また、老と死とを詠ずる教えがあります。
「ああ、短いかな、人の生命(いのち)よ。百歳に達せずに死ぬ。たとえ、それより長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。」(『スッタニパータ』八〇四偈)

以上、長く紙面を用いてゴータマブッダ(釈迦・釈尊)の思想を語り、仏教経典では「苦(くるしみ)」と言うものをどの様に説かれているかを書いてきました。
この様に、地球という星は「苦が充満する低次元の星」であり、この宇宙では、ある意味「特殊な星」であると、石井数俊氏の話や胎内記憶を持つ子ども達の話から判明するのです。

石井氏の話などから、2500年前にインドに生まれ「仏教」という宗教を開いたゴータマブッダ(釈迦)という方は、すでに当時「その事を知っていた」という事実に驚愕するばかりです。
その様に考えたら、当時のインドの思想家は「宇宙」というものに対して相当深い知識を持っていた。あるいは、宇宙人とコンタクトを取っていたと考えることが出来るのです。

その様なことを前提に、記事はここから「人間の生と死」ということで書いていきます。

経典には、様々な教えが説かれています。このように、経典は「この世界を、きちんと生きていく為の指南書」とも言える存在です。
この指南書に、長く接して自らの精神(こころ)を安んじる必要があります。まだまだ、自分の人生の時間は十分にあるなどと考えてはいけません。

いつ何時、何が起こるか分からないのがこの世界なのです。最近起こった、能登半島の大地震も「そんなことが起こるとは思わなかった」と考える人間が殆どです。

「死」の問題は、地震よりも確実に起こることです。「リスク管理」等という言葉は、余りにも薄くて軽い言葉に聞こえますが、元気に生きている現在(いま)こそ未来に備える必要があるのです。

以上、この世で最大の苦しみとされる「肉体死」にまで話が来ましたが、その肉体死に関しては「宇宙の法則」に従うしかありません。「死して後の世」については、ゴータマ・ブッダと言えど教えを説かれてはいないからです。

しかし2024年に入り、明確に「人間の肉体死は人(ヒト)の死ではない」と語る人間が現れました。彼は宗教家ではありません。
彼は、もうすぐ地球の大掃除が始まり多くの人間が「この世を去る」と語り、この世を去る人間は「決して不幸な存在ではない」と言います。
人間は、この世界に生まれてくる前に、「自分自身が設定した目的があり」それに沿って生きるべきであると教えるのです。

続きまして、石井数俊氏が語る動画である「肉体死は人の死ではない」に基づいて解説を進めて行きます。
(続く)

https://www.youtube.com/watch?v=Ge7E8PlYFa8