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1980年3月14日

再訪のロンドンはGatwick Air Port着、11:30。

宿は以前泊まったことのある、日本人のたまり場のYTBへ。4ヶ月前にいた日本人は誰もいなかった。

YTBホテルYTB 34 Chanley Gardens Sw7調べたらここになっていたが記憶に無い。

YTBの窓からは鉛色のロンドンの空が見える。気分も鉛色。おばあちゃんのことが気になるが、今はただ夏まで元気でいて欲しいと願うだけ。

イングリッシュヒーターの薄ら寒い部屋で、4ヶ月ぶりのロンドン。

ロンドンは曇り、時々霧雨の天気で、外はニューヨークより暖かいが、部屋の中はEngrish Heaterでまったく効きめなし、うすら寒い。

YTBの部屋は日本人と2人部屋。4ヶ月ぶりの英国で思い出したのが、早足と犬ぐそ、横断歩道。

イギリス最初の食事はピカデリーにあるチャイニーズの「麺」で、チャーハンとワンタン麺で1£35P。

ロンドン

London情報

ホテルはYTB、7日間Tax込みで2人部屋が16£10p、最低でも4日間は滞在のこと。

Pubは、生バンドいりのパブは、地下鉄Earl's Court Stationから歩いて100mほど左へ行ったところにある。

食事はEarl's CourtにあるHot Potが安くていい。ゆで卵2個とポテト、グリーンピース入りのカレーが69p紅茶が18p、その他日替わりスープも安い。

 

アメリカからやってきてまず感じたことは、美人と犬が多く街全体が落ち着いて、人々も悠然としている。悪く言えば活気がない。

YTBホテルYTB

 

1980年3月16日

4ヶ月前にだいぶうろついていたので、地理感覚は問題なく、また適当にあてもなく歩いた。

がLondonは毎日、今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇り空続きで、なんとなく気持ちまで沈んでしまい、歩く元気もなくなってしまう。

今日から夏時間とのことで時計を1時間早めた。

夜になって、何か楽しいことでもないかと、YTB近くのパブへ1人で出かけたが、待っていたのは冷たさだけだった。

そうだイギリス人は日本人に冷たかったと思い出した。(農場で働いていた時に、陰口でジャップとじーさんが言ってた)

YTB

 

1980年3月18日

 

昨夜は、以前行ったことのあった、昔ビートルズが売れる前によく出演していたという、アールズコートのパブへ、同室の若い日本から来たばかりの秋山君と2人で行ってきた。

店の中に入ると、ちょうどバンドも始まるところで、人も混んできたところらしく、タバコの煙だらけ。ワンパイントのラガーを注文し、カウンターで立ち飲みしていると、30歳ほどの男2人が声をかけてきた。

「日本人か」と言う。「そうだ」と答えると、いやに馴れ馴れしく、「日本にいた」と話してくるのである。

警戒しながら話半分で、適当に相づちを打っていたが、どうも悪党らしさは見受けられない。

気を許し話し始めると、感じのいいやつで、疑ったことを申し訳なく感じてしまった。

ロンドン

旅にでてから、特にマンハッタンでの生活で、ある面では大胆な面もでてきたが、反面警戒心も強くなったようだ。

スコッチウィスキー、日本食のことなどたわいもないことを話し、ハーフパイントのビター、それにコーラを1本飲んで帰ってきた。

20時を過ぎてから行ったので、あまり長くはいなかったが、生バンドの入った気持ち良いPub。帰ってきたのは24時頃。

ビッグベン

昼PIAのオフィスへ行ってきた。

昨年の9月にいた色黒のかわいい女の子がいるかな、と期待していったが彼女はいなかった。

しかし今度は英語も上達したのか、話すことも聞き取れるし、思うとうりに話もできた。

以前、四苦八苦してコースを変更したときとは違う。

 

パリへの出発は20日の18時5分。Parisへ着くと夜になってしまうが、どうにかなると思い決めてしまった。

ロンドンともお別れなので、もう一度大英博物館へ行ってみることにし、ピカデリーから散歩気分で歩いてみた。

何度見ても薄気味悪いような、好奇心が駆り立てられるのがエジプトのミイラ。

大英博物館The British Museum

 

1980年3月19日

昨日、一昨日と朝食(朝食はロイヤルミルクティーとトースト)を逃してしまったので、今日こそはと、眠いながらも8時20分頃起き、朝食を食べた。

二度目のYTBに宿泊というのは俺だけで、みんな初めて泊まる人達ばかり、日本をでてきたばかりという人が多く、いつのまにか旅行者として古巣の部類に入ったらしく、朝食時などみんなと顔を合わすと、いろいろと聞かれる。

昨年の秋、此処に泊まったときは新米旅行者でいたのに、アルバイト経験者と言うだけで、日本をでてきたばかりの人達には、自分達と違った人間に見えるらしい。

なんだか嬉しいような悲しいような複雑な気分で、久しぶりのやけにしょっぱいベーコンエッグの味をかみしめた。

このロンドンの一週間は完全に無駄な一週間。大英博物館へも行ったけど、どうも旅行という感じではない。

昨日、伊丹十三の書いていた白鳥の湖を初めて見た。タクシーの運転手が止まる時、右手を上下に円を書くような動作。

ネットからBrompton Rdの87番地にそびえ立つのが、かの名高い王室御用達店のHarrods。

ハロッズは厳めしい王室の紋章が四つ目にはいる。

昼食に5階のセルフのビュッフェで、ケーキと紅茶を飲み、店内を散歩して帰ってきた。

確かに陶磁器の食器やガラスの器売場の整然とした豊富な品揃えは見事である。しかしこの王室御用達も今は、外国人旅行者御用達の店になってしまったらしい。

 

