びっくり🙀😲
別号・一節千杖。日本橋小伝馬町住で通称窪田易兵衛。画を北尾重政に学び尚左堂俊満と号す。文政三(1820)年九月廿日歿。享年六十四。

◆竹杖為軽(たけつえのすがる)爆笑
杖にすがってるんです。別号万象亭。通称森島甫斎。名は中良、字は虞卿。医師。天竺浪人(老人)平賀源内門下。文化五(1808)年十二月四日歿。享年五十五。

◆元杢網(もとのもくあみ)照れ
木網とも。落栗庵と号す。初め京橋北紺屋町、のち西久保(現在の虎ノ門三丁目~旧西久保巴町~)に住す。本名渡辺正雄、通称大野屋喜三郎。江東区深川二丁目正覚寺に妻と連名の墓碑現存。

◆知恵内侍(ちえのないし)照れ
元杢網の妻。「知恵のない子」の意味から宮中の女官名・内侍(ないし)を掛けている。

◆網のはそん針金
名家の本姓○○朝臣(あそん)のパロディに針金が破損した網に掛ける。別号梅園静廬。通称北三左衛門、名は慎言。字は有和。嘉永元(1848)年二月廿日歿。年八十四。

◆お大小竹光(おだいしょうたけみつ)
下谷住みの通称水野太刀彦。太刀からの連想で且つ「竹光」だと😆。

◆貫あつき(つらのあつき)www
◆明店(あきだなの)はそんふさがる
◆手枕のうたゝね
◆北向さむき😁
◆相場高安(そうばのたかやす)
◆摺芋つくね
◆蛙の面水
◆ほうとう坊心外
◆かすか屁のう陰法師
◆いその若女(どっかで聞いたような名前びっくり勿論、この方のほうが先でござんす)
◆莫連法師
◆白壁くらん戸
官職名の蔵人でしょうな。左官屋さん!?
◆羅知秋兼(らちあきかね)
埒が開かないって(笑)。
◆朝寝昼起www☺️まんま
◆秦の玖呂面(しんのくろづら)爆笑
真の黒面でしょうね。今松崎しげるwww


次回は「小石川連」の皆さまです。