まだ8年❓️
今でも被災地と呼んでいいのか
迷うこともありますが
復興が完全ではなければ
被災地と呼ばなければならないんでしょう
8年前のあの日
週末の金曜日で、私は山梨におりました
よく晴れていましたが、風はまだまだ冷たかった
朝から山梨県の都留市にある本社に来ていて
お昼休みは都留の人達と、吉田のうどんを食べに外に出ました
そして14時46分
小さな揺れが来ました
揺れは長く続き、今まで経験したことのない
激しい揺れになりました
そして
社内の電気は一気に消えました
固定電話は繋がらず、携帯も繋がりません
周りがどうなったのかも分からず、ラジオだけが頼りでした
本社から自分の勤める会社に戻る時
停電で信号が止まったので、お巡りさんが交通整理をしていました
高速道路のトンネルを抜けるのがどんなに怖かったか❗️
通行止めがあるせいか、他に走行車両は見かけませんでした
通行止めの手前で降りて、そこからは下道で会社に戻りました
自分の車で帰る時も大変でした
道は大渋滞❗️
所々停電もしています
大阪のパートナーとの連絡も出来ず(とにかく誰とも連絡がつかなかった)
自宅に着いて電気がつくことを確認して
すぐにテレビをつけました
そこで初めて
東北を震源とした大きい地震があったこと
とてつもない津波が東北と千葉沿岸まで襲ってきたことを知ったのです
更に首都圏は帰宅困難者で溢れ
石油コンビナートではボンボンと火が上がっている
日本の太平洋側の半分以上にまで影響を及ぼしたこの大地震
これから日本はどうなるんだろう・・・と
不安で心臓がバクバクしたのを覚えています
この不安は
この後に起こる、福島の原発での立て続けに起きた水蒸気爆発で更に深刻な事態になりました
福島は私の母の故郷ですし
私も岩手に暮らしたこともあり東北は無縁な場所ではありません
息子が
自分達だけが、安全な場所に引っ越しているから、申し訳ないような思いがする、と言っていたのが忘れられない