『十四歳・出奔・乞食旅』
十四の年、俺が思うには、男は何をしても一生くわれるから、上方辺りへかけおちをして一生いようと思い、五月の二十八日に、股引きを履いて家を出たが、世間の中は一向に知らず、金も七、八両ばかり盗み出して、腹に巻き付け、先ずは品川まで道を聞き聞きしてきたが、なんだか心細かった。
それからむやみに歩いてその日は藤沢に泊まり翌日早く起きて宿を出たが、どうしたらよいか思案しながらふらふら街道を行くと、町人の男二人連れと意気投合し一緒に上方に行こうとなって、その日は小田原に泊まった。その時、「明日は御関所だが、手形は持っているか」と聞かれたので、「そんなものは知らぬ」と言ったら「銭を二百文出せ。手形を宿で貰ってやる」というからその通りにして関所も越したが油断はしなかった。その日は浜松に泊まったが、二人が道々よく世話をしてくれたから、少し心が緩んで、裸で寝たが、その晩に着物も大小も腹にくくりつけた金もみんなとられた。
朝、目が覚めた時、枕元を見たらなんにもないから肝が潰れた。宿屋の亭主に聞いたら、二人は「尾張の津島祭りに間に合わないので先に行くから、あとより来い」と言っていたというから、俺も途方に暮れて、泣いた。

亭主がいうには、「それは道中のごまの蠅という者だ。わしは江戸からのお連れと思っていたが、なにしろ気の毒なことだ。何処を志して行くのか」と聞くから「何処とていうあてはないが、上方へ行くのだ」と言ったら、亭主が柄杓一本くれて「これ迄、江戸っ子がこの街道ではよくある話だから、お前もこの柄杓を持って、浜松の御城下・在とも一文ずつ貰って来い」と教えてくれたから、漸々思い出して、一日中歩き方々で貰い、米や麦五升ばかりに、銭を百二、三十文貰って宿屋に戻った。いい亭主でその晩は泊めてくれた。翌日「先ず伊勢へ行って、身の上を祈りてくるがよかろう」というから、貰った米や麦を三升ばかりに銭五十文ほど、亭主に礼心にやって、それから毎日毎日乞食をして、伊勢大神宮へ参ったが、夜は松原又河原或いは辻堂で寝たが、蚊に攻められてろくに寝ることもできず、つまらぬざまだっけ。