記事、(その1)からつづく。

(2)〈良の評価で社会学科の文学士号を授与する〉
「4行目に「良」の評価で社会学部の文学士号が授与されたことが記されていますが、カイロ大学の成績評価は「優」、「良上」、「良」、「可」、そして不合格が2段階。「良」の評価では小池氏が主張している首席卒業はまず不可能でしょう」

(3)〈1978年11月&ヒジュラ暦1397年〉
「いずれも「卒業証書」の発行時期ですが、発行日の日付がないことに疑問を感じます。また、イスラム社会で用いられる暦であるヒジュラ暦(太陰暦)の方には月の記載がありません。専門家が調べたところ、西暦1978年11月はヒジュラ暦では1397年ではなく、1398年に該当することも判明したのです。」

実際に作成されたのが随分後だったことから、1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった可能性があります。
(4)〈授与された者(サイン空欄) 学生登録番号(空欄)〉
「最終行左側の〈授与された者〉の欄に小池氏のサインがされておらず、右側の〈学生登録番号〉が空欄になっていることも卒業証書の信憑性を疑わせます。」

監査統括官のサイン欄が空欄
では、「卒業証明書」の方はどうだろうか。
(5)〈本学部は証明する。Mrコイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた〉「小池氏が男性形のMrで表記されている点です。一部に「カイロ大学が発行した卒業証明書ではよくあること」との指摘もあるようですが、アラビア語の専門家がいる文学部を持つカイロ大学がそのことを自ら”公式に”認めているのでしょうか」

(6)監査統括官(サイン空欄)
「監査統括官のサイン欄が空欄なことにも違和感を覚えます。監査統括官は試験段階の監査と監視、審査、試験結果の作成などを任務とする委員会のトップ。その人物のサインがない卒業証明書は「瑕疵ある卒業証明書」と言えるでしょう」

「日本の民主主義の根幹にかかわる重大事件」
(7)〈1977年1月12日発行〉
「この発行年月日が最大の疑問点です。「卒業証明書」は1977年1月12日発行と記されていますが、「卒業証書」は1978年11月発行。1976年12月29日に卒業したという「卒業証書」の記述を踏まえると、「卒業証明書」だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、「卒業証書」は後に発行されたという不思議な順序になるのです。また、卒業日が1976年12月29日だとすると、同年の12月は残すところ30日と31日だけになります。

31日はイスラム教の世界では休日の金曜日だったことに加え、小池氏が正月に日本に帰国していたことを考えるとこの日程の中で小池氏は一体、いつ「卒業証明書」の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか」

これら計7つの”重大証拠”に加え、カイロ大学声明の発出経緯について小池氏が自身の関与を否定していること、カイロ大学時代の同居人である北原百代氏の証言を直接聞いたことなどを踏まえ、小島氏は学歴詐称を確信したと話す。

「小池氏は長年にわたって虚偽事実を隠蔽しており、情状は重いと言わざるを得ません。本件は外国の関与や影響によって日本の政治や選挙が歪められる怖れがあり、主権の独立性という日本の民主主義の根幹にかかわる重大事件だと考えます」

刑事告発に対する受け止めについて小池氏側に書面で問い合わせると、次のように回答した。
「卒業についてはカイロ大学側が認めています。卒業証書と証明書はカイロ大学の正式な手続きにより発行されたもので、何度も公にしています。卒業を証明出来るのは大学のみであり、他者ではありません。選挙のたびにこうした話が取り沙汰されることは残念であり、カイロ大学の名誉を毀損するものと考えます」
(終わり)