右目の白内障の手術が終わると車椅子に載せられて部屋に戻された。
果たして手術は成功してくれるのか、否か…
余計な動きはせず静かにすごすようにと言われた為に、ベットに腰かけているだけでやることが無いのだ。
手術が成功か不成功を、ただただ待つだけの気が遠くなりそうな長い長い時間がはじまった。
私は本来は気が小さい、気が短い性格なので待つということが大の苦手だ。
ただ待つだけの時間は、もう辛くて、結果が怖いばかりなのだ。
こんな長くて不安だらけの一日というのは85歳にして生まれて初めてだった。
そして今回不思議で仕方なかったのが、“前回の左目の時はどうだったか”を手術をはじめとして何も思い出せないことだった。
だからなお更に、長く長―く感じられたのだと思う。
ホントこれほど辛く長い一日は過去には無かった、一時間という時間が何時間にも感じられた。
“左目のように世界が変わるほど見えなくてもいいですから、とにかく無事に成功させて下さい”、と無事を祈りながら、本当は心の中で大成功を期待したのかも知れない。
結局そのまま遅々として時間は過ぎず夜となり、今度は全然眠れない長い夜を過ごさざるを得なかった。
手術の翌日、待ちに待ったF先生がやって来られた。
眼帯をはずされると、真っ白な明るい、まぶしい感じの中にF先生の顔が本当に女神さまのように輝いて見えた。
“ありがとうございます”と、心の底からお礼が言えた。
まだはっきり見えるわけではなかったが、大きな大きな希望の持てる明るい景色が広がっていた。
視力的には願った通りに左目の半分くらいの見え方が確保されていて、安堵した。
思えば昨年から始まる予定だった白内障の手術だが、糖尿病や前立腺肥大の治療などでのびのびになり、アレヤコレヤを一つづつクリアしながらようやくたどり着いた白内障の手術だった。
F先生のお陰とO編集長はじめ色々な人達の応援と激励のお陰で視力が蘇り、85歳にしてまた新たな人生の始まりを迎えることが出来たわけだ。
本当にありがたい人生だとだと思っている。