骨折当日。救急搬送からの入院
受傷から手術後1週間くらいまでは、覚えているところと抜け落ちているところとあり、記憶がはっきりしない。
救急車から降ろされたストレッチャーは、静かな病院の廊下を進む。
そして運ばれてきたストレッチャーのまま、病院のスタッフに引き継がれた。
ストレッチャーは、入院する病棟の廊下でベッドにうつされるまで、そのままだった気がする。
そしてレントゲンへ。
固定されていたものが外される。
メチャメチャ痛い。
声にならない声が出る。
ウェアのパンツもタイツもそのまま。
ソックスだけは、スキー場で脱がされた気がする。
私の脚を見た技師さん達、レントゲンを撮る前から、
あー、折れてる、折れてるねー
と。
脚を持たれ、レントゲン。
痛い❗️
痛すぎる❗️❗️
前に転倒したからか、胸のレントゲンも撮られたような。
そのまま診察室に。
詳しい説明の前に、先生が通りすがりに"バッチリ折れてますねぇ❗️捻れて折れてる❗️"と声をかけて行った。
看護師さんがやってきて、"トイレに行きたかったら言ってね!尿器を用意するから!"と言っていた。
正直トイレに行きたい気持ちはあったが、痛くてそれどころではない。
それに、身体を動かしたら絶対に痛い事は分かっている。
ならば、出来るだけ後に、先延ばしにしたかった。
説明を待つ間、痛いのだが、ウトウトした。
"固定するよ"と声をかけられたのだったか…
痛みと共に脚を持ち上げられ、何が当てられたと思ったら、脚が熱くなってくる。
先生が、ギプスシーネで固定してくれたのだった。形を作るために抑えられ、そして包帯を巻かれている間はものすごく痛いと思ったが、しっかり固定されるとそれまでよりも痛みが落ち着いた。
"痛み落ち着いた?"との問いに、
"はい"と答えた気がする。
そして、右脚の脛骨と腓骨が捻れて折れていて、入院と手術が必要との説明を受けたのだった。
この時点で、私は二箇所骨折だと思っていたが、実は二箇所では無かったというのを手術後に知ることになる。
当日撮ったレントゲン。
退院が近くなって、病室で改めて見せてもらったもの。
全身麻酔をして脛骨に髄内釘(脛骨と同じくらいの長さのチタン製の棒)を入れ、ボルトで止め、状態次第で腓骨にワイヤーを通すという痛そうな手術。
しかも、決まっている手術日は火曜と木曜で、運ばれてきたのは金曜。
次の火曜の手術はいっぱいで、木曜に行うとの事だった。
痛みを抱えたまま、1週間も過ごさなければならない。
手術が決まったので、その場に看護師さん、技師さんがやってきて、治療に関する書類にサインをし、手術前の血液検査、心電図をとった。
しばらく待ってから、入院する病棟に移動した。
もちろん、ストレッチャーのまま。
骨折当日のこと。うっかり転んだだけなのに…脚が捻れて折れちゃった
スキーとスノーボードのインストラクターをしています。
その日はスキーの仕事でした。
と言っても怪我をしたのは滑走中ではなく、スキー場の休憩所内を歩いている時でした。
滑りやすい床、気を付けているつもりでした。
転んだ時、何が起こったのか、細かい状況は覚えていません。
座っていたベンチから立ち上がり、前を向いて歩き出した私は、気がつくと、床にうつ伏せに倒れた。
あ、転んじゃった、恥ずかし〜!なんて事を思いながら、立ち上がろうとした。
うつ伏せに倒れていたので、手を床につき、膝立ちの姿勢を取ろうとしたが出来ない!
右足の、膝から下が、ついてこない。
脛が、すごく痛かった。
あれ?脛を強く打ったかな?
そう思った。
ちょっと打っただけでも、脛ってかなり痛いですよね?
だから、ちょっと強く打ったのかと思った。
少し休めば、立ち上がれるんじゃないかと。
でも、ダメ。
どうやら自分はこの後の仕事が出来そうにない。
とにかくスクールに連絡を入れなければ…と
所属スクールの校長に連絡し、自分は床にへたり込んだシンデレラの様な姿勢で待つ。
電話とどちらが先かわからないけれど、近くにいた一般のお客様が、何か手伝えることは…と来てくれたので、ブーツのバックルだけ外してくれるようにと頼む。
外国人のお客様は、ice?と、冷やす事を勧めてくる。
皆様の気持ちと助けがとても嬉しく、そしてブーツに触れられた脚は超絶痛い。。
バックルを外してくれた方々が、脱いだ方が?とか、椅子に座りましょうとか、楽な姿勢、冷えない場所に移動させてくれようとする。
しかし痛すぎて、無理。
丁寧にお断りする。
少し休んでから、這ってでもスクールに戻りたかったけれど、どうやら無理の様で、だんだん気が遠くなってくる。
力も抜けていき、上半身はうつ伏せ、下半身は側臥位…のような奇妙な姿勢に。
これは折れてるかな?いや、ヒビとかかなー(ヒビだとしても骨折だけど)
お客様がパトロールに出向いて連絡してくださった様で、いつの間にやらパトロールスタッフ2名が来てくれた。
姿勢変えよう!と言われ、有無を言わさず長座の姿勢に。
その時…
脚から、ゴリッという音が聞こえた。
あ…
折れてる。
折れてるな。
こりゃダメだわ。
気づかぬ間に現場には、校長も到着していた様だ。
パトにウェアの裾をまくられると、パト2人と校長が、顔を見合わせて、"折れてる"と…
近くに診療所もあるけれど、"これは、すぐ救急車で下の病院だ"と言っている。
ブーツを脱がされ(脱がし方が上手くて一瞬の出来事)、脚を固定される。
左足には履物を持ってきて履かせてくれた。
一番近い消防(出張所?)からは30分以上かかるはずだけれど、意識が朦朧としていて、すごく待った様な気はしなかった。
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救急隊員が来てくれて、担架に乗せられ、休憩所を出る。
私は、室内を移動する間、担架の上からお客様達に"すみませんでした"と言葉をかけた。
外に出ると、道路までの数十メートル、担架ごとアキヤボートに乗せられて運ばれた。道路に出ると、ストレッチャーで救急車内へ。
隊員が、病院に受け入れの確認をしている。
その間に、私の荷物から保険証を持ってきてもらう。保険証を持ってきてもらうのにだいぶ時間がかかった様な気がする。
しかし、現在地から病院までが、遠く、約1時間の道のり。
翌日からのレッスンのこと、春のガイドのことが心配になり、救急車から電話を掛けたくてたまらなくなった。
しかし、痛みのせいで意識も飛んだり、ウトウトと眠る様になったりしていた。
酸素と心拍の確認の機械がつけられ、病院到着までの間、何度も意識を確かめられた。
後日撮影した写真だが、どうやらここから病院に入った様だ。