「もしあのとき、別の先生に出会っていたら──
僕の膝は、人生は、どうなっていただろう…」
治療家として多くの膝の痛みと向き合う今でも、
ふとそんな思いが胸をよぎることがあります。
好きなことを続けられる人生を支える整体院
“もうできない”が“またできる”に変わる場所
こんにちは、うえすぎ整体院の上杉です。
当院は、「もうできない」とあきらめかけていることを、
「またできる」に変えていく。
そんなあなたの大切な人生の楽しみを一緒に取り戻していく場所です。
これは僕自身が「もうできない」とあきらめかけたところから
「またできる」に変わっていく経験をしたことで始まった
僕の治療家人生の物語です。
今日はぜひそんな僕の「またできる」に変わった感動秘話をお楽しみください。
→自分で言うな!と心の中の突っ込みはそっと心の中にしまっておいてください。
あまりに長いので1章から3章までの3部作です。ナガッ笑
暇なときにゴロゴロしなが、読んでみると意外な過去が明らかに…
なるかもしれませんし、ならないかもしれません。
~ 第1章 ~
僕は20代の頃、サッカーの試合中に膝のケガをして
立てなくなり、そのまま救急車で運ばれました。
診断は「半月板損傷(はんげつばんそんしょう)」で、そのまま手術となりました。
当時、担当してくれたのは“膝の権威”と言われる整形外科の先生で
そんなすごい先生にみてもらえるなら
「きっと大丈夫だろう」
そんなふうに安心していました。
ところが手術を終えてから、思いもよらない事実を知らされることになります。
前十字靱帯(ぜんじゅうじじんたい)と言う膝の中の靱帯が完全に切れてしまっていたこと。
しかも、その先生は僕に
「膝の前十字靱帯っていう靱帯も切れていました。
もしサッカーをしていて不自由を感じたら、手術しましょう」
という軽い説明だけで、他には何も説明もなく
靱帯をつなげるような手術を強く勧められることはありませんでした。
当時の僕は医学の知識もなかったため疑問に思うこともなく、
「靱帯が切れていることはそんなに大したこじゃないんだ!またサッカー出来るし、本当に良かった。」
ぐらいに思っていました。
しかしある日、試合中に突然──
膝がガクッと崩れ、その場でまた立ち上がれなくなりました。
脚を引きずりながら、今度は通っている接骨院の先生に紹介された
スポーツ整形外科に行きました。
そのとき先生に言われた一言が、今でも忘れられません。
先生:「なぜ前十字靱帯が切れたままプレーしていたの?」
僕:・・・?
そこで初めて知ったのです。
前十字靱帯というのは、膝の靱帯の中でもとても大切な靱帯で
“激しいスポーツをするためには欠かせない靱帯”
だったのです。
スポーツをしている人ならプロじゃなくても
ほぼ全員が手術をしてから復帰するようなケガだったんです。
切れたままスポーツすることで
半月板や膝の軟骨が傷つき、膝がボロボロになるリスクがあったのです。
そして、靱帯がないまま2年間プレーしていた僕の膝は
軟骨がすり減り、変形が進み、
20代前半で「変形性ひざ関節症」になってしまいました。
「なんで僕がこんな目に…もうサッカーが出来なくなるかもしれない…」
「どうして最初の病院で膝の権威と言われる先生は、こんな大事なことを教えてくれなかったんだろう…」
そんな不信感や行き場のないモヤモヤした気持ちで、その日の診察を終えました。
そしてここから、僕の人生の歯車がゆっくりとまわり始めました。
→ 続きは第2話へ。
僕を救った一人の治療家との出会いと、その裏にあった“もうひとつの真実”とは?