イギリスとアメリカの違い。アメリカから来たからか、一段とイギリスが貧乏に見える。

日本から着いたばかりの時は、日本より落ちるかなと言う感じでいたが、今は確実に貧しさを感じる。

タバコにしても1本のタバコを大事そうにフィルターすれすれまで吸いつくし、人々の着ているものもだいたいが質素なものが多い。

ローリングマシン、ネットから

トイレットペーパーで手紙が書けると誰かが言ってたが、まさにその通りの紙を使っていて、慣れないうちは抵抗を感じた。

水道はお湯がアメリカは左、英国は右。

横断歩道の信号機はアメリカがWalkと Dont Walk、イギリスはCrossと Stop。

イギリスの信号機は赤から黄色になり緑になる。

ロンドンを走っている車も日本車のように小さくアメリカ車の半分ほど。

人間はアメリカは黒人と南米の人間が多く、その他ごちゃごちゃ、ロンドンはアラビックが多く、やはりその他ごちゃごちゃだが、アングロサクソンが多い。

人間的にはロンドンの人間(白人)の方がまだ日本人に似ていて、人目をも気にするようだし、話し方も静かで馬鹿声などはあまり出さない。

女性も美人が多くファッション的にも女性らしい服装をしている。

店の人の気持ちもニューヨークよりは、暖か味があるような振る舞いをする。

ビッグベン

大英博物館ではイギリスのやり方に不満を感じる。

かつての英国全盛時代の遺産で埋められているが、あのローマ、ギリシャの遺物のばく大な量には怒りがでてくる。

あんなにも多くのものを持ってきてしまったのではギリシャの遺跡がなくなってしまう。

遺跡などは元有った場所に置いておくのが一番で、現代建築の中に元有った状態でいくら置いて有っても不自然である。

イギリスは煙突が目立つ、一つの建物に何本ものレンガで囲んだ煙突、昔は石炭の煙がもうもうと出ていてLondonは曇っているのか、煙で曇っているのかわからなかっただろうが、今はみな石油かな、ここYTBは電気ヒーターなので薄ら寒い。

アメリカは石油でがんがんとヒーターを効かせているのに、イギリスはちょろちょろと今も寒い。

ビッグベン

 

1980年3月20日

Parisへ出発

ヒースロー空港でのチェックインは15時過ぎから。

日本人の団体の多いのには驚き、JALのカウンター周りには若い男女の団体、それに年輩の団体、日本人に会えてうれしいような気もする。

 

アールスコートからHeathor cent Palまで1£。国鉄より地下鉄の方が安いようだ。

旅慣れた余力とでもいうのか、空港についても余裕がある。いぜんだったら不安だったのに今日などは落ちついたものである。あと数時間で花の都Paris、初めての英語の通じぬ国へ行くのであるが、何が待っているのか期待と不安である。

パリのことは詳しく知らないので、何がどのように。どんな形で目の前に現れるか期待している。

Heathlow Air Portネットから

PIAのチェックインカウンターの前で、椅子に座りチェックインの時間を待っていると、一つ椅子を隔てたところに日本人の女の子が座ったので、パリへ行くのではないかと、ためらっていたがここ一番声をけてみた。

今は学生で以前休みを利用して、1週間ほど旅行したときに知り合ったイギリス男の所へ、遊びに来たという。

そしてこれから日本へ帰るところだが、イギリス男が好きになってしまい、このままずっとイギリスにいたい気持ちと、日本で両親が心配している気持ちと、メチャメチャにこんがらかってしまい、迷いながらも空港まで来たが、今又、帰るか、キャンセルしようかと。

ばかめ、だから女の一人旅は嫌いなんだ。話をよく聞くと、彼女は英語もろくに話せないし、前の旅行もロンドンにはたったの3日間、そして今回は7日間、たったの10日間ほどで、言葉もろくに通じないのに、悩むなんてばかげている。

そりゃフィーリングがあったとか、いろいろあるだろうが、旅の間で知り合った人は旅友達。一生決めるに値するか。冷静になってよく考えて欲しい。

彼女の場合など、単に心細い旅行中に、外人男にちょっと優しくされたから、ふらふらと心が動いてしまったとしかいいようがない。だから日本女性は外人からかもにされてしまうのだ。

パキスタン航空

彼女と話をしているとどうも嫌な気持ちになってしまい、フライトまではまだ時間はあったが、早めに席を立ってしまった。

何だかんだ、うじうじ言っても結局は帰りの飛行機に乗ったくせに、ばかめ。しっかりと顔を見ると、日本にいたら男には縁がないのもまあわかる気もする。

日本でちやほやされたことがないから、免疫不足だ。

パキスタン航空

 

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