母の多発性骨髄腫【明日のためは『今日』のため】 | Yoっち☆楽しくグテを綴る♡

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テテとグクの Me Myself写真集にインスピレーションを得て【群青と真紅】をブログ内で執筆中です️

面会の時間になり母の病室を覗くと、珍しく横たわっていた母(入院しているんだからベッドに寝ているのは当たり前だけどね💦)


母が39度の熱を出しましたガーン



『熱が出ちゃった』とうなだれている
身体の中の体温は表面温度より1度高いといわれますので、身体は40度あることになります

午前中はなんともなかったらしいです
お昼ご飯を食べてしばらくしたら、寒さで手が震えてきたと言っていました
『志村けんよりもうまい感じで震えてたよ』となんだか自慢気な母(オイ、オイ)
様子を見に来た主治医にも同じことを言い
『けっこうお笑い好きなのね』と言われておりましたニヤニヤ

とりあえず肺炎を併発していないかレントゲンを撮り、身体に着けていた点滴のチューブ等も検査に出して感染の有無を調べることに
(多発性骨髄腫抗体も正常に造られなくなるため、感染症になりやすいのです)

レントゲンの結果肺炎の疑いは消えましたDASH!
(肺炎は高齢者には1番リスクが高いのでひと安心)あとは検査に出しているチューブ類の結果だけ・・

退院を心待ちにしていた母の落胆のしようったらなかったです💦可哀想なくらい
それは、単に退院が出来なかったことだけじゃなく、今回の発熱のようにちょっとしたことで
身体に不調が出ることに対して、母はかなり不安を感じたはずなのです
自分の身体がかなり悪い方向に向かっているのかもしれないという恐さも感じたはずです

それを思うと辛くて仕方がありません


夕方弟が病院に来て、担当医(血液科)の先生と面談をしました(小腸で出血したので入院病棟は内科病棟で、内科の担当医の先生もおりましたが、今回小腸の止血処置が終り小康状態になっているので、血液科に戻ります)

最初先生が母の病室で待っているように言うので困りました😅
母の前で話をするのは嫌だったからです
でもうまい具合に、先生が入院病棟が変わるのでご家族の方、説明致しますのでこちらへ・・と誘導してくれたのでひと安心
しかし、先生が母に『また戻るから待っててね』と😲えー❗戻るの❓話が長引いて戻るようなことになったら、母が心配するんじゃないのかな・・

とにかく話を聞かなければ、と先生の後をついて相談所室へ行きました

まず母の現状がどうなっているのか、診断当初から現在までの説明を受けました
そこで母の多発性骨髄腫のステージはⅢであることを確認

診断当初母はベルケードステロイドを投与されていましたが、ほとんどMタンパクの抑制にはならず、異常なIgG(免疫グロブリン)の数値が普通は2000位なのが、母の場合9000~10000超え😱❗
このまま続けても体力面の弊害が懸念されるということで、現在では中止されています

母の症状は貧血が著しい病症のため、定期的な輸血で補っています
ヘモグロビン数値が母の場合8(女性の平均値は11.4~14.6)
血小板については50000(10万を切ると出血しやすい)
この数値を見ると、今回の母の下血がいかに危険なものだったのかが分かりますえーん

なので小腸で出血したことが、重篤な状態だったことも、止血の処置も危ない橋を渡るようなものだったと、先生からうかがいました


余命は2年から3年・・

人により短かくなったり、長くなったり

しかし先生は
1ヶ月を大事に、1ヶ月を大事にとしきりにおっしゃるので本当に予断は許さないのだと覚悟しました

先生もはっきりおっしゃいました
『次に何かが起きても、延命処置が出来ないということです』(母の場合、延命処置のメリットがないためです)
苦しい延命処置をすること自体私は反対しているので勿論な話ですが、延命処置が出来ない状態である現実にとても胸が痛みました


ただ、いままで通り普通の生活をしていいと言われたことが1番の救いです


母にとっても私や弟にとっても
これからの1日がとても大事になってきます


明日の為に今日を大事に



母には楽しい余生を送って欲しい照れ私には
それが1番の願いです
それだけは絶対に叶えて欲しい❗




主治医の先生との面談は、案の定長くなりました😅
病室に戻ると母がベッドに横になっておりました
『移る先の病室を見てきたの❓』と聞いてきました
『うん、明日か明後日になるかはまだ分からないけど、場所は確認したよ』と嘘をつきました
長くかかったから、母も探りを入れてきたかな
(弟はそーゆーのが苦手なので黙ってましたが)


じゃあまたねと言いながら母は、弟と私に握手を求めてきました


そんなこと
普段はやらない母だから、弟も私も不吉な感じを受けました

熱があるので母の手は熱かった
母は何か覚悟を決めたのでしょうか


『また明日ね』と私は応えました




夜中
病院から電話が入るのではないかと、弟と私は不安で恐ろしい就寝を迎えました


朝、電話がなかったので安心しました
これから母の病院へ行ってきます