本記事で述べる(ある)俳優とは、今年5月16日に81歳で亡くなった中尾彬氏のことを指します。私自身、彼のファンでもなければ映画もほとんど見たことがありません。
語りたいのは、彼の「鮮やかにして穏やかな亡くなり方」についてです。勿論、身近で見ていた訳ではありませんから、あくまで伝聞したことを基に思いを巡らせ書いているだけに過ぎません。

中尾氏は、夫妻で10年近く前から(積極的に)終活を進めていたという情報があります。自身の、トレードマークとも言える「ねじねじ」を半減させていたようですが、(何と)全盛期には約400本の「ねじねじ」を所有していたと言います。

更には、自宅以外の不動産の売却、遺言状の作成、墓の建立など、中尾さんが終活について「終わりの活動。活動というのは生きていくためにやること。死に支度ではない」と語っていたと報道されています。

私は最近、YouTube動画和田秀樹チャンネルで「【中尾彬さん】訃報を受け、感じたこと」を見て、色々感じることがあったので(それも)書いてみます。
まず、「10年近く前から(積極的に)終活を勧めていた」という理由ですが、和田秀樹医師は「自分自身の(全くの)憶測だが、「医師からガンの余命宣告を受けていたのではないか?」ということを語られています。

私も、確かにその可能性は否定出来ないと考えますが、一番は年齢的に(いつ何時、何があってもおかしくない)と想定していたのではないかと推察するのです。
私自身の印象から、中尾彬氏は「あの強面の印象に似合わないほど、繊細で知的な人物だったのではないか」という感想を持ちます。

芸能界という狭い世界を見渡してみても、70歳前後で亡くなっておられる方は「決して少なくない」のが現実です。
コロナ最盛期に亡くなった、志村けん氏(70歳)や岡江久美子氏(64歳)は有名ですが、俳優では地井武男氏(70歳)、林隆三氏(70歳)、大杉漣氏(66歳)など、芸能界でそれなりに活躍された方が多く亡くなっているのが実際の話です。

確かに現在(いま)は、長生きの時代だから「70歳位で亡くなるのは早いよ」と思われる方は多いとは思いますが、「生きている者は(必ず)死ななければいけない」という理(ことわり)がある以上、早い遅いはある意味その人の寿命に基づいて起こることがらです。

仏教思想を長い年月学んでいる私からすれば、生きている人間が亡くなると言うことは、「何の不思議なことではなく、(ある意味)当たり前のこと」です。
何を言いたいかと申しますと、中尾彬氏は自分自身の年齢的なものを考え、「いつ何時何があってもおかしくはない」と考え、少しずつ終活を進めていたのではないかと言うことです。

世の中には、「何が何でも生き続ける」という人や、「百歳まで生きる」と考える人がいても(何ら)不思議ではありませんし、どう考えるかは(その人の)自由です。
だからと言って、みんながみんな希望の年齢まで生きられる道理はありません。思わぬ病気になったり、事故に遭遇することもあるのです。
まさに人間、何時どこのタイミングで「寿命が訪れるか?」など、誰も知り得ないとしか言いようがありません。
(つづく)
※この記事は、(その6)まで続きます。