C団地は同様に取り壊し真っ最中のエリアがあり解体後の瓦礫などを運ぶダンプカーが土曜日もひっきりなしに出入りしてました。
しばらく団地を歩いてみるといくつか興味深い事があります。
一つ目は、道幅が広くしっかり区画整備され、坂道がない事。
二つ目は、棟と棟の間がスペースがしっかり設けられてる事。
三つ目は、小さい公園、野球場、幼稚園、学校がいくつか団地内にしっかり設けられてる事。
四つ目に、各エリア内に商店街が設けられてる事。
団地内は非常にシステマチックに整備され、団地内で生活が完結される仕組みが完成されてるようです。
住みやすい環境だったと思われます。
(団地内はどこも余裕の道幅)
(テラスハウスタイプ。庭は広く当時は各世帯が思い思いに庭をアレンジしていたのだろう。米軍住宅に似てる気もするなぁ)
(松原駅へ向かう遊歩道)
(子供はおろか人の気配もない哀愁漂う遊具)
C団地内の商店街を見つけました。
まだまだお客さんの出入りが感じられる店を発見したので早速中に入ってみます。
(やはり中はバーコードリーダーが導入されてないと思われる往年のストロングスタイル。)
うん⁈
“食パンコーナー”??
(昭和な中村屋の看板)
店の方に尋ねてみるとどうやら店で要望に応じて枚数や厚さを調整してるようです。今は切って売ってるが昔はみなこのスタイルだったようです。
実演してもらっちゃいました。
(コンビニでは味わえないイベント)
カルビーのポテトチップ コンソメを買って少々お話を伺いました。
昭和53年にこのエリアは開発され、6000戸約20000人が住む日本でも最大級の団地だったようです。
当時はあふれるほど子供がいて毎日毎日それはそれは賑やかな団地だったそうです。
公団側は取り壊すだけしか考えてないようです、新しいものが全ていいものではない、と。
ちょっと買い物するにも店の人とお客さんが触れ合う古き良き昭和のカルチャーみたいなのをで生かしつつ、再開発してほしいと思います。
店前の丸型ポストも今となっては珍しく以前車に追突されて一時は無くなったようですが店主の希望で東北の業者から取り寄せて、郵便局に嫌がられても店がなくなる迄はこの丸型ポストを守るという事です。
丸型ポストは口が一つしかないので仕分けが大変な為、郵便局は嫌がるようです。
なるほど。
来年には取り壊しが決定してるようです...
まだ頑張って営業してる数少ない商店街のお店の方々はどうなってしまうのだろうか。
新しい団地に生まれ変わっても商売が継続できる事を祈る
そしてまた団地から去って行く家族が1つ...
つづく
Photo by D7000