前回⑪は↑
Risboa→Madrid着 11:05
リスボンの駅で話し好きの日本人中年に話しかけられ、電車を待つ間1時間あまり話どうし。話したくもないのに、何かと自慢話のようなことばかりで全く閉口してしまった。
出発時間になってやっとの事、おじさんは1等車なので、別れると喜んだのもつかの間で、せっかくの1等車からわざわざ2等車までやってきて、隣に座り又話し始めた。
むげにもできず、何とか合わせていたものの、こんなにも話好きの人と会ったのは生まれて始めてのことである。
まさに驚異の世界に引きずり込まれてしまったようだ。
途中から乗り込んできたポルトガル人も、このおじさんの話っぷりには呆れたようで、横目で見ている。
夜になっても話は止まらず、途中で検察官が来たり、出入国検査があったりで、結局眠れずにマドリードに着いてしまった。
けだるい気分で降り立ったマドリードの街はあまりにも大都会。
小さな古い、汚らしい街を予想していたのに、全く違っていた。
交通量と人の多さに驚きながら、セビリアで会った日本人に教えてもらったアマデオへ。
アマディオは中央電話局の裏にあり、日本人の溜まり場になっている。
マドリッドの中心にあるのに1泊シングル料金が225Pts約700円という安さである。
ここのペンションの宿泊客はすべてが日本人なので、ここのおばさんは日本語を話すのである。話すといってもチェックインの時
「いつさよなら」
「名前、住所」
「今、お金」
と言った感じで、機嫌のいいときはまことにいいおばさんなのだが、とかく口うるさく、スペイン人には珍しいのではないかと思うくらい清潔づきだ。
*2005年頃だったか、警視庁からアマデオのことで聞きたいことがあるとの事で、訪問され知ったのが、アマデオが北朝鮮拉致事件の現場だった。
よど号犯人の妻、森淳子と若林佐喜子による石岡享さんと松木薫さん拉致事件です。まったく同じ日に拉致された石岡享さんと松木薫さんとアマデオに泊まっていました。
拉致の事⇓
この近くには約250円程で満腹定食をだす食堂もある。
酒も安いし、実に生活しやすい地がスペインの首都マドリードである。
そして生活習慣も朝食は10時頃ビスケットで、昼食はすぐの12時頃、そして昼寝をしてからうろうろと出かけ始め、16時頃になるとバルでビールを飲み、1杯入ったところで本格的に動き始め、21時頃になって夕食を食べる。
そして夕食後にバルへといった生活だ。
そんな具合なので動き廻るのがばかばかしく、シエスタを楽しみ、飲みまくるといったマドリードの生活が始まった。
今日の昼食は初めての大失敗、気持ち悪くて食べられなかった。
昼食後マドリッドの街を歩き回りいろいろと見たが、どうも街が都会すぎてあまり好みでない。
やはりセビーリャのような田舎町の方が好きだ。
1980年4月29日 曇り Madrid
今日の見学場所、プラード美術館。
食事を一緒にした日本人2人は一人が画家の中村さんで一人が医者の伊藤さん、二人とも自分の目的を持っているが俺は何もない。
中村さんは在日で国籍が韓国で、韓国の大学へ通っているとのこと。
セゴビアへ一緒に行くことにした。
マドリッドは寒く冬になったみたい。
夜になり、夕食をアマデオ近くのレストランですました後、アマデオへ帰り、ロビーのようなところでみんなで話をしていると、ドアを開けて日本人の女の子が入ってきた。
入ってきたのはバルセロナで、そしてグラナダで会ったフランスに住むピアニスト達であった。
思わず驚きの声を上げてしまった。
彼女たちもすぐに気が付いたらしく、同じように驚きの声を上げた。
セビリアで別れて何日も経っていないし、それほど親しくもなかったのに、又こうして3度も偶然会うとなると、何か不思議な気がし、なんとなく昔の恋人に出会ったような気持ちにさせられる。
彼女たちは3日ほど前からアマディオに泊まっていたらしいが、昨日も一度も会わなかったのが不思議だ。
「又会えるなんて、これは間違いなく何かある、とにかく又会えておめでたいから、ビーノでも飲みに行こうよ」
と言うと彼女たちも満面の笑顔で
「大賛成」との返事。
