走ろうと思った。久しぶりにこの街を。
時計は、AM2:00を回ったところだった。
もちろん、おとんとおかんは寝ていた。昔は箪笥がいっぱいあって、
かっこ良く言うと大きな衣装部屋みたいな二階のあの部屋で。
いつだったか大掃除が行われ、そこは二人が並んで寝られる寝室になってた。
関西弁だけの番組がやけに新鮮だったから、ダラダラ見てしまっていたテレビを消し、
用意してあったかのように部屋に散らばるジャージに身体を通した。
なぜか、ジャージに関しては実家では困らない。と思いながら靴に困ってた。
いつのまにか、家族の中で一番足がでかくなってしまったから。
少し考えて、兄が元オリンピック選手からもらってきたというナイキの靴を借りることにした。
オリンピックに出るつもりはないけど。今はまだ。
いつもの癖で玄関の鏡を覗いたら、形から入るってことの成功例みたいだった。
そっとドアを開閉し、我ながら勢い良く外に出た。
田舎の夜の寒さを覚悟していたが、もうそんなことを感じる余裕はなかった。
外に出た瞬間、走り出した瞬間、俺の頭にはこの言葉だけだった。
「今の俺はなんて、なんて情けないんだろう・・・。」
いや、ここ最近、それよりもずっと前から、この言葉だけだったか・・・。
彼女にふられた。
6年も連れ添った彼女で、俺にはもったいないくらい可愛くて愛想が良くて、
周りの皆から評判も良くて、家族からは二人の子供の性別まで予想されるほど、
誰もが結婚を意識していたし、俺ももちろんそのつもりだった。
だけど、ふられたんだ。
理由?えっと・・・「価値観が違う」とか「何を考えてるかわからない」とか、
最後はなんだっけな、「あなたとの将来が見えない」だったか・・・。
なんにしても言われたい放題だったわけだけど、散々しまくってた浮気のことは何も言われなかったことに、ここにきてそんなことに、少しほっとしてしまっていた自分がいたような。いなかったような。
でも俺は知ってたよ。君の気持ちが他の人に向いてたこと。
もう、君が他の人の腕に抱かれていたこと。だから、良かったんだよ。
俺達はこれで。
仕事を辞めた。
正確には、逃げたんだ。まあまあ大手の広告代理店に入社して5年、忙しい中にも遊びを忘れずに、とかなんとか言いながら、都会のビジネスマンを気取って浮かれてただけの5年間。
「俺にはもっとやりたいことがあるんです!」なんて社長に大見栄切って会社を後にした。
「俺はもっとでかいことがしたいんだ!」って、両親に言い放って実家を出たあの頃と、高層ビルを見上げてクラクラしてたあの頃と、結局何も変わっていなかった。
分相応じゃないというか、身の丈を超えてるというか、そんなことはわかってた。
だけど、ちょっとだけかっこつけたかった。それだけさ、東京なんて。
家はない。
簡単な話、同棲してた部屋が彼女の名義だったから。
最近は、渋谷の安くて汚いビジネスホテルに出入りしていた。クラブやラブホテルが隣接しているここらへん一帯は、朝から晩まで人通りが絶えず賑やかだった。酔っぱらう人、喧嘩する人、かたぎには思えない人、客引きの男女、健全には見えないカップル、等々が行き交う。飽きないが居心地は良くないこの場所に、慣れてしまいそうになっていたある日、俺はその人達と自分との違いを必死に見つけようと悩み過ぎて、ホテルの前の道端で吐いた。
酔っぱらいに罵られ、カップルに避けられながらも、俺は、笑っていた・・・。らしい。
違いは、見つからなかった。
実家に帰って来た。
だって、放射能で街が汚染されるとテレビが騒ぎ始めたから。
「何もかもを失ったから・・・。」とは言えない俺の、ひねくれたプライドを守る理由としては十分だった。家族や親友にも、特に何も聞かれなかった。
近況は順調だとだけ言っておいた。
実家で過ごしてしばらくが経っても、世の中で起こってることは、テレビで報道されてることは、まるで別世界のように感じられた。
現実は、悲しみすら遠くに連れ去り、
その日その時間の前までに確かにあったはずの全てのものを、
そこに居た全ての人々の人生を、過去を、なかったことにしようとした。らしい。
俺は考えた。
「何もかも失った?ってことは俺と同じ?いやいや、俺なんかよりずっと酷い。でも、世界中の人々が助けようとしてくれてる。俺のことは誰も助けてくれない。いやいや、これは災害。俺は自業自得。」
あほな自問自答を延々続けた後で、こうも考えた。
「俺には何が出来る?俺でも出来ることがある?俺はもう人生に疲れたんだ。そんな俺が人様の役に立てる?いいなあ、人の役に立ちながら日々を過ごす。
家族や親友にも胸を張れるな。俺は、人様の役に立ってるんだ!かっこいいだろ!って・・・。」
知らないうちに、俺は、泣いていた。
情けなかったから。
自分自身が許せなくて、悔しくて悔しくて、しばらく涙は止まらなかった。
走ろうと思った。久しぶりにこの街を。
時計は、AM2:00を回ったところだった。
頭に浮かぶ悪いイメージを振り払うように、家の前の下りの坂道を、
全力に近いスピードで駆け下りた。下りきって角を曲がると、すぐに住宅街を抜け出し、
視界が開けた。
不思議と呼吸は乱れず、懐かしい場所を冷静な目で見ることが出来ていた。
あの池から川に続く大きなトンネル、小学校の頃によく探検したんだ。
あの川では泳いだり釣りをしたりしたのに、すっかり水が減ったなあ。
相変わらずこっちは街灯がないな。先にある公園は今でも怖そうだ。
こっちの脇道は好きな子と寄り道して帰ったことがあったな。元気かな。
気が付くと、通っていた中学校に向かっていることに気付いた。
中学校の駐車場に入り、走るのをやめ、歩きながら空を見上げた。
中学校までの距離を、止まることなく走れたことに少々驚いた。
忘れていた星の多さにも驚いた。
冷たいアスファルトに倒れ込んで、大の字で寝転んだ俺は、
「もう走れない!」声に出して叫んだ。
何に対してそう言いたかったのか、自分でもわからなかった。
ただ、時間はかかるけど歩いてでも、家までは帰らないといけない。
当たり前のこと。それはわかる。
人生も、何事も、そんなもんかもしれないなと思ったら、ちょっと楽になった。
家までの帰り道、さっきは走っていて気付かなかったのか、この深夜に誰かが捨てたのか、
道路の真ん中にコーラの空き缶が一つ、捨ててあった。
何故か、立った状態で。
特に理由はない、だけど見て見ぬ振りは出来なかった。
最近のテレビから得た正義感や、今の変な高揚感がそうさせた。らしい。
とりあえず、すばやく手にしてみたものの、周囲にはゴミ箱らしきものはない。
きっと家までの道のりにもゴミ箱はない。さすがに持って帰るのは面倒臭い。
だからといって今更後には引けない。やっぱり、中途半端な偽善はこうなる。
「しかも半分くらい残ってるし・・・。」
トボトボと歩きながら、色んな意味で疲れてきた俺の目に飛び込んできたのは、
小さなお地蔵さんだった。俺は迷わず前に立ち、こう言った。
「コーラ、飲みます?」
あえて返事は聞かなかった。
次の日、車でその場所に向かった。
さっき自販機で買ったばかりのコーラを開け、一口飲んで、昨日「お供えした」缶と交換した。
心なしか、ちょっと減ってた。
今度は、ちゃんとゴミ箱に捨てに行った。
俺にしかわからない、誰かにわかるはずのない行動と、そこにある想い。
善も、正義も、考えようだなと思った。
偉そうに大それたことを言う気はない。今はまだ。
そう考えると、こんな俺にも、出来ることがあるかもしれないなと思った。
もしかしたらまだ、走れるかもしれないなと思った。
それはきっと、自分の為にも。誰かの為にも。
いや、歩いてでも、前に進めばいい。
そしたらいつか、
いつかきっと、自分の為にも。誰かの為にも。
いつかまた、一緒にコーラを飲もう。ありがとう。
peace
あなたの想像は、俺の創造を超えて行く。