近くのバルへ行き、今度パリへ行ったときは、食事と、穴場を案内してもらうことを約束した。彼女たちは明日マドリッドを発ち、パリへ帰るという。
ピアニストがパリに来たら寄るようにと、住んでいるアパートの地図を書いてくれた。
旅は道ずれ、よく人と出会う。ジュネーブ、ニース間はニュージーランド人、ニースバルセロナ間は良子とアメリカ女2人、バルセロナで日本語を話すスペイン人、セビリアで日本人、グラナダで日本人。
あてもなく旅をすると、人間がルーズになってしまう。
やはり何か目標を持たなくてはいけない。
この旅もプラプラでは終わらせたくないが、山をのぞけば何のあてもないプラプラ旅行。しかし人との出会いがある。
1980年4月30日 曇り マドリッド⇔トレド
Madrid Toledo往復 91km
中村さん、伊藤さんの3人でトレドへ
トレドは城壁に囲まれた中世の街。
駅から坂道を上って橋を渡ると、トレドの街の入り口がある。
城壁の内側は古びた石畳の小さな路地と広場があり、いまにも鎧を着た兵士が現れても不思議さを感じさせない街。
町中をプラプラと歩いていると、中学生の遠足のような女性徒の一団がやってきて
「こんにちわ」
と日本語で声をそろえていわれた。驚いた。
はずかしいような気持ちで手を振ると、何度も何度も「こんにちわ」と言ってくる。
パリのムーランルージュの近くで聞く「こんにちは」とは違い清潔感の「こんにちわ」は心に深く残った。
昨日の日本人二人と行きグレコの家と街中の散歩。
昼食の魚の煮込みみたいなのはうまかった、それに夕食の魚のスープも35Ptsでまあまあの味。
スペインは貧乏な国、電車の中であったアメリカ人もスペイン人は貧乏国だと思っている。確かに子どもの乞食も多く、お金をねだられる。
1980年5月1日 晴れ マドリード
今日はスペインの祭日、昼食、夕食ともにパエジャを食べ夕方闘牛見物へ。
スペインに着たからには闘牛とフラメンコは見なくてはならない。
フラメンコは本場セビリアで見ることができたので、闘牛を見ることにした。
地下鉄で出かけていった。
シエスタの終わった頃に闘牛も始まり。入り口のところで料金の一覧表をのぞきながら、どの席にしようか迷ったが、今日は風も強く、寒そうなので200Ptsのソル席の13番目、中段あたりの席を指定した。
切符は日陰の席と日向の席とに別れていて、それがさらに、下から一列目、二列目、三列目となっていて、日向より日陰、後ろより前のほうの席が値段が高くなっている。
ソルイソンブレで値段は全く違って、日当たりの良い席が安いのである。
けっこう前のほうでいい席だと思っていたが、直径50m程の丸い闘牛場の真ん中で、闘牛をやるのかと思っていたところ、ほとんどがソンブラ席に近い、隅っこのほうでしかやらなかった。
やはり安い席だけのことはあった。
ソル席に近づいてくるのは戦意を失った牛が、闘牛士に尻を向けて逃げてきたときぐらいである。
やはり闘牛を見るにはちょっと値が張って寒くてもソンブラ席のほうがいい。
ガイドブックのいうとうり、日本人にはあまり合わない見せ物だ牛はかわいそうなもので、前座で出てきたような4,5人のマントを持った人達におちょくられ、怒ったところを今度は3.4人で出てきた、槍を持ったマタドールに背中を槍で刺される。
ちょっと動きが鈍ったところで、さらに馬に乗ったドンキホーテのような奴に、とどめに近いかのように、長い槍で刺される。
動きが完全に鈍ったところで、真打ちの赤マントを持ったマタドールが登場し、ぶすりととどめを刺された。
人間が寄ってたかって1匹の牛をなぶり殺すのである。
超ハプニングもあり槍を刺す馬に乗った男が落とされたり、槍を刺す男が角に刺されたり。
闘牛をスペイン人は好きかもしれないが、どうも日本人には残酷すぎてむかないようだ。
それなのに日本人は鯨を殺す動物愛護の精神を持たない人種といわれては割にあわなない。
このような価値観の違いはすべて生活習慣や宗教の違いなのだろう。
まあこれでフラメンコ、闘牛と二つのスペインを代表するものを見たのでまあ満足。
今は毎日昼食、夕食とともにワイン付き、このホテルアマディオも毎日ベッドメイクもしてくれ綺麗な部屋。
物価も安いし生活もしやすいしスペイン語もまあ通じる。
1980年5月2日 曇り マドリード⇔セゴビア
Madrid Segovia往復 112km
セゴビアは綺麗、街が綺麗と言うんじゃなく回りの景色がいい。
小高い丘は石と緑の芝。どこまでも続く丘そして古い崩れかけた教会、美しい景色。街にはローマ水道橋が今でも水を運び、数百年のままの街。
丘の上には絵本にでてくるようなとがった屋根のお城。お城とあの景色がすばらしい。
街の人間は、スペイン人の子どもにはみんな当てはまるが、日本人が通ると、じっと見つめ、時たま子どもからオラ。
こっちからいうと緊張がほどけたと言った感じで、にこっとうれしそうな顔をし、オラと言い返してくれる。
スペインは好きだ。
白雪姫のモデルと言われるアルカサル
1980年5月3日 雨 マドリッド⇔クリプターナ
Madrid Criptana 往復 156km
ドンキホーテが戦いを挑んだ風車の街カンポデクリプターナは、マドリッドから1日に数本しか列車が走らない、各駅停車の街にある。
マドリッドのアトチャ駅をでた電車が埃っぽい荒れ地を走り続けると、遠くの小高い丘に白く街が見えてきて、近づくにしたがい、風車が丘の上に乱立しているのが見えてくる。
駅から風車へは、家の壁に貼られた風車の絵を書いたタイルの標識通りに石畳の道を登っていく。
通りには老人や子供が小雨が振っているのに遊んでいたり、立ち話をしていたりして、歩いていくと数100mも前から、ずっとにらむようにみつめ、通り過ぎてもまだ見つめている。
何もいわずにいると薄気味悪いが、「オラー」と声をかけると、人が変わったようににこっとして、何も言わないのに風車のほうを指さしてくれる。
いつの間にか通りにいた子供達が後をついてきている。
家々の白い壁に囲まれた石畳の路上には、野菜を背負ったロバがつながれている。
スペインはどんな小さな村でも、学校はなくてもバルは必ずあるというほどで、田舎の小さなこのカンポデクリプターナにも、風車までの1km程の通りにも3軒もあった。
お昼前という事もあり、風車を見る前に腹ごしらえをしておこうと、バルへ入ってみると、すでにビールを飲んでいる客がいた。
客の男たちは5人ほどで大声で、日本の半丁みたいなものを金を賭けてやっている。大きな音で日本語の歌が聞こえてくる。
スペイン人というのは音に鈍感なのか、大きな音や、騒がしさなど気にならないようだ。
歌の聞こえてくるほうを見るとテレビでは日本の漫画、アルプスの少女ハイジが写っていた。
今ヨーロッパでは日本のテレビ番組が多く放送され、フランスではマジンガーZもやっていた。
日本は漫画、アニメでも先進国らしい。
イカフライとハム、パンとワインを注文した。
スペインのバルへ入ると必ずあるのがハム、ハムといっても日本の丸大ハムとは違い、カウンターの上から乾燥させ、かびの生えた豚の、股のついた足がぶら下がっていて、その足をナイフで薄く削り取ったのがハムである。
カビの生えた豚の足をスライスしたようで、見た目には何とも気持ち悪いが、食べてみると、その味はちょっと塩味が効いていて、これが実にうまいのである。
加工ハムしか食べたことのない口には、とろけるようで新鮮な、驚きを感じる。
風車は良かったが天気が悪かった。
天気が悪いのに今日ここへ来た、雨の日も趣があっていいが今日の雨はいやだ。
頭が少し痛い。
1980年5月5日 雨 Madrid→Paris
Madrid 発 18:40
Hendaye 乗換
Parisへ 1458km
パリへ向けて夜行列車で出発。
大失敗、電車へ乗るとき予約をしておかないまま電車へ乗り込むと、車掌に「予約してこい」と追い出された。この時出発まで10分ほど。
しかたなく窓口へ行くと急行料金とも300Ptsとのことで、手持ち金はお土産やら食料を買い込んでしまい、残金が300Ptsしかなかった。
しかたなく両替4$し、また窓口へ戻ると発車3分前、予想どおり予約は断られ、そのままのりこめとのこと。
走り乗ると30秒ほどで出発。
車内で車掌に300Ptsを払い一件落着。
前もって予約しておけばこんなことなく済んだし、4$両替する必要もなかったのに悔しい、今後気をつけよう。
つづき⇓